facebookのアカウントを廃止した。ほとんど使ってはいなかったが、facebookで「いいね」してくださいとか、とりあえずお友達してくださいということで、おつきあいでアカウントだけ持っていたようなもので、最初で最後のfacebookへの投稿は、アカウントの廃止の告知だった。
反監視運動とかもやってきたし、最近のスノーデンやwikileaksなどが報じてきた米国のITやネット企業と政府・諜報機関の癒着は見過すことができないと思ってきた。多国籍資本の搾取に反対する活動家がMSやAppleのOSを「便利」だといって使うのはどうなんだろうかなあと思って、まったく何もわからないままオープンソースに移行してLinuxユーザーになったとか、まあやれるところで工夫はしてきたので、facebookについてもまだ依存症にはなっていない今のうちにおさらばすることに。tuitterはかなり依存しているのでそう簡単ではない。スノーデンも使ってるし、いいかなあとか、いろいろ言い訳を考えうことになるのだが。
「facebookのアカウントを閉鎖するよ」と言うと、多くの友人たちが、「そうできればいいけど、できない」という反応になる。彼らにとってfacebookは日常生活の必需品になってしまっている。私生活でも社会運動の道具としても、人間関係の繋りがSNSによって媒介されている。これは、ネットビジネスの思惑通りの筋書きでもある。生活に欠かせない道具になることによって、特定の企業のサービスに依存しないと友人関係や、非営利の活動すら維持できないことになる。人間は一人では生きられないから、通信やコミュニケーションが生存の必需品であることに不思議はない。
しかし、コンピュータ・コミュニケーションは言語を用い始めて以降の人類のコミュニケーション経験を根底から変えてしまった。機械なしにはコミュニケーションができなくなった。そして、SNSを利用することによって、わたしたちの人と人との繋がりや、いつ誰とコミュニケーションしたのか、どのような写真を誰と撮り、誰がこうしたメッッセージに「いいね」をしたのか、こうした一連の人間関係が一私企業によって把握されて、この企業のプロファイリングのプログラムを通じて、人間関係の拡がりもまた影響を受け、制御される。
こんなことは手紙の時代にも直接人と人がオーラルにコミュニケーションしてきた時代にもなかったことが起きている。問題は、こうした企業の介入を「便利」ということで、これに依存してしまい、コミュニケーションの基盤を企業の収益に結び付けるような構造に組み込まれてしまったということだ。他方で、企業の利益が見込めない環境では、逆に公権力が公共サービスとしてのSNSを展開したりするので、いずれにせよ、資本か政府の制御のなかで私たちの親密なコミュニケーションが成り立たせられるということになっている。
facebookはgoogleとともに、諜報機関の情報収集に企業としても協力してきたと言われているが、とりわけfacebookにわたしが怒りを感じたのは、イスラエル政府に協力して、パレスチナ連帯運動を公然と監視してきたことを知ったときだ。7月4日づけのロイターは「パレスチナの暴動に拍車を掛ける恐れのあるメッセージを阻止するのに、フェイスブックが協力的ではない」とイスラエル政府が批判していると報じ、この記事のなかで、facebookは「当社は、フェイスブックの安全な使い方を周知徹底するため、イスラエルを含めた世界の治安当局や政策当局と常に協力している。当社のプラットフォーム上では、暴力や直接的な脅迫、テロリスト、ヘイトスピーチを助長するようなコンテンツが介在する余地はない」というとんでもない弁解をしている。
とんでもないというのは、「イスラエルを含めた世界の治安当局や政策当局と常に協力している」ということを公然と発言しているからだ。「世界のの治安当局や政策当局」には当然、日本も含まれているだろう。
とくに、イスラエルのパレスチナ政策をかつての南アのアパルトヘイトと同質のものとして、ボイコット運動を国際的に展開しているBDS運動への干渉にfacebookが加担しただけでなく、facebookは、イスラエル政府のトップと会談し、イスラエル・オフィスは、ネタニエフ首相のドバイザーで元駐米スイラルエ大使館の主任スタッフを勤めたジョルダーナ・カトラーを雇用するという露骨な政権寄りのビジネスを展開するなどということをやったことで、ぼくは一線を越えたと判断した。facebookはこれまでも、イスラエル政府から反イスラエル運動への監視と検閲を要求されており、ある種の摩擦があった。DBSはこうした問題があってもfacebookのアカウントは閉鎖していないようだ。運動にとって重要なメディアのプラットフォームになってしまっているから、そう簡単には抜けられないということだろう。
BDS
https://bdsmovement.net/
SNSやネット企業はユーザーに対してはリベラルで物分りがよい顔を見せたりするが、他方で収益を目標とするれっきとしたビジネスでもある。ネット企業がいかに収益に敏感に反応しているかは、証券市場の動向がネット企業に与える影響を見ているとわかる。投資家は、ネット企業の市民的自由への貢献度には関心がなく、株価は、顧客をどれだけより多く獲得したか、広告収入など収益がどれだけ前の期と比べて「成長」したかといったことに敏感に反応する。資本主義の悪弊でもある成長第一主義と競争、大手資本による買収、アジアの新興市場での熾烈な市場獲得競争が繰り広げられる様子は、他の分野の多国籍企業と何ら変るところはない。
しかも、ITインフラや公共投資の最大の投資家であり、かつ情報通信関連の法制度の権力者である政府(独裁政権であろうが軍事政権であろうがお構いなしだ)に背くことは、グローバルな成長と市場支配を目指すネット企業にとってマイナスでしかない。逆に、人びとの自由な言論を監視し制御したり、顧客の個人情報を含むプロファイリングは、広告主にも政府にも好都合で、こうして資本と政府の間に、ユーザーの民衆的な自由の権利を監視し売買するシステムが構築されることになる。
この資本の論理に私たちのコミュニケーションの世界がますます統合され、ここから切断できない心理的な依存症状を多くの人たちがかかえるようになっている。こうした状況が、反体制運動や反政府運動あるいはネオリベラリズムに反対する運動のコミュニケーションをメタレベルで支配している。これは、コミュニケーションの権利にとってかなり深刻な事態だ。かくいう私も、ブログというネットに依存した手段に頼っているという意味でいえば、この構造の外にあるわけではない。
とりあえず、わたしは、facebookのように、露骨な検閲やアパルトヘイトを推進する政府との協調を公言するネット企業のアカウントを持つのは不快きわまりないので、付き合う義理はないし、付き合いを切ることの実害もないので、廃止ということにした。facebookが活動やコミュニケーションの必需品になっている場合はそう簡単ではないと思う。すくなくとも簡単にアカウントをゴミ箱に入れるなんてできないとしても、NSAやイスラエルに協力している企業の株価に貢献している気持ち悪さを忘れずにお使いいただければと思う。こうした多国籍企業のSNSとはちがう、オルタナティブのSNSがあればぜひご紹介くだい。
(ブログ「no more capitalism」から)
関連するブログの記事 <政府の監視に加担するソーシャルメディア>
http://www.alt-movements.org/no_more_capitalism/2016/10/05/socialmedia_in_crisis/
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