イスラム国を支えているのは旧サダム・フセイン政権時代の軍人や官僚たちだという説はすでに常識になっている。しかし、イスラム国自体が、その源流をたどればサダム・フセイン政権時代に培われていた、という考え方は未だに新しい説である。こういう説が12月24日〜25日付のインターナショナルニューヨーク・タイムズに出ていた。タイトルは’ISIS' debt to Saddam Hussein '(イスラム国がサダム・フセインに負うもの)寄稿者はカイル・オートン氏(Kyle Orton)、中東のアナリストという肩書きである。http://www.nytimes.com/2015/12/23/opinion/how-saddam-hussein-gave-us-isis.html?_r=0 オートン氏の説によると、イラクの大統領だったサダム・フセインは世俗派と見られていたが、イラン・イラク戦争を経て、そして湾岸戦争を経て、次第にサラフィスト(過激主義の一派)と提携し始めた、ということだ。狙いとしてはイラン・イラク戦争の終盤、反撃してイラクに逆に攻め込んできたシーア派のイランに対して劣勢に立たされたときに、国内のスンニ派イスラム主義勢力の力を借りようとしたことが挙げられている。さらに湾岸戦争での敗北もまた、サダム・フセインがイスラム主義に傾斜していくきっかけになったとされる。
そして、そのイスラム主義との提携の際に、欧米のイラク制裁措置をかいくぐるために、石油などの密輸ルートを承認して、地下ネットワークも結成されていったという。イスラム国のカリフであるアブー・バクル・アル=バグダーディー師も、サダム・フセイン時代のイスラム主義化の中で育成された人材だという。アブー・バクル・アル=バグダーディー師はイラク戦争で米軍に拘留されたときに、収監施設で過激化したという説もかつてはあったのだが、オートン氏によると1990年代半ばに、すでにサダム・フセインが設立した施設によって教育を受け、イスラム主義化していた可能性があるとされる。
ニューヨーク・タイムズを振り返ると、2003年のイラク戦争の際にさまざまな情報操作の対象となっていて、怪しい情報が並び、たとえばサダム・フセインが9・11同時多発テロのスポンサーである、というミスリードの政治コラムもあった。それは保守派の大物コラムニストによるものだった。だから、このような情報については慎重にそれが事実かどうかを見極める必要がある。
・サダム・フセインの世俗主義
・サダム・フセイン時代、 イラク内に宗派的紛争はなかったのか
・イラン・イラク戦争がイラク内政をどう変えたか
・湾岸戦争以後、サダム・フセイン政権はどう変化したか
・イラク戦争後、サダム・フセイン政権のスタッフたちは どうなったのか
これらの事実の掘り起こしがこの議論に欠かせない。米大統領選で共和党予備選の立候補者の1人、ジェブ・ブッシュが有権者から「イスラム国を作ったのはイラク戦争を引き起こしたあんたの兄だろう」、と非難されるシーンが伝えられたが、イスラム国はイラク戦争によって生まれた、という見方は常識になっている。しかし、この中東アナリストのカイル・オートン氏は「イスラム国はサダム・フセイン政権を倒したことが原因で生まれたのではない。サダム・フセイン政権の生まれ変わりである」とニューヨーク・タイムズへの寄稿を結んでいる。
これをイラク戦争を起こしたブッシュ政権擁護の論と見ることもできる。とくに今年は米大統領選の年でもあり、イラク戦争の評価は民主党や共和党の勢力に影響を与える要因である。 とはいえ、イスラム国とサダム・フセイン政権、あるいは政権崩壊後の10年に何が起きていたのかをより詳細に見なくてはイスラム国の正体を見極めることはできない。私たちは〜少なくとも私はオートン氏の分析を否定できるだけの事実を目下、つかんでいない。問われているものは「サダム・フセインの世俗主義は真実だったのか、神話だったのか」だから、イラクに詳しいジャーナリストの方に検証をお願いしたい。
■’Saddam’s Faith Campaign and the Islamic State’
https://kyleorton1991.wordpress.com/2015/09/28/saddams-faith-campaign-and-the-islamic-state/
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