ハフィントンポスト(フランス版)によると、ミッテラン政権時代に死刑が廃止されたフランスで、死刑制度復活を求める声がここ数年で急増しており、ある世論調査によると2009年にわずか32%に過ぎなかった死刑復活支持者が今年2月には50%まで上昇している。
http://www.huffingtonpost.fr/2015/05/06/peine-de-mort-france-retablissement-peine-capitale_n_7223976.html この上昇曲線は極右政党の国民戦線が急速に支持を拡大していったことと似ている。振り返ると、国民戦線では2011年に創設者ジャン=マリー・ルペン氏の三女、マリーヌ・ルペン氏が二代目党首に就任した。この頃から、時代が大きく変わっていった。
折しも「アラブの春」と重なり、当時国民戦線が行ったリビア軍事介入に傾斜するサルコジ大統領への批判とそれに対する反戦運動なども手伝ってマリーヌ・ルペン党首が率いる国民戦線への支持率が急増し、国民戦線は第三の政党として存在感を増すに至った。ギリシア金融危機に端を発する経済危機も欧州連合に反対の立場を取る国民戦線に追い風となった。それまで「国民戦線」と言えば「トンデモ」政党だったのだが、マリーヌが党首になって以後、大衆が選択肢に入れてよい政党という評価に変わっていった。驚くことに社会党から国民戦線に支持を切り替える人が続々と出てきたのだ。「どうせ二大政党で変わりばえがしないのなら、一度、国民戦線にまかせてみたい・・・」そう考えるフランス人が増えていった。
ソフト路線に方針を変えたマリーヌ・ルペン党首は2017年の大統領選で社会党のオランド大統領(現職)やサルコジ元大統領(共和党)を破って、選出される可能性も出てきている。そのことが国民戦線封じを狙って自ら戦争や治安対策に前のめりになる社会党の右傾化と関係していると思われるのだ。一方、マリーヌ・ルペン党首はソフト路線ながらも、凶悪犯罪の被害者のためにと死刑制度の復活を呼びかけた。党首に就任した2011年の段階ですでにハード路線を見せていたのである。
その頃から今日までの間に、デンマークなどでイスラム原理主義勢力によるテロ事件なども起き、フランス国内では国粋主義の政党・国民戦線に投票する人が増えていった。度重なる暴言のため、娘に国民戦線から追放された初代党首ジャン=マリー・ルペン氏もまた「テロリストは斬首せよ」と目には目をの報復を語っている。マリーヌ党首は大統領の座を狙う以上、父親の不用意な発言は容認しない方針だが、もともと親子でもあり、価値観はつながっていると見たほうがよいだろう。
フランス国民の間での死刑支持の急増はますます強まるフランスの軍事介入路線と結びついているものと思われる。フランス国内でテロリストを死刑にすることと、シリアでテロリストを殺すことと、殺人という点においてはどれだけ違いがあるのだろうか。現在、死刑の廃止はフランス憲法に盛り込まれており、死刑を復活するには憲法改正が必要である。しかし、捜査中の射殺や戦場での射殺や爆殺には特段憲法を改正するは必要ない。11月13日の同時多発テロを受けて、テロリストを壊滅させると国会で宣言し、報復攻撃を始めたオランド大統領とバルス首相の支持率は急上昇しているそうである。フィガロ誌によると、オランド大統領の支持率がテロから10日ほどで7ポイント上昇して27%に、バルス首相は3%上昇して39%になった。
※ジャン=マリー・ルペン初代国民戦線党首は今年8月、娘から追放された。ナチがユダヤ人をガス室で虐殺したことを第二次大戦の瑣末な事柄と語ったことが理由となった。国民戦線は初代ジャン=マリー・ルペン時代の悪魔的なイメージを払拭しようと2011年に二代目のマリーヌ・ルペン党首になってからつとめてきた。柱の1つが反ユダヤ主義と呼ばれるのを払拭することであり、もう一つがイスラム排外主義と見られることを払拭することだった。それらは2002年の大統領選の決選投票で父親のルペン氏がシラク大統領に惨敗したことを受けてのことである。大統領選には「極右政党」という看板では勝てないと考えたのである。
※マリーヌ・ルペン氏は新党首となった2011年に凶悪犯罪の被害者のために死刑復活を呼びかけた Meurtre d’Oceane : la peine de mort existe encore en France, mais seulement pour les victimes !
http://www.frontnational.com/2011/11/meurtre-d%E2%80%99oceane-la-peine-de-mort-existe-encore-en-france-mais-seulement-pour-les-victimes/
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