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橋本勝21世紀風刺絵日記
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2016年10月22日14時29分掲載
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文化
【核を詠う】(特別篇2)『原爆歌集ながさき』を読む(1)「今年(こぞ)も又 ものぐるほしく なりぬらむ 八月の空 夏雲の立つ」 山崎芳彦
今回から『原爆歌集ながさき』(長崎歌人会・岡本吉郎編、昭和42年8月9日発行)の作品を読み、記録するが、この連載の「特別篇2」とさせていただく。この連載の中で歌集『廣島』を「特別篇」として読んだため「特別篇2」とした。歌集『廣島』は昭和29年に発行されたが、『原爆歌集ながさき』はその13年後の発行である。当時の長崎歌人会会長として同歌集の発行に取り組み、編者・刊行者となっている岡本吉郎氏は、「長い間の願いであった原爆歌集ができてうれしく思います。…この本を発刊することを得て、私の心にかかることは何もありません。」と記しているが、おそらくは長崎歌人として「原爆歌集」を一巻としてまとめたい思いがかなって、同歌集編集委員とともに万感迫るものがあったことと推察する。同歌集を手にもって読みたいと願って探しもとめていた筆者としても、このほどようやくそれがかなって、この連載に採録できることを、喜びとしている。
岡本氏が同歌集に記している「原爆歌集発刊に際して」の全文を転載させていただく。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ *原爆歌集発刊に際して* 長い間の願いであった原爆歌集ができてうれしく思います。 原爆という世界に類のない悲惨な破壊が、人間の手で行われた場所、そしてその惨害を蒙った人々、またその子孫の住むこの長崎も、すでに二十幾年の歳月を経ています。今はすでに息吹き新しい街―長崎になってはいるが、あの原爆の悲劇はまだこの街の底流として消えることはありますまい。 その土を踏み、その壁に触れ、その大気に息づいて来た人々が、それぞれの思いを三十一文字にこめたその結晶が今度の歌集となったのです。 故人に手向けられる限りない追慕と一にぎりの土に寄せられる尽きせぬ思い出、傷ついた人々の未来への願い、それらが「調べ」となっているのであります。 だから、本は世に言う歌人の歌の集まりではなく一首の歌に素朴な祈りをこめて歌いこんだひとりひとりの心のつゝ゛りで堰き止められていた切なさを待ちかまえていたかのように、ぶちまけた感情のほとばしりであります。新しい作品、古い作品が混然一体となって流れています。従って、歌そのものの良否を云々する本ではありません。 あるいはまた、あの歌人が抜けている、あの人の歌が見当らないと指摘されることもあるかも知れませんが、私たちは百方手を尽したつもりです。この点ご諒承いただきたいと思います。 原爆歌集[ながさき] ここにこの本を発刊することを得て、私の心にかかるものは何もありません。 長崎で発刊された長崎に住む人々の原爆歌集、それは、この本の外にはないと思うからです。 昭和四十二年七月十六日 長崎歌人会会長 岡本吉郎 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
また、同歌集の編集委員会の「編集委員として」の文章も残されているので、次回にその全文を記録するが、その中で、「『人間の肉体は破壊できても、人間の魂は破壊できない』ともある人は言っていますが、人間の魂に食いこんだ原爆の惨禍は、事実その体験者には生涯忘れることのできないほどの強烈さで、鮮明に灼きつけられている。でもそれだけではいけないのです。/たとえ、その体験者が全部死に絶えたとしても、必ずそれを受け継ぐ者がでてきて、さらにその惨を叫び、その禁止に身を投じなければならないと思います。」と記している。その一つとして、原爆投下後22年を経て、原爆によって殺された多くの人びとの言葉に残せない無念を引き受け、生き延びて原爆被爆によるさまざまな苦難のなかにあって、やむことのない核の時代への怒りと向かい合って長崎の歌人として歌い続けた作品を集め『原爆歌集ながさき』を完成させた、そしてさらに原爆の無残を歌い続ける礎をなしたものだと思いながら、筆者は読み、記録しようとしている。
『原爆歌集ながさき』には85名が出詠しているが、「一人10首を基準として、アイウエオ順に収め、5首以下の分は編集の都合上、そのあとにならべました。」(編集委員会)とされている。この歌集刊行からすでに50年を経ようとしている。故人となられた作者が多いと思われるが、敬意と哀悼の思いを捧げながら作品を読みたい。
◇天地 阿部良子 天地(あめつち)も畢(おは)りと覚ゆ一閃に地上のものは潰(つひ)え果てにし 何事のおこりしならむ閃光にこれまでとこそ身を伏せにける 底ひなき破壊といはむ死といはむプラトニウムの一撃にして 敵もなし味方をもなし原子力に人の滅ぶる刻近づけり 阿鼻叫喚地獄といふややけただれ息も絶へ絶へ助呼ぶ声 ししむらはやけただれつつ水欲りて苦悶の息をひきとりゆける 爆心地通りてゆくもかくまでと連れの媼はすすり泣きけり 幾万の営為の跡もとどめざるくすぶり熄まぬ異臭の焦土 草も木も生へぬと言ひし爆心の焦土に芽ぐむ春めぐり来て たまゆらに消えし無慙の精霊よ平和の神と蘇り給へ
◇原爆逃避行 有田秀子 閃光の瞬時に潰えし吾家の畳の上に空青かりき 夜の壕に屎尿の桶はにほひつつ打ちくだかれし戦勝の夢 籠ごとのトマト盗られし被爆日の壕の真闇を今も忘れず 生まるべき児の物のみを背に負ひ崩れし家に釘打ちて発つ 命ありて逃げ行く道の溝ふちに見てしまひたりむくろの裸形 閃光の余燼の巷足早にのがれゆきつつ陽も沈みたり 夜もすがら越え来し峠はるかなりいりこ干場に朝をまどろむ 何事もなかりし如く朝明けて簀子の下に潮満ちて来つ 身重なれば歩幅小さく歩み継ぎかにかく来り十里の炎天を 胎内被曝を死因となせしみどり児の命口惜しき夏めぐり来ぬ
◇炎たつ町 天野忠弘 耳にメガホン当てて聴きをり襲ひ来し敵機B29の音なるか 北東に白き雲湧き地上より土煙立つ一瞬のこと 炎たち燃えゆく町を監視所の伝声管より壕に通知す ああ今は吾等生きたり声よびて壕に駆け下る五階の階段 涯しなく黄に潰えたる街址に水道栓は噴き上げてをる コンクリートの外部残る焼原にすでに幾つか家の建ちたり 焼釘のすぐに曲がるをのばしつつ日ねもす打ちてそれを憤らず 河に沿ふトタン壁に一つの窓開けて鷗浮べる流れに向ふ 焼原は立つ樹なければ風の音知る術なしと永井隆いふ 並みよろふ長崎の山は嘗ての日軍がこもれば変形せり
◇ペトロ・マリヤ 秋月辰一郎 助けてと 吾が衣とりて 息絶えし 若き教師の 腕はくろずむ 黒ずみて 教師の息の 絶えんとす 「くすりなきかと」 妻泣きくずる 黒々と 人々の斃れし 病院に 秋草高く 虫の音しげし ひときわに 幾万のいのち やきつくす今年の今日の 静かなるかも 新しき 世を見ずゆきし ペトロ・マリヤ 天皇を迎へて 涙あらたなり ザべリオの 行列に吾は 黙しおり この世は悲し 酷きこと多し 今年(こぞ)も又 ものぐるほしく なりぬらむ 八月の空 夏雲の立つ
◇視界零 有冨玉代 爆音と同時にこの世の破壊音すさまじくして視界零なり 新型爆弾だと息つまらせてかがみ居れば火事はそこまで燃えてきてゐる 爆弾だと用意も早く走り出すわが夫は救護病院長の重責にあり 世の常の夫は妻子を伴ひて安息の場所へとのぼり行く見ゆ 被爆して死につつある息子はそのままに一般被爆者の治療に夫は出て行く 瓦礫の街通りつつふとわきを見れば焼け爛れたる人の屯す わが夫は爆弾落ちしより毎日を夜の十二時迄救護病院に積む 土手に腰かけ目は見開らきて動かざる彼の青年は死してありしか 幼な児の死体かあはれ浮き沈み流れゆく見ゆ稲佐の川に 炎天下に倒れゐる男の額の傷のグツグツと音して蛆虫沸き居り
◇臨御の靴音 故 有冨星葉 原子禍の病臥永井に添ひて立つややありて臨御の靴音きこゆ 無条件降伏といふその明日のあかときにしてみまかりぬ、子は 医師にして且つ父なれや原子禍のすべもすべなき命看とりぬ 火の粉降るまひるの街を父われに付添はれつつ柩は行きぬ 見下ろしの廃墟の街も建ち初めしバラックゆえに足らずしもなし なまなかの迎合ならず原子禍にうしなひし子への大き諦め 恙なし原子爆弾一閃を浴びし命のわれつつがなし 恙なく生きつつ原子爆弾の患者に対ふわが現実(うつつ)なり 焼跡の瓦礫を抽きて咲き競ふ菜の花みれば思ひ新らし おもふことみな遥かなりこの丘の裾のべにしてミサの鐘なる
◇閃光 一瀬 理 胸ふかく孤り閃光を想ふのみ原子爆弾落ちし地は美しく 中心地を流るる川の古き石原爆以前のさまにくろずむ 雨ののち水量豊かに流れゆく浦上川の清きみなもと 緑橋渡りて原爆中心地の苑に入り来ぬ草いきれ濃し 胸熱く見てゐつ原爆公園の清掃人夫にケロイドの女 蛇紋石の原爆の塔美しと仰ぐや戦を知らぬ少年ら 夏の日に原爆の青き塔ひかり外人親子三人が仰ぐ 蛇紋石の原爆塔の空青く八月九日また近づきつ バス賃を払ふと出ししケロイドの手をぬすみ見つかの日近づく 半身に広きケロイド持つ弟めとらざるまま孤独を希ふ
◇原爆・その後 岩本喜十 (西浦上小学校に於て被曝、同僚四人を失ふ) 手作りの柩を並べ暑き日の光の中に友を焼きたり 友四人焼くる炎にせめてもと奉安殿の裂けし板をくぶ もろもろの死骸の中に母と子が臍の緒につながり日に曝らさるる 防空壕に生きゐる教へ子を見にしかどその大方の生き死にを知らず 平和像除幕終れば自から「原爆許すまじ」の歌声あがる 吾が焼きし四人の友は笑顔にて黙祷の間の眼に甦へる 白血病やみて忽ち乙女死す被爆二十年もたちしこの夏 友四人焼きたることも原爆症怖るることもわがうちに秘む 原爆の惨禍を知らぬ子どもらが「あの子らの碑」を清く祭れり モンペ着て合掌をせる童女像放射能雨は幾度か濡らす
◇迫り来る火 内田綾子 迫り来る火は下敷きの子を焼かんとす狂気の如く泣き叫ぶ母 苦しみのうめきの中に次々と恐怖の淵に追はれ行く人 水!!水!!と彼方此方の叫び声次第に消えて命絶え行く 生きた身の疵にわく虫うごめきて痛むか早く取りて呉れよと 母を子を苦しき余り呼び求む死臭ただよふ地獄絵の中 阿鼻叫喚此の世の地獄腕の皮つるりとむけてぶら下り居り 原爆を母体のなかで受けし子の身にいまわしき爪の残りて 爆心の地とも思へぬ復興に平和の鳩よとこしへに舞へ 一瞬に地獄と化せし其日より苦しみの日よいつ迄続く いつ癒ゆるとも知れぬ主の原子病子を育てつゝ君は待ち居り
次回も『原爆歌集ながさき』を読み継いでいく。 (つづく)
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