フランスでは今年に入ってから大規模なデモや集会が起きている。その原因となっているのが社会党のバルス政権が試みている労働法改正である。労働者の解雇が簡単になり、残業代も激減し、これまでに比べて長時間労働も強制しやすくなるといった企業寄りの改革だとして労働者や市民、学生がデモを行ってきた。最近では製油所や原子力発電所でストライキを行ったり、航空会社の労組がストライキを行なったりするなど、フランス経済にも影響が出つつある。
そんな中、フランスの報道によれば労働法改正を進めているマニュエル・バルス首相が放った言葉が「デモは民主主義ではない。民主主義は投票にある」というもの。直訳すると、「民主主義は街頭にはない。民主主義は投票にある」となる。今、労働者や市民が町中で行っている抗議運動は民主主義ではない、と言っているのである。そして、2012年の大統領選挙と国会議員選挙で選ばれ、多数党を組織している自分たちが政府を作っていてその政府が法律を作っているのだから、民意は自分たちにある、と宣言したことを意味する。
かつてフランスの思想家、ジャン=ジャック・ルソーは直接民主制を推奨し、議会制民主主義の英国では「市民(有権者)は選挙の時しか自由ではなく、ひとたび議員が選出されたら、あとは奴隷に過ぎない」といったことを訴えていた。議員は選挙の時は「皆様にお願いします」と訴えるが、ひとたび選出されたら、公約は反故にするし、選挙の時に論じもしなかった重要なことを「有権者の支持をいただいたので」と始めたりする。こうしたことはフランスでも日本でも共通の問題となっている。2012年にオランド大統領に投票し、社会党の議員に投票した市民の多くが裏切られたと怒っているのである。
しかし、フランスの民衆が怒っていることにはさらに理由がある。マニュエル・バルス首相が議会下院で使った憲法49条3項のことだ。議会下院(日本の衆議院に相当)で政府(内閣)がある法案を通したくても多数決で否決されそうな場合に、首相の一声で多数決を経ずに法案を可決させることができるのである。これを政府への信任を求める、と言っている。政府(首相を首班とする内閣)を信任するなら、法案を可決させてもらう、という強硬な措置である。だから、もし法案を否決したければ「政府(内閣)不信任動議」を起こして、採決に持ち込むしかない。この場合の採決は1つの法案に関する採決ではなく、内閣全体の信任投票になる。内閣も自分の存在を賭した極めて異例の行動である。
今回で言えば労働法改正をめぐってバルス首相が憲法49条3項を適用して、多数決なしで可決させようとしたことに対して野党の共和党などから、「内閣不信任動議」が提出され、投票となった。結果は248票 VS 246票というわずか2票の僅差で内閣は信任となり、下院を改正労働法が通過することになった。(この後はセナ=上院で審議入り)。しかし、このような手は最後の最後の手立てであり、フランス憲法で認められているとは言うものの、民主主義からほとんど逸脱していると考えられている。そして、バルス首相は去年もこの手を使って法案を可決させているため、独裁的な動きだとして市民の強い批判を呼んでいるのだ。しかも、バルス首相を指名したオランド大統領は過去に「憲法49条3項は野蛮であり、民主主義の否定である」と発言している。またバルス首相もサルコジ政権下で野党だった2008年当時、憲法49条3項は財政などの一部の重要法案を除いては使用は禁止されるべきだと発言していたそうである。
フランス議会下院の質疑応答が始まったのが5月3日で、バルス首相が49条3項の適用を行ったのが10日だから、わずか一週間の審議である。フランスの労働のあり方を根本から変えるような法改正案である。これで議論を尽くしたと言えるだろうか。同じ社会党の中ですら、合意ができない法案なのである。こうしたことが市民が街頭でデモやストライキを行っていることの背景にある。労働法改正案は与党、社会党の中ですら多くの反対議員を抱え、そのために下院で採決したら多数決を得られる見込みがなく、そこで憲法49条3項を適用したのである。社会党の議員の中には労働法改正に反対しても、内閣不信任に対しては賛成できない、という議員も少なくなかったのだ。
フランスのリベラシオン紙によると、バルス首相は「個人的な見解に固執して労働法を改正しようとしているのではなく、フランス人にとってよいことだと信じるから進めている」と抗弁したとされる。一方、政府に反対する人々からは「民主主義なら街頭に人々が出てデモをしたりしない」と、バルス首相の言葉をもじったメッセージが出まわっている。
2014年に安倍首相が<消費税の10%への引き上げを2017年に確実にやるからそれでよいかどうか民意を問う>と衆院を解散した時、有権者の多くがあまりにも馬鹿馬鹿しいと見て、投票に行かなかった。その時の投票率が戦後の衆院議員選挙史上最低の数字、「52.66%」となったことは記憶に新しい。とくに20代は32.58%と3人に1人も投票していない。その時のイシューは「消費税」だとされたが、自民党が選挙で大勝した後に出てきたものは憲法の解釈や、安保法制など憲法に関わる重大な問題だった。それから慌てて日本各地の街頭で安保法制反対のデモが起きた。
今回のバルス首相の言葉「デモは民主主義ではない。民主主義は投票にある」は日本の有権者にも響いてくる言葉である。選挙で選ばれた議員で構成される政府が民意を無視した政治を行う。だから、市民が街に出て抗議を行う。しかし、いくらデモをしても力に限りがあり、一票の大切さには及ばない。
※法案に政府の信任をかける手続き(49条3項) 政府は下院での法案審議に際し、法案の表決に政府の信任をかけることができる。この場合、24時間以内に不信任動議が提出され、過半数の議員によって可決されないかぎり、法案は可決されたものとみなされる(2008年憲法改正により修正) 大山礼子著「フランスの政治制度」(改訂版)より。
■L'express Quand Manuel Valls voulait restreindre le 49.3 aux lois de Finances
http://www.lexpress.fr/actualite/politique/assemblees/quand-manuel-valls-voulait-restreindre-le-49-3-aux-lois-de-finances_1791211.html
■ジャン=ジャック・ルソー著「社会契約論」(中山元訳) 〜主権者とは誰か〜
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201401010114173
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