世界の一線で活躍してきたパリの写真通信社MYOPに所属する報道写真家アラン・ケレール氏(Alain Keler)。彼は今、フォトジャーナリズムについての思いを「写真家の日誌」(Journal d'un photographe)として書き記しています。今回はハイチの取材写真から。ケレール氏は1986年、暴動が多発するハイチに飛びました。父親に次いで独裁者となり15年間統治した大統領のジャン=クロード・デュヴァリエが市民の怒りによる暴動から、ついにパリへ亡命して去っていった時のハイチを撮影しています。飢えた市民による略奪、軍のパトロール、死者などです。以下はケレール氏のエッセイです。報道においては「現場で」画像・映像を撮影するジャーナリストと、それを受けて編集に組み入れるマスメディアの編集者との間で「意味付け」をめぐって葛藤が起きうることを示しています。
Journal d'un photographe / Le photographe n'est qu'un messager, un passeur d'images / Haiti / 02-1986. Dimanche 9 fevrier 1986.
写真家の日誌。写真家にとっては写真がメッセージであり、それがすべて。ハイチ。1986年2月9日、日曜。
Haiti est dans un etat insurrectionnel apres le depart de Baby Doc. La pauvrete de ce pays est telle que des centaines de personnes pillent tout ce qu’ils peuvent prendre, de la nourriture aux biens de consommation.
「ベビー・ドク」(独裁者ジャン=クロード・デュヴァリエ大統領=当時=のニックネーム)がハイチを去ったあと、騒乱状態となった。ハイチの極貧ぶりは目を覆わんばかりで、何百人もの人々が手に入るものなら何でも略奪して持ち帰っていく。食料品から様々な消費財まで何でもだ。
Souvent l’armee tire, ou arrete des personnes prises avec des marchandises derobees, mais il arrive aussi qu’ils laissent sortir sans les inquieter des pillards.Que photographier dans ces circonstances. Nos images peuvent etre mal interpretees, il faut donc etre prudents. Mais comment etre prudent dans des situations aussi exceptionnelles sans se censurer. Eternel dilemme qui accompagnera la vie de nombreux photographes. Plaire ou ne pas plaire. Mais plaire a qui ? Comment rendre compte d’un evenement tel que le pillage de magasins et d’entrepots par une foule qui n’a jamais eu acces a ces biens de consommation, qui a du mal a nourrir leurs enfants ?
しばしば軍は彼らに発砲した。また、盗んだ品々を抱えた人々を逮捕した。しかしまた、略奪者たちを困らせないように見逃すこともあった。このような状況でいかに撮影すべきなのか。我々の写真は悪く解釈される可能性を孕んでいる。だから、慎重でなければならない。それでも自己検閲をせずに、どのような形の慎重さを取りえるというのか。これは数多くの写真家を絶えず悩ませるジレンマだ。人に好感を抱いてもらえるか、もらえないか。だが、それはいったい誰に対してなのか? 食料品店や倉庫に略奪にやってくるのは食料品を買うことができない貧しい人々なのだ。彼らの子供たちはひもじい思いをしているのである。いったい、彼らにその罪を着せるのは正当なのか。
Comment maitriser l’interpretation de nos images par des magazines pas toujours intellectuellement honnetes ? Je n’ai pas beaucoup de reponses. Il y a d’abord la legende qui accompagnera ces images. Elle est primordiale, mais ne sera pas forcement utilisee. Les interpretations seront multiples et inverifiables car l’utilisateur lointain pourra leur faire dire ce qu’il veut. Le photographe ne sera pas la pour verifier. Souvent les images sont detournees, et seule une parution controlee par le photographe retablira la verite. Ce sera un livre, rare car cher , realiser, un portfolio dans un magazine. Le photographe n’est qu’un messager, un passeur d’images. Un solitaire qui raconte avec ses yeux et son coeur sa vision d’un monde en pleine mutation.
いつも必ず知的に誠実とは限らない雑誌(の編集者ら)に対して、我々が撮影した写真を販売して委ねるとき、どのようにして、その解釈を我々の意図したものに保つことができるか。私はそれに対して多くの答えを持っているわけではない。まず、それらの写真にはもともと写真家によるキャプションがつけられている。それは非常に大切なものではあるのだが、しかし、必ずしも公開の際に写真につけられるわけではない。写真の解釈の仕方は無数にあり、その解釈が正しいかどうかを確認しようがない。というのも現場から遠く離れた編集者たちは自分たちが欲するところに従って写真を意味付けするからである。その編集の場に写真家が確認のために居合わせるわけではないのだ。しばしば、写真は都合よく意味を変えられてしまう。写真家が自ら内容をコントロールする時だけが真実を保証できるのだ。それができるのは、たとえば本の出版だが、これは経済的なハードルがとても高い。もう一つは一度に複数の写真を掲載できる雑誌の写真集ということになるだろう。写真家は写真を通してメッセージを伝えるだけだ。刻々と変わりゆく世界の瞬間を眼と心で切り取って語る孤独な存在だ。
http://alain-keler.tumblr.com/post/152417660015/dimanche-9-février-1986-haïti-est-dans-un-état
文・写真 報道写真家、アラン・ケレール(Alain Keler) パリの写真通信社,MYOPに所属 MYOPには報道写真家およそ20人が所属
■「写真家の日誌」 報道写真家、アラン・ケレール(Alain Keler) 政治家が国民を捨てても何とも思わぬ国の姿
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201610312140441
■ハリケーンに襲われたハイチ グローバリズムで主要穀物のコメの農業が打撃を受けていた 「マイアミライス」の大量流入とビル・クリントン元大統領の謝罪
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201610121535523
■ハン・ヨンスの写真 Photographs of Han Youngsoo 村上良太
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201507241828185
■ハン・ヨンスの写真2 Photographs of Han Youngsoo 2 〜懐かしさの理由 Why do I feel nostalgia? 〜
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201508071129485
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