「子供のいない夫婦は犬に走る」と言われたりする。我々もそのくちかもしれない。全く犬猫には「素人」だったのが、まっしぐらに走ってしまった、その顛末記である。
ポチはタイの古都チェンマイでクリスマスに生まれた。父親はプードル、母親は多分テリアとシーズの血が混ざっている。飼主によれば、五匹誕生してそのなかの一番闊達そうな子犬だという。一日も早く見てみたいと頼んだが、実際に届けられたのは3か月たっていた。 親元で2−3か月は育てられた方がよい、ということすら当時の我々は分かっていなかった。だから無知からのスタートといっていい。
私自身はテレビの報道ニュースとドキュメンタリー番組の仕事に明け暮れていたから当然家を留守にすることも多い。妻がポチ飼育の主役であった。彼女はポチと出会った瞬間から「可愛い、可愛い」を連発し溺愛を開始した。一方私のほうはいささか冷めた目で見ていた。なにしろ、久しぶりに出張から帰ってくると、部屋中に新聞紙が敷いてありあちこちにおしっこの臭いがする。参ったなあという気分である。
ある日妻が「ポチが変だ、ベランダで苦しんでいる」と叫んだ。その頃にはトイレのしつけはかなりうまくいっていてベランダに置いたトレイにきちんとおしっこもウンチもやっていた。それが必死に排便しようとして体をうねらせている。息も荒くなり、いまにも倒れんばかりだ。 「アッ、お尻にコルクが詰まっている」 昨晩の赤ワインのコルクを飲み込んでしまったらしい。二人で夢中になってお尻の穴に指を突っ込み何とか掻き出した。排便ができたポチは何事もなかったかのようにはしゃぎだした。ホッとすると同時に大量の汗がしたたり落ちた。
このコルク事件がポチという生命体に正面から向き合い我を忘れて助けようとした最初の経験だった。そのとき私は初めて「可愛いなあ」と実感したのだった。男は腹を痛めて子供を実感しないから、その分女には勝てない。どうしたって勝てないものがある。女は母性愛を本能的に備わっていて生命体をまるごと受け入れる。それと比べれば父性愛はなにがしらの実体験と学習が必要なのだろう。
ポチは雌犬だ。雄でも雌でも名前はポチだ、と我々は決めていた。何故と訊かれたら困ってしまう。我々の子はポチという名が一番相応しいと直感しただけなのだ。
ポチは賢く好奇心旺盛で我々を楽しませてくれた。そして我々はポチをまさに家族として育て愛情を降り注いだ。
ポチのことを我々夫婦は「納得犬」と命名した。決して従順ではなかった。納得しないと異議を唱え反発し反抗した。だからいちいち説明し了解を求めることになる。会話の機会が圧倒的に増える。「待て」ができるようになる。これが相互理解の出発点だった。なんのためのマテなのか、マテのあとになにがくるのか。マテという単語だけでなくセンテンスを理解させるように話す。それを繰り返すと、いくつかの聞きなれた単語、語気、我々の表情としぐさ等からポチは全体の意味をつかみ始める。
ポチを迎えたバンコクの我が家はコンドミニアムでペット禁止であった。だから、我々は毛布にくるんだり大きめのカバンにポチを入れ、地下駐車場で車にのせ、敷地を出てから初めてポチに頭をだしてもいいよ、と話した。ポチはそのプロセスを理解して、外から帰ってくるときも自分から隠れるようになった。
それが噂としてひろがり、それだけ聞き分けがいい犬なら、ということで結局堂々と飼えるようになった。マテと英語のウエイト、タイ語のローコンが同じ意味と理解し、そこから三か国語のしゃべりがそれなりに分かるようにもなった。タイの英字紙「ネーション」がそれを聞きつけ大きな紹介記事を掲載するまでになった。
ポチは海が好きだった。海の臭いを感じ潮騒を察知すると勇み立った。木の棒を投げてやると、波を超えそれを咥えて浜辺に戻ってくる、無性にそれが嬉しいらしく何度でも催促してきた。 海に行けないときにはルンピニ公園の池に飛び込んでいった。アヒルにまざって泳ぎ、呼んでもなかなか帰ってこなかった。
我々は可能な限りどこにでも連れていくことにした。銀行、警察署、空港、デパート、公園、市場、水上マーケット、ペットショップ、 犬禁止のところも紐をつけ抱いていれば許可してくれるところが多かった。バンコクの真夏の暑さは尋常でない。アスファルトの熱がもろに伝わるから短足のポチには辛かろう。センサーで開閉するガラス戸のビルに入ると涼しいと学習したポチはその手の建物を見つけるとそれが高級マンションであろうがトヨタショールームであろうが臆せず入っていった。そして隅っこでぺったりおなかを床につけ冷やしてからまた次のビルへと散歩に出た。銀行では順番を並ぶ列に当たり前のように並んだ。我が家のあるトンロー界隈では、両親は無名だがポチは有名になった。そして我が家を近所の人々も「ポチの家」と呼ぶようになった。
ある日ポチは想像妊娠をした。三歳になった頃だった。散歩の道順に後ろ右足をあげマーキングして回ったり、まるでオスのような立ち振る舞いだったがやはりメスなのだ。胸が張っておっぱいも少々出る。乳幼犬の鳴き声をし、またそれをあやすような仕草がつづいた。そうか、こどもを産んでもよい年頃なのだ。迷った挙句避妊手術をおこなった。だが、ポチの母性がどんな発展をしていくのか、見られなくなったのは残念な気もしたし、なにやらポチの意思や本能を強引に無視する所作にも思え悩んだりもした。だが、この一件が私の哺乳動物への関心と探求心を猛烈に刺激したのは間違いない。
YouTubeには今日も犬猫はじめ動物の動画が数十だか数百だかアップされている。種を超えた動物の仲良し映像が人気を博し、子犬や子猫の愛くるしさはただ写っているだけで心和む。これってなんだろう。哺乳動物の多くは出産と育児に莫大なエネルギーを割く。生後間もない無防備な状態でいる幼獣には種を超えて保護してあげようという感情を抱くのは哺乳動物の本能なのだろう。
かくして私も遅まきながら若干の父性本能を刺激され、他の哺乳動物に大いなる親近感をもって観察し調査することを開始したのだった。最初に取り組んだのはアジア象、ついでコウモリである。
アジア象は体重が5トンに達する個体が生息する。陸上における最大の哺乳動物である。では最小の哺乳動物はなにかというとコウモリの一種(キティ―ブタバナコウモリ)とネズミの一種(トウキョウトガリネズミ)モグラ目のコビトジャコウネズミ等があげられる。体重は 2.0 ~ 2.5グラムである。こうしてみると、哺乳類の世界は体重差で2百万倍以上の開きをもっている果てしない広がりをもっていることがわかる。
宇崎真 (バンコク在住 ジャーナリスト)
■バンコクで犬を飼う タイの犬事情 宇崎真(バンコク在住のジャーナリスト)
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201605260245454
■バンコクで犬を飼う 私たち夫婦と動物たちとの生活が始まった 宇崎真(ジャーナリスト)
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201602291052061
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