10月13日15時52分 タイ国は一つの時代を終えたのです。在位70年のプミポン国王(ラーマ9世)の死は国中を悲しみに陥れました。国王はここ数年以上も前から体調を崩し入退院を繰り返していました。私の周りにはもう20年も前から、国王の御容態が心配でしかたないというタイの友人が何人もいました。政府が「容態が安定しない」と異例の発表をおこなってからは、心配で眠れないという友人が沢山でました。そして19時のニュースで「国王崩御」の正式発表がされました。
その途端、私の携帯のLINEはなりっぱなしとなり、その状態が10日ほど続きました。フィットネスやダンスのグループチャットの仲間たちからのメッセージです。正式発表の文章がまずラインに上がってきて、それに対する各自の悲しみを表現する言葉やスタンプが止まりません。ご遺体の移動の時間やルート、今までの王室プロジェクト紹介の映像、追悼の国王賛歌合唱のお誘い、服喪に関する注意事項、国王の写真集、お祭りやイベント中止や縮小に関するインフォーメーション、追悼イベントのための道路封鎖の詳細など次から次へと情報が間断なく続きました。
表に出るとどこも黒服(喪服)の人ばかり、逝去当日は電車の7人掛けのベンチシートに4人が泣いているのを見かけました。どのタイ人も国王死去関連のニュースと情報一色の画面を沈痛な表情で眺めていました。フィットネスに出かけると、まず入口に大きな国王の写真と祭壇が設けられ、ルームにはいつもの飾り付けが撤去され、照明も少し暗め、インストラクターも生徒も全員が黒い服で運動をしている。スケジュール表もカラーから白黒に代わっていました。役所だけでなく銀行、学校などはすべて白黒のリボンとテープ、幕で飾られ、デパートもスーパーも大きな祭壇、葬礼花、拝礼場所と記帳ノートがおかれています。
政府は公務員に一年間喪に服すようにとの布告を出し、一般国民も喪にふさわしい服装着用を指示しました。また政府は八百万もの「生活困窮者」に無料で黒いTシャツを配布しました。多くの民間企業が喪章を用意し街中や駅頭で無料で配っています。
10月22日の国王賛歌を王宮前で歌うというイベントの時は17万人の国民が参加しました。一か所にこれだけ多くの人が集まるということはおそらくタイの近代史のなかでも初めてではないでしょうか。世界有数の交通渋滞の国でそれだけの群衆が一か所に集まるとどういうことになるかタイ人なら誰でも想像できます。友人はイベント開始の7−8時間も前に家を出て向かったといいます。雨季の最後とはいえ日中は34度を超す高温で熱中症の患者も続出しました。近所のバイクタクシーの運転手は王宮イベント参加者を無料で運ぶボランティアに参加していました。自然発生的に参加者に食糧、飲料水を提供するグループが大量に出現しました。
デパートもスーパーも衣料品屋台も黒服ばかり売っています。カラフルな衣服は後景に退きました。バンコクの裏通りも高級有名ブティックもみな同じ雰囲気です。スーパーやデパートのセールスキャンペーンや催し物は殆どなくなり、にぎやかで華やぐイベントはみな中止となっています。
タイ女性と結婚した日本人の友人がいうには、二週間たった今も毎日奥さんは昔の自分の写真を見ながら、「このとき王様はこうだった、あーだった」と言って泣いているそうです。別のタイ人の友人は「国王の命これはは私の命と一緒なの」とうわごとのように言って彼女も病気になっています。国民の悲しみがどれだけ深くひろいかがあちこちから伝わってきます。この間近所の野良犬に黒い服を着せてあったのを見てここまで来るんだと感心したものです。これは愛犬家であった国王への想いがそうさせているに違いないのです。
タイの国民は明らかにいま国王追悼で心を一つにしているとみえます。これは少なくとも私がタイに暮らし始めてから23年間で初めてのことです。地方からバンコクに列車やバス、自家用車で国王の御遺体に一目会いたいとやってくる人が後を絶ちません。おそらく何百万の人々がやってくるでしょう。
「ラーマ9世の時代に生まれて幸福だった。そのことを誇りに思う」と書いたTシャツが人々のこころをつかんでいるようです。こういう総国民の巨大な流れを間近にみていると、「国王亡き後タイは混乱するだろう」とか「政情不安定になろう」という日本の新聞テレビの「予想」は的外れだなあと感ずるのです。政治対立や混乱を引き起こそうとすれば、たちどころに国民から見放されてしまうに違いないのです。
その一方で経済の停滞をうむ可能性はあります。外国人観光客は明らかに減っています。黒いものしか前面に出ていないのですから外国人にとってショッピングの魅力は下がっています。この11月は例年なら「灯篭流し」(ロイカトーン)祭りでにぎわうシーズンです。ハローウィン商品もすっかり売れ残ってしまいそうです。10万人の年末カウントダウンも花火も控え目になることでしょう。社会全体に広がっているこのムードは少しずつ、しかし確実に経済を沈滞させていくでしょう。そのため政府は11月2日「国民の日常生活は服喪ひと月を経過したら通常にもどすように」とアナウンスしました。政府も経済動向は大いに気になってきたようです。
宇崎喜代美 (バンコク在住 通訳・コーディネーター / 元国際線スチュワーデス)
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