ピエール・ベール著作集の個人全訳を成し遂げた野沢協さんが亡くなったのは昨年11月18日であった。私はその死を知らなかった。東大の仏文時代の旧友松原雅典からの年賀状によってはじめて私は彼の死を知った。なぜ私はその死を知らなかったのか。ほとんど新聞の見出しを眺める程度で、記事の中味を読みもしなくなったせいなのか。あるいは腰痛と高血圧に悩まされ、もっぱら自己への配慮に昨年中深入りしていたせいなのか。この忘れがたい人の死を私は知らずにいたのである。
仏文科の先輩である野沢さんから声を掛けられ、近づきになり、時には沢崎浩平らとともに彼の立派な書斎にまであがりこみ、夜を通して話をしたりしたのは1954年のことであったか、55年のことであったかはっきりしない。それは半世紀をこえる時の隔たりのせいだけではない。私は自分のキャリアーから仏文科時代を消し去ってきた。その時代のことをあえて語ることはなかった。野沢さんとの出会いがいつであったか不確かなのはそれゆえである。
1953年に仏文科に進学した私はすでに平和運動の活動家になっていた。その翌年の五月祭で原水爆禁止の署名運動をした私たちは戒告処分を受けた。私も研究室に呼び出され、主任教授 渡辺一夫から戒告処分を言い渡された。私はそれ以来教室に出ることはなかった。私たち大学を離れた活動家たちはスターリン批判からハンガリー動乱(1956年)という世界史的転換の過程をマイナーな形でそれぞれに体験していった。私が余儀なく教室にもどったのは56年であった。その翌年に私はどうにか仏文科を卒業した。それ以来この仏文科時代を自分から語ることをしていない。野沢さんの死を聞くことがなければ、私はこのような回想を書くことさえしなかったはずである。
この一月、野沢さんの死を知らされたとき、野沢さんとの邂逅とはあの時代の消し去ることのできない、消し去ってはならない唯一の記憶であることを思い知ったのである。彼は仏文科で居場所のない私などに声を掛け、ただ向こう意気だけの話の相手になってくれたりした。野沢さんはわずか三つ年上の先輩であったが、ガラス書棚一杯にフランス17,8世紀の思想文献資料を集めて、すでに若手専門家の風をなしていた。だが彼は決して教師風に語ることはなかった。むしろ私たちの話の聞き手に廻ることの方が多かった。しかしそのような付き合いを通じて私はいつしかピエール・ベールから、ドルバック、エルヴェシュース、そしてディドロにいたるフランス啓蒙思想家たち、あるいは懐疑主義的批判哲学の継承者たちの名前や仕事を知るようになっていったのである。
野沢さんは東大仏文科のフランス、すなわち象徴主義と小林秀雄たちのフランスとは別のもう一つのフランスがあることを私に教えたのである。私は東大仏文科のキャリアーとともに、そのフランスを消し去ろうとしてきた。だが野沢さんの死は、私の中に消し去ることのできない、消し去ってはならない大事な記憶として彼が伝えたもう一つのフランスがあることを教えたのである。
鳥井博郎は戦前の唯物論研究会のメンバーで三枝博音の「日本哲学全書」の編集に協力し、戦後明治思想史などを研究し、昭和28年に41歳の若さで死去した。その鳥井の著書に『ディドローフランス啓蒙思想への一研究』がある。戦中になされた彼の研究であろう。戦後すぐの23年4月に国土社から刊行された。私は恐らく野沢さんに教えられてこの書をディドロについての卒論を書く際に読んだのであろう。この書を私はずっと捨てずにもっている。野沢さん回想の文章を書きながら、この書を開いてみた。鳥井はピエール・ベールの懐疑主義についてこう書いている。
「彼の懐疑主義は底知れぬほど気味の悪いものを持っている。デカルトは最も確実なものを求めるための所謂方法的な懐疑に止まったし、又新しい真理の体系を樹てるまで「暫定的道徳」に頼ることを決心した。然しベイルはこういう便宜的な手段には頼らない。彼の意図するところは一切の既成的なものの隅々まで懐疑の眼を向けさせ、固結した一切の旧観念を一度は完全に解体させることにあったのである。」
これはベールの影響を最も大きく受けたアンシクロペヂストたちをもその前でたちどまらせ、自らを区別させざるをえなかったベールの徹底的な懐疑主義である。私がいま野沢さんとともに回想し、21世紀的世界の中で読み直したいとおもっているのは、このベールの徹底的な懐疑主義哲学である。それはベール著作集の個人全訳を終えて逝った野沢さんの遺志でもあるだろう。
[野沢協先生を偲ぶ会が今日4月30日、東京市ヶ谷の私学会館で開催された。東大仏文科時代の野沢さんを知るものとして、わずかに生き残る私に偲ぶ会での発言の役が回ってきた。昨日、大急ぎでこの回想の文章を書きあげた。今日会場で60年前の面影を残している野沢さんの遺影を見て私は安心した。]
子安宣邦 ( 近世日本思想史 大阪大学名誉教授 )
※本稿は子安氏のブログからの転載です。
※ピエール・ベール(Pierre Bayle, 1647年11月18日 - 1706年12月28日)は、フランスの哲学者、思想家。『歴史批評辞典』などを著して神学的な歴史観を懐疑的に分析し、啓蒙思想の先駆けとなった(ウィキペディア)
※野澤 協(のざわ きょう、1930年(昭和5年)2月1日- 2015年(平成27年)11月18日)は、日本のフランス文学者。17・18世紀フランス思想史を専攻。神奈川県鎌倉市生まれ。1953年(昭和28年)東京大学文学部仏文科卒。東京都立大学助教授、教授。駒澤大学でもフランス語講師を勤めた(ウィキペディア)
■子安宣邦さん 思想史家として近代日本の読み直しを進めながら、現代の諸問題についても積極的に発言している。東京、大阪、京都の市民講座で毎月、「論語」「仁斎・童子問」「歎異抄の近代」の講義をしている。近著『近代の超克とは何か』『和辻倫理学を読む』『日本人は中国をどう語ってきたか』(青土社) (子安氏のツイッターから)
■子安宣邦のブログ -思想史の仕事場からのメッセージ-
http://blog.livedoor.jp/nobukuni_koyasu/archives/49587022.html
■大川周明と「日本精神」の呼び出し2 〈大正〉を読む 子安宣邦(近世日本思想史 大阪大学名誉教授)
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201604241637430 ■大川周明と「日本精神」の呼び出し 1 〈大正〉を読む 子安宣邦 ( 近世日本思想史 大阪大学名誉教授 )
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201604241628210 ■「中国問題」と私のかかわり 〜語り終えざる講演の全文〜 子安宣邦(大阪大学名誉教授 近世日本思想史)
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201512072209271 ■<大正>を読む 子安宣邦 和辻と「偶像の再興」−津田批判としての和辻「日本古代文化」論
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201602111256064 ■丸山眞男「超国家主義の論理と心理」を読む 〜丸山の「超国家主義」論は何を見逃したか〜 子安宣邦(近世日本思想史 大阪大学名誉教授)
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201602112350414 ■「日本思想史の成立」について−「台湾思想史」を考えるに当たって 子安宣邦(近世日本思想史 大阪大学名誉教授)
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201602262033155
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