安倍政権は憲法9条の伝統的な解釈を改めて、集団的自衛権の行使を容認することを閣議決定し、それに基づいて安保法制を去年制定した。これが可能になったのは内閣が提出する法案が憲法にそっているかどうかを判断する内閣法制局長官が、安倍政権の解釈改憲を容認したからだった。
長年、集団的自衛権の行使を認めなかった内閣法制局が一転して認めるようになった理由は安倍首相が伝統的な解釈を支持する山本庸幸内閣法制局長官を解任して、後任に集団的自衛権を容認する小松一郎氏を起用し、小松氏が2014年に病気で職務遂行ができなくなると、さらに後任に集団的自衛権の行使を容認する横畠裕介氏を起用したからだった。安倍首相は本来、内閣をチェックする役割の内閣法制局長官の座に、長年の解釈を変えるために自分の意見と同じ人間を据えて、憲法解釈を一夜にして改めた歴史がある。それが2回続いたことに大いに注目すべきである。
この安倍政権の人事に対する直接的な政治介入はNHK経営委員の任命の時にも行われ、その結果、安倍政権の政策にノーと言わないことが大切だ、と考える籾井 勝人氏が会長に選任されることになった。これも人事によって一夜にして、その機構の性質を変える政治介入だったと言えよう。このような安倍首相の傾向を考えれば、今後にどのようなことが起きうるかを想像することができると思う。
もし自民党改憲案で改憲された場合には新たに緊急事態条項が加わり、テロや内乱その他の緊急事態に内閣が法律を自ら制定することが可能となる。そして、議会の承認が得られればその処置は合法ということになってしまう。この場合でも合憲性の判断が最高裁判所にゆだねられているのかどうかは、不明である。ここは曖昧になっており、曖昧だということは行政の恣意的な運用を招く可能性がある。
ここからは可能性の話だが、もし、最高裁判所長官をはじめ、安倍政権の方針に批判的な最高裁判事らが全員、緊急事態宣言の下で「国家の非常時に個人の人権に配慮しすぎで判事として適任ではない」として国会で弾劾され多数決で解任された場合(現在、自民・公明が多数派を占めている)、空いたポストを指名するのは内閣であり、安倍首相ということになる。そもそも裁判所判事を弾劾する際の法律として裁判官弾劾法があるが、自民党の新憲法で非常事態宣言が発令されれば、裁判官を弾劾できる理由や方法なども非常事態を念頭に法的に変更される恐れはないだろうか。
つまり、安倍首相の考えに同意する人間だけで最高裁判所長官と最高裁判所判事が構成される可能性があることである。最高裁の判事が全員、安倍首相のイエスマンになる、日本の近代政治史上これほど恐ろしい事態はあるまい。これは憲法6条で最高裁長官の指名権を内閣が持っていること、憲法79条で最高裁判事は内閣が任命する権限を持っていることによる。現存する最高裁の判事と長官をどんな形であれ排除できれば(病気であれ、不慮の事故であれ、弾劾であれ)、国会で多数派を得た政党のリーダーが(現在では安倍首相が)後任を選定することができる。そうなると、与党が行政はもとより、司法も統治することが可能になる。これは三権分立の完全崩壊を意味する。緊急事態条項は打ち出の小槌となりえるのである。
憲法学者・樋口陽一氏の「憲法と国家」(岩波新書 2009年 第八刷判)によると、日本の最高裁判事は政治任命と言いながら、実質的にはそうではなかった、と説明されている。いったいどういうことかというと、次のくだりである。
「日本の最高裁の裁判官は、実質的に見て、また、その基本部分について、「政治的機関より政治的モチーフにもとづいて」選任されていない。よかれ悪しかれ、そうなってはいない。キャリア・システムにもとづく昇進のすえに、最高裁に選任される裁判官が、裁判所の骨格を占めている」
樋口氏によると、本来、内閣によって指名される最高裁長官にせよ、最高裁判事にせよ、極端に政治色の強い意図的な任命は避けられてきた。その理由は裁判所の中のキャリアシステムから推薦された人物を内閣が承認して、任命するのがこれまでの慣例だったということである。とはいえ、それは憲法に書き込まれていることではなく、あくまでこれまでそうしてきた、というだけなのである。日本の民主主義のアキレス腱がまさに最高裁長官の指名権と最高裁判事の任命権を内閣が握っていることである。これは普通に考えたら憲法の穴ともいえる箇所で、それが顕在化しなかったのは戦後の首相がそのような手荒なことを自発的にしなかっただけなのだ。 先述の通り、安倍首相は革命と言ってもいいような人事への政治介入をいとわない政治家である。むしろ、戦後レジームを否定している政治家なのだから、これまでの戦後民主主義を支えてきた慣例などはためらいもなく一蹴することができるだろう。
アメリカの場合、最高裁判事を大統領が指名しても、議会の承認がなくては決定できないシステムになっている。そこにしっかりとしたチェック機能が働いているのだ。これは米憲法がフランスの政治思想家モンテスキューの権力分立の思想を重視し、いかなる権力も絶対的かつ独占的な支配力を行使できないための制度的工夫を取り入れているということである。
日本の憲法では議会の承認は要求されていない。最高裁判事や長官をチェックするのは選挙の際に国民が行う○×の投票である。ところが、驚くことにこの最高裁判事のチェックを行うための現行憲法の条項が、自民党改憲案では削られて(改正案79条2項)、「別途法律で定めるところにより」とされている。その法律がどのようなものかは不明だが、本来、脆弱だった最高裁判所に対するチェック機能がさらに弱まる可能性があるのだ。そして、先ほども述べた通り、緊急事態宣言がなされると、内閣が法律を作ることが認められるため、法律の改変で国民の最高裁へのチェック制度も骨抜きにできるだろう。このような観点から見れば自民党改憲案は真性の独裁国家に道を開く可能性が大いにあると見なければならないだろう。
※報道によれば安倍首相は憲法裁判所の設立をほのめかしたそうだが、内閣法制局長官の人事に見られるように、いかに優れた制度を作ろうと、一部の特異な考え方の法律家を長官に据えればもはや法治国家ではなく、人治国家ということになる。
■自民党の憲法改正案 (平成24年決定 自民党憲法改正推進本部)
http://www.jimin.jp/policy/policy_topics/pdf/seisaku-109.pdf
■モンテスキュー著「法の精神」 〜「権力分立」は日本でなぜ実現できないか〜
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201312260209124 ■山口定著「ファシズム」2 〜全権授与法(全権委任法)と国家総動員法〜
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201312031412342 ■山口定著「ファシズム」(岩波書店)
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201307301109292
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