スーパーチューズデイの民主党の開票速報ではヒラリー・クリントン候補の優勢が開票開始後、すぐに伝えられたが、次第に細かい報道が続きはじめ、ウォールストリートジャーナルによると、ヒラリー・クリントン候補が今わかっている時点でテキサス、アーカンソー、アラバマ、テネシー、ジョージア、バージニアの6州で勝利、バーニー・サンダース候補は地元バーモントとオクラホマで勝利した。
ヒラリー・クリントン候補の優勢の理由として、黒人票や女性票が多数、彼女に投じられた模様と報じられている。
共和党ではドナルド・トランプ候補がトップを走っている。
http://www.wsj.com/articles/hillary-clinton-and-bernie-sanders-make-last-push-for-super-tuesday-voters-1456830048
■サウスカロライナ州の米民主党予備選 ヒラリー・クリントン候補の勝利か ダブルスコア以上で圧勝の見込み
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201602281045290
■アラブの春の設計者たち〜NYT寄稿 'When Arabs Tweet'(アラブがツイッターを始めるとき)
http://www.nytimes.com/2010/07/23/opinion/23iht-edkhouri.html?_r=0 「アラブの春」の原点にヒラリー・クリントン元国務長官の関与があったことを示唆する内容の政治コラム。ニューヨークタイムズで報じられたのは2010年7月22日。もともとはアジャン・グローバルにラミ・ジョージ・クーリが寄稿した’Feeding the Prisoner, Paying the Jailor by Rami G. Khouri Released: 21 Jul 2010’ である。 これが書かれたのは「アラブの春」が始まる約半年前の夏のことで、このコラムが僕の頭にあったからだろう、「アラブの春」を手放しで喜ぶ日本の報道に大いなる違和感を僕は抱いた。 内容は米国務省がデジタル機器を使ったアラブ世界の「民主化」を企てていたとする証言である。この政治コラムがアラブの春が始まる半年前の2010年夏にニューヨークタイムズなどに掲載されたことは注目に値する。ヒラリー・クリントン候補が国務長官時代に「アラブの春」に関与していたとすると、その後のリビアのカダフィ政権の転覆その他一連の事態にも一貫的に関与しており、今日の北アフリカから中東にかけての状況に大きな責任を持っていると考えられる。ラミ・ジョージ・クーリは米国務省から助言を求められて、デジタル機器によるコミュニケーションだけではダメで独裁政権に武器と資金を供給するのをやめて、反政府勢力に武器と金を与えないと政変は成功しない、と助言したという。その後の動きを見ると、その通りに事態が進行していったのである。
■燃え上がるリビア 「アラブの春」の果てに
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201602201728226 ・・・皮肉なことは「アラブの春」の先駆けとなったチュニジアがイラク・シリアのイスラム国への最大の戦闘員の派遣国となっていることです。推定3000人と見られています(※5500人という数字もあり、さらにそれ以上の青年がイスラム国行きを事前に阻止されたという報道もあります)。そして、本家イスラム国への包囲網が狭まってくる中で、帰郷してくる兵士も少なくありません。今回、米軍のターゲットとなっていたNourredine Chouchane容疑者は米軍によると、チュニジアやリビアなど北アフリカからイスラム国に若い兵員を送る窓口になっていたとされます。チュニジアで政変が起きた後、若者たちが期待したようには国がなかなか動かず、しかも政変で観光客が激減し、食い扶持がなくなった若者たちの多くが地中海を超えて欧州連合に入っていこうとしました。イスラム国になだれ込んだ若者たちの背後にはこうした不毛な状況があったと考えられます。
2006年に米軍の空爆で亡くなったアルカイダのザルカウィ氏(スンニ派)は中東から北アフリカにかけてアラブ諸国の世俗政権が次々と崩壊して、その空隙に巨大なカリフ制国家を建設することを構想していたとされる。この構想を米軍や英軍、仏軍は知らなかったのだろうか?アラブの春によって、世俗政権が次々と崩壊し、大量に流出した兵器と多くの若者がそれらの国々からイラクやシリアに入り、イスラム国の戦闘員となった。北アフリカのスンニ派の青年たちが中東入りして戦ったのはシリア、イラク、イランのシーア派の政権である。スンニ派戦闘員に米政府やサウジアラビアなどの湾岸政府が「民主化」を理由に、どんどん武器や資金を投入して支援した。もし、欧米の情報機関がザルカウィ氏の構想を知っていたなら、「アラブの春」の先に何が起きる可能性があるか、事前に掴んでいたと思われるのである。
私見だが、ドミノ倒しである「アラブの春」の本当の終着駅はイランであり、イランが2013年秋にオバマ政権とシリア問題を入口として対話に入ったときに「アラブの春」はイスラエルを含めた欧米諸国の保安当局にとって、その役割を成功裏に終えたのではなかろうか。
※イラン包囲網 〜5ヵ国の合同作戦が仏誌で報じられる〜(2010年の記事)
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201012132316461 12月2日―8日号のル・ヌーベル・オプセルバトゥール誌(フランス)には「イランに対する秘密の戦争」(Le 05 decembre 2010 、La guerre secrete contre le programme nucleaire iranien)と題された特集記事が出た。記事ではイスラエル、アメリカ、フランス、ドイツ、英国の情報機関が連携し、必死になってイランの核開発阻止を目指している話が紹介されている。
「影の戦争のキーマン」として紹介されているのは以下の5人である。Leon Panetta (オバマ政権のCIA長官)、 Meir Dagan(シャロン政権時代にモサド長官になり、対イラン作戦に従事)、Sir John Sawers (英国の情報機関 MI6長官)、Eard Corbin de Mangoux (フランスの情報機関DGSE長官)、Ernst Uhrlau (ドイツの情報機関 BND長官)。
欧州3カ国が参加している背景にはイランが核兵器とミサイルを持てば欧州が射程に入る可能性があるからだろう。記事では連合作戦が始まったのは2003年と書かれている。
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