元ナチス親衛隊(SS)将校アドルフ・アイヒマンの裁判を描いた映画だ。『ハンナ・アーレント』でも、実写のアイヒマンの裁判映像がドラマ映像の中に巧みに挿入されていたが、この作品ではさらに大胆に使われている。そのせいか、アイヒマンの人間性が浮かび上がってくる。1960年にアルゼンチンでアイヒマンが拘束され、61年にイスラエルで裁判にかけられることになり、4カ月にわたる、裁判の様子を逐一TVに流した。この映画は、その映像を撮った人たちの物語なのだ。
撮影の権利を得たアメリカ人の若いプロデューサー、ミルトン・フルックマンが、レッドパージにあって干されているアメリカ人のレオ・フルビィッツを監督に起用する。彼がイスラエル到着するとすでに、イスラエル人のクルーたちが顔をそろえる。ベテランのカメラマンは、ホロコーストから生還した人だという。
国の撮影許可はとったが、実際の撮影許可までには難問が控えていた。3日のうちに目立ちすぎるカメラを何とかしろというのだ。そこで彼らは、なんと透明なカメラにしようと、壁に穴をあけてその中にカメラを隠し、やっと許可がおりる。
新ナチ派からの脅迫、監督の「どこにでもいる平凡な男が……」という言葉に「私はアイヒマンではない」と反発するクルーたち。執ようにアイヒマンの表情に食い下がっていく様子は、鬼気せまるものがある。私もいつの間にか、いつ、どのような状況で、どんな顔でアイヒマンが自分の罪状を認めるかということに集中していく。
ハンナ・アーレントは、この裁判を傍聴し、友だちを失ってもアイヒマンを「凡庸な役人」「ただ命令されたことをしていただけ」と結論付けた。しかし、実際はどうだったのだろうか。ホロコーストの生還者が、次々証言台に立ち、今まで知られていなかった真実を語っていく。証言者の中には、話しながら気を失う人も。それでも被告は、「NO」と言い続ける。
思わず嘔吐しそうになったのが、法廷内での収容所でのユダヤ人の扱いの映像。このシーンを撮る前に監督は、法廷を暗くしてアイヒマンにのみ光を当てるように言う。そして上映された映像は、ナチスの将校たちが「ユダヤ人問題の最終的解決」と言っていた言葉に違わぬものだった。それを見ても感情を微塵も変えないアイヒマン。「(表情を)変えろ、変えろ」とつぶやく監督。あまりの酷さに、1人また1人と現場から姿を消すクルー。そして、ついに……。
あの無表情は、なんだろう。あれだけの証言を聞いて(映画では数人だが、実際は100人以上)、表情一つ変えない強い精神力は、本人に明確な信念があって、実行したとしか思えない。 この映画で初めて知ったことだが、監督が宿泊するホテルのそっけなかった女主人が、裁判中継放送後に彼に、感謝の言葉を述べる。それがなんと「これまでは、ホロコーストのことを話しても、信じてもらえなかった。やっと耳を傾けてくれるようになった」と。
それほど想像を絶することであり、この放送が、ナチスドイツの真実を世間に知らせるきっかけになったということだ。裁判の映像によって公開したことは、その後のナチスのやったことの解明などのきっかけを作ったのだ。映画の中でも裁判の初期は、ガガ―リンの宇宙飛行に人々の関心が集まり、がらんとした記者席が映し出されていた。しかし、裁判が進むにつれて関心は高まっていった。
「アイヒマンが捕まった」というニュースは覚えている。その日の裁判の終了直後に、世界37か国へテープを送って放送されたというが、私は見た記憶がない。そのはずである。当時の日本には配信されなかったのだ。敗戦国であり、ドイツとの同盟国である日本の61年とは、そんな世界情勢の中にいたのだ。そういう時代があり、そして戦後70年目の年にドイツではなく、英国でつくられたという意味を考える。
監督:ポール・アンドリュー・ウィリアムズ 全国展開中 96分 写真 クレジット:(c)Feelgood Films 2014 Ltd
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