福島第一原発事故から5年。山菜やキノコ類、食べられなくなったものはたくさんあるが、私にとってはジビエ料理が食べられなくなったのが最も辛い。中でも鴨。
新潟で暮らしている頃、猟が解禁になるといただくことがあり、母が料理をしてくれていたが、主に鴨鍋で、取り立てて感動したことはなかった。画廊で仕事をしていた頃は美術評論家を招いて会食する機会が多く、ある時、銀座の煉瓦亭で鴨のソテーとオレンジソース添えをいただいた。衝撃だった。これからは鴨南蛮や鴨鍋ではなく、鴨はソテーに限る、できれば柑橘系のソースと合わせようと思った。そして、初めてフランスに行った時、ツールダルジャンに行く程のお金はなかったが、ロワール地方のレストランで、鴨料理を迷わずオーダー。そこでは鴨のソテーに血のソース添え。これがまた美味しい。テーブルサイドで鴨をクラッシュして血を絞り出し、鴨肉をソテーしてくれるのだが、フランス人も命を丸ごと頂く国民なのだと、ワクワクして料理人の手元を見ていたのを覚えている。
子育て中、合鴨に雑草や田んぼの虫を食べてもらう合鴨農法がはしりだった。加入していた大地を守る会で、合鴨のオーナーを募集していた。5000円を払うと、クリスマスに合鴨が一羽届けられると聞いて直ぐに応募。丸々と太った合鴨の到着を待った。友人の家族までご招待して張り切っていた。ところが、我が家に届いた合鴨は四方に脚と羽先を広げた小さな小さな可哀想な裸の物体だった。考えてみれば、春生まれて直ぐに水田に放たれ、お米を収穫する頃にはお役ご免になる鳥たち。大きくなるまで命を繋ぐには、大量の餌が必要。無用になった鳥たちに餌をあげるほど、人間は寛容ではなかったのだ。そんな酷い話を子どもたちにしたかどうか、その頃は「命をいただく」というフレーズに心酔していたから話したかも知れない。「生きるって残酷なこと」私も可愛がっていた鶏がご馳走として出てきた時の衝撃で、おとなを嫌いになったのだから。
その後も合鴨はもちろんメニューに鴨があれば迷わず注文するという、鴨との関係は続いている。葛西臨海公園にバードウォッチングに行った際も、鴨に「我が家においで!歓迎するわよ」と呼びかけて係員に「不謹慎」のそしりを受けた。きっと鴨たちは私のことが嫌いに違いない。
木村結 (東電株主代表訴訟 事務局長)
脱原発・東電株主運動
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