プルーストの長大な作品「失われた時を求めて」は日本語訳された文庫で14冊〜15冊くらいあったと思います。これを全部読むのはなかなか大変です。でも、僕が懇意にしていただいていたフランスの書店主は「本と言うものは読むのがしんどいところは読み飛ばすものですよ」とよく言っていたものです。読むのが大変になって苦痛になって、ページが停まってしまったまま、永遠にそこでストップするよりも、そこは一気に飛ばして、次の面白くなるところから再び読み続けて最後まで行く方が実りがあるということだと思います。そして、あとで余裕が出たら、読み飛ばしたところを読み足せばよいのです。このことを書店主はsauter(飛ぶ)という単語を使って教えてくれました。これはバッタが地面から飛び立つイメージです。日本語でも「飛ばし読み」と「飛」の字を使うところは同じですね。
「フランスで『失われた時を求めて』を読んだ人の多くがそうやって飛ばし読みをしているのよ。でも、本当に好きになった人は一度読んだあと、もう一度読み始めて何度でも繰り返し読んでいる人もいます」
このフランスの書店主さんは出版関係の夕食のパーティでも「嫌いな食べものに無理して手をつける必要はない」と常々僕に耳打ちしてくれたものでした。自分が好きでもないものを無理に「好きだ」という必要はないというはっきりした精神がそこにはあります。日本人の中には本当は好きではないのに、周りの仲間や親や家族がいいというから、つきあって「いい」と言っているところがありませんか。facebookやtwitterなどでも、「いいね」マークがたくさんついていると、自分も「いいね」しないといけない、と思いがちですが、そういうことは全く必要がないし、むしろ不毛だという考え方がそこにはあります。
日本人の几帳面さは読書の仕方にも影響している可能性があり、最初の一ページ目から一言一句全部読まないといけない、と思い込んでいる人が多いかもしれません。それで最後まで読めればよいのですが、そういう読み方をしていて最初の50ページでダウンして永久に読む機会を失ってしまう可能性があります。
僕自身も中学生だった頃、大作のトルストイ作『戦争と平和』を読み始めて、ストップしてしまったことがありました。新潮社の文庫は表紙にトルストイの顔写真がプリントされていて分厚い文庫で4冊あるんです。4冊それぞれトルストイの顔写真の色が違っていたのがデザインの工夫でしょうか。その当時、黒澤明監督がNHKの番組で聞き手の原田美枝子さんに「『戦争と平和』は実に面白い。僕は映画を撮影した後、病院に入院しているときにいつも『戦争と平和』を読むことにしているから、通算で15回は読んだかな」と話しているのを聞いたのがきっかけでした。
しかし、書店で「戦争と平和」を買ってきて家で読んでみると面白い場面もあるけれど、退屈なところが50ページくらい平気で続くところもあるのです。当時の僕が退屈だった個所はナポレオン戦争の意味をトルストイが解説している下りで、その辺は小説と言うより、政治学や歴史学あるいは哲学の講義みたいなところなのです。年を取った今ならもしかすると面白く読めるところかもしれませんが、14〜15歳の少年にとってはなかなか味わうだけの知識がありませんでした。そういうところが、分厚い文庫本全4冊の中で数回出てきます。僕もそこで止まったまま半年くらい経ってしまいましたが、気を取り直して、そこはかなり適当に読んでなんとか最後まで読み終えることができました。
こうした大作は若い頃に読む時は全部味わえる、と思わず、年を経て、味わいが変わってくること、経験に応じて面白さが変わってくることを考えればよいのです。だから几帳面に全部を同じ丁寧さで読まなくてもよいのです。むしろ、本と長く付き合っていくことを考えれば最初の1回目は多少ずぼらな読み方でも、最後まで読み終えて「読んだ」と思える方がはるかに有益でしょう。
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