今年、フランスで大ヒットしたドキュメンタリー映画が「メルシー、パトロン!」(ありがとう、経営者さま)です。映画館は爆笑の渦です。監督は左翼新聞「Fakir」の創刊者で編集長のフランソワ・リュファン氏、40歳くらいの精力的なジャーナリストで、映画を作ったのは今回が初めて。活字の世界の人がなぜ映画を作ったかと言えば、アメリカのドキュメンタリー映画監督のマイケル・ムーアに大いに刺激されたからだと言います。
https://www.youtube.com/watch?v=j3Z5jK7y2GE 「メルシー、パトロン!」はフランスのある服飾関連の工場が労賃の安い東欧に移転したため、労働者たちは失業して町も疲弊している、そんな地方の町を舞台にしています。借金で家を失いそうになっている老夫婦にリュファン監督が知恵を授け、工場移転を決定した経営者で、フランス一二を争う大富豪であるベルナール・アルノー氏を追いかけ、補償を得るという話。隠し撮りもある、あくの強いコメディタッチの映画です。ベルナール・アルノー氏は「ファッション界の法王」と呼ばれ、ディオールやルイ・ヴィトンなど数々のブランドを傘下に収める企業グループLVMH(モエ ヘネシー・ルイ ヴィトン)の会長であり、トップです。
マイケル・ムーア監督の初期の映画に「ロジャー&ミー」という映画がありますが、「メルシー・パトロン!」も、この映画によく似ています。リュファン監督もその影響を隠していません。「ロジャー&ミー」のロジャーとはアメリカのGM(ゼネラル・モーターズ)の会長だったロジャー・スミスです。ロジャー・スミス会長がムーア監督の故郷、ミシガン州フリントにあったGMの自動車工場をメキシコに移転する決定をしたため、町が3年間の間にどんどん疲弊していく姿を映しています。これはとても恐ろしいです。ムーア監督自身の親や祖父たちもGM工場の労働者だったのです。ですから、さびれていく町は他人事ではなかったのです。一方、GMは労賃が安いメキシコに工場移転したことで利益が拡大することになりました。一方には失業者がたくさん出て疲弊した故郷の町があり、一方で移転で利益を拡大した経営者がいる、ということで憤慨したムーア監督が自ら映画に登場して株主総会まで出かけ、ロジャー・スミス会長に、アポイントなしで迫っていく果敢なドキュメンタリー映画です。
今年フランスで公開された「メルシー・パトロン!」も、同じ基本構造を持っています。フランスは欧州連合に加盟したことで、この映画でも描かれていますが、フランス国内の工場が労賃の安い東欧その他に移転し、空洞化が起きています。さらに金融危機の影響もあり、失業者がなかなか減らず、厳しい時代にあります。こういう時代に労働者と経営者の力関係が変わってきて、どんどん経営者の力が増してきて、労働現場が変質しつつある。そこをなんとかできないか・・。この映画はそうした問題意識で撮影されたそうです。困っている人に夢や希望を与える映画が作りたいのだと。それで大企業グループの総帥を相手に、監督自ら陰の指南役として登場して、あの手この手と意表を突く作戦を敢行するのです。
フランソワ・リュファン監督はまだ20代の半ばに「Fakir」(ファキル)という新聞を創刊しましたが、この新聞の特徴は「行動するための情報源である」ということにあります。単純に好奇心を満たすためのメディアではなく、不当に失業した労働者や困っている人たちの悩みに耳を傾け、それを書くだけではなく、彼らを救う手助けも新聞スタッフがしてきたそうです。たとえば労働裁判があると裁判所まで出かけて労働者に寄り添う、というような取り組みだったようです。今回、初めて映画を監督したリュファン氏ですが、マイケル・ムーア監督と同様に自ら画面に登場して失業した老夫婦に寄り添い、補償を得るための指南をしています。その模様をユーモアをたっぷり込めて喜劇的に撮影しています。恐らくは20代から活字でやってきたことの延長線上にあるのでしょう。
http://www.fakirpresse.info/ この映画の冒頭でフランス人であるLVMH会長のベルナール・アルノー氏がベルギーの国籍を申請するくだりが出てきます。なぜベルギーかと言えば隣国でありながら、富裕層に対する税金がフランスより安いからです。フランスの大富豪が税金対策で国籍を移そうとしているということで当然ながら非難が押し寄せました。というのもアルノー氏が利益を得てきたものはもともとフランス文化だったはずであり、それはフランス人の富ということもできるからです。これは2012年のことで、なぜアルノー氏がそのような行動に出たかと言えば、その年の5月に大統領に選ばれた社会党のフランソワ・オランド大統領が大富豪(年収100万ユーロ以上の所得者)には累進課税として所得税の税率をそれまでの40%から75%に引き上げる方針を決定したからでした。その頃、俳優のジェラール・ドパルデュー氏も累進課税があんまりだとしてプーチン大統領から特別にロシアの市民権を得た、というようなことも報じられました。そして、実際に累進課税を嫌って国籍を移そうとする富豪が続々と出て、やむなくオランド政権はこの累進課税を後に取りやめています。フランソワ・リュファン監督はこの映画を3年がかりで制作したとされ、逆算してみると、まさにこの累進課税問題から映画が始まっていることが明らかで、リュファン監督の問題意識をストレートに示すものです。
村上良太
※LVMHのアルノー氏、ベルギー国籍取得を断念(フランスニュースダイジェスト)
http://www.newsdigest.fr/newsfr/actualites/tabloid-news/5671-974.html
※仏「税率75%」避け富裕層脱出 ベルギー国籍、倍増126人(日経)
http://www.nikkei.com/article/DGXNASGM0807W_Z00C13A1FF2000/
※フランス富裕層「75%課税」はついに断念?
http://www.newsweekjapan.jp/stories/business/2013/01/75.php 「同国のオランド政権は、年収100万ユーロを超える高額所得者に対して税率75%を課すという増税策を提案していたが、12月末に待ったがかかった。フランスの法律や条約に関する違憲審査を行う憲法会議がこの法案は違憲であるとの判断を下したのだ。同法案は国内の富裕層から猛烈な反発を招いた。国民的俳優ジェラール・ドパルデューもそんな反対派の一人。抗議だけではおさまらず、フランス国籍を返上してロシア国籍を取得してしまった。」(ニューズウィーク)
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