隣の韓国では大統領が国家機密を友人に漏洩して政府外の人間から私的にアドバイスを受けていたことが暴露され、反政府デモが2か月近くにわたって続き、ソウルだけでなく地方都市も含めて100万人以上が政府打倒の集会に参加しました。その動きは検察もマスメディアも動かし、ついに大統領の辞職声明を勝ち取るに至りました。
このことを見て、政府が理不尽な行動を行った場合は隣国ではあのような運動が盛り上がって政府を倒すことができるが、なぜ日本ではそうしたことが起こらないのか、という意見を見聞します。日本では与党による強行採決の連続や度重なる暴言、汚職、腐敗、憲法の軽視と様々なことが報じられていながら与党は選挙で勝ち続けています。もう自民党は二度と選挙で敗れることはなく、永遠に現政権が継続するのではないか、という印象もあります。
韓国は近くて遠い、とはよく言われることです。しかし、大衆運動が政府を追い詰め、新政府を生み出したという点では近くの台湾もそうです。台湾でも数十万人がデモに参加し、国民党の馬政権にノーを突き付け、今年の1月の選挙で野党・民進党が圧勝を飾ったのは記憶に新しいところです。
日本でも2009年に政権が交代し、民主党政権が生まれましたが、2年もすると当初は自民党と異なる政策を実行しようとしていた民主党は野田政権になって以後は第二自民党と言ってもいいようなそっくりの政策に回帰してしまったのです。そうした民主党政権の裏切りを見た国民は以後、一度も総選挙で野党に勝利を与えていません。隣の韓国や台湾は、もし政府批判運動のワールドカップなるものが存在したとしたら、毎回、確実にベスト4とかベスト8に顔を出す世界の強豪チームでしょう。片や日本は大会に出場できるかどうかも怪しいレベルなのです。同じ東アジアにあり、すぐ近くの国なのに何が違うのか、と思う人がいても不思議ではありません。しかし、そこに力量の格差が存在することは認識すべきではないかと思います。隣国のダイナミックな行動を見ると、単に戦術がうまいとか下手といった小手先の技術力の差ではないと思えるのです。
そこで日本と韓国や台湾との政府批判運動の力量の違いは現在の野党第一党である民進党の体質や政策の良しあしというだけではなく、もっと大きな歴史に起因するのだ、と仮説を立ててみました。日本と韓国、日本と台湾は近くて遠い、という以上に、かつて植民地支配を受けた国(地域)と植民地支配を行った国という、まったく異なるベクトルの歴史があります。植民地支配を受けてきた国では近代に入って100年以上、植民地支配と弾圧、そしてその後の軍政に抵抗してきた歴史があります。親、祖父母、曾祖父と曾祖母・・という風に一族みんなにその記憶が受け継がれています。今、ソウルでデモに参加している人たちはその親や祖父母らが闘ってきた姿を見て育った人々です。台湾でもそうです。子供の頃、親に連れられてデモを何度も体験した人がたくさんいます。そうした苦しい時代を闘ってきた歴史と記憶が今も生々しく生きています。親や祖父母たちが運動する若者たちを見捨てることはありません。韓国も台湾も1980年代まで軍事独裁政権でした。軍政が終わり、戒厳令が解かれたのはたかだが30年ほど前に過ぎません。生活を改善するためには闘うしかなかったのです。
一方、日本は植民地支配によって植民地で収奪した利益を分配の多さ少なさの違いこそあれ、基本的に国民全員が何らかの形で受けてきた国です。政府に従い、政府にくっついていくことが飯が食える方策であり、よい思いができることだったはずです。だから、政府に従っていれば悪いことはない、という感覚と記憶が100年以上にわたって曾祖父母、祖父母、両親・・という風に基本的に受け継がれています。NHKの籾井会長が「政府が右ということを左というわけにはいかない」と就任会見で発言し非難を浴びたことは記憶に新しいですが、この言葉は実際には多くの日本人の発想を集約していると思います。一般の庶民だけでなく、多くの大学人やマスメディアの人々にも意識の根底には籾井会長と同じものが根づいていると思います。マスメディアの幹部が首相と食事会を続けているのも、その行為を私なりに日本語に翻訳すれば「政府が右ということを左というわけにはいかない」となります。政府が右と言うなら、別に右とまで書かなくてもいいけれど左と書くわけにはいかないということでしょう。そのことは日本のマスメディアの幹部には当たり前のことであり、ジャーナリズムの立場からの抵抗感はさしてないのだという風に見えます。
戦後の日本で最大の反政府運動は1960年の安保闘争でしたが、この時、これだけ運動が盛り上がったのは第二次大戦で空襲を受けたり、飢餓を経験したり、暴力を受けたりと言った形で国民の大半が損をした記憶が生々しかったからであると思います。すでに50年以上前の話です。戦後の復興と高度経済成長時代を含めて、近代百年の長期スパンで見れば敗北につながった日中戦争と太平洋戦争の歴史はわずか10数年に過ぎません。長い近代史の中で全体的には政府に従っていて間違いはなかったけれど、戦時中だけは損をした。死者も多かったが、家産が傾いて斜陽になった資産家も多かった。その記憶が生々しい時は反戦運動が盛り上がって政府を倒すに至りました。しかし、その後はその記憶も薄れ、あるいは損よりも得をした記憶の方がまた強くなっていきました。中南米在住の人から「日本人の本当の宗教は金ではないか」と言われたことがありますが、日本人にとっては生死よりも重いテーマが金の有る無しです。このことは借金を苦にして自殺する人が絶えないことからも説明できます。つまり、日本人にとっては近代の歴史から見て政府に従うことが、生活をよくすることである、という感覚が皮膚から臓腑にしみわたっていて、戦争の危険があるから政権交代が必要だというような理屈ではほとんど政治は動きようがないのではないか。そんな風に、かなり単純化していますが、そう仮説を立ててみました。
日本国民は時には野党に期待をかけることはあっても、長期的に見た時に圧倒的に自民党とその前身にあたる政治勢力から恩恵を受けてきた、得をしてきた歴史が染みついているのだと思います。だから、動揺した時にはこの感覚が強まり、保守政党についていけば間違いはない、という風に思考回路が出来上がっているのではないでしょうか。戦争を起こした勢力は戦後も日本の支配勢力として政治経済を動かし、再び経済でアジアの勝利者となりました。少なくとも30年前までは日本国民は基本的にその恩恵を多かれ少なかれ受けてきました。そもそも私の50年ほどの人生の中でごくごく一時を除いて日本政治はすべて自民党政権でした。軍政下でそうだったわけじゃなく総選挙で毎回勝ち続けてきた結果です。ですから安倍政権の強さも安倍首相の政策力というよりも、むしろ国民が意識の底に根強く持っている保守政党への期待と信頼に根差しているのだと思います。アベノミクスの効果が何であれ、自民党についていけば間違いはないのだ、と考える人は想像以上に多いと思います。隣国において政府批判運動が強い分、それに反比例する形で日本では弱いのです。そこには負の相関関係があるのではないでしょうか。植民地支配に対する思想と行動が少なくとも家族4代にわたって日本と隣国(地域)の韓国や台湾との間で、それぞれ異なる形で刷り込まれているのです。しかし、こういう仮説を立ててみると、野党が真に力を持ちえるのはあと30年後とか50年後くらいで(5年や10年では変わりえない)、その間国民の多くが政府の恩恵に預かれず窮乏化し続けないと無理かもしれないな、という結論にもなりかねず、できれば私のゴタクと仮説が間違いであってくれたらよいと願うばかりです。
■ソウル 朴大統領の退陣を求める大規模抗議デモ 80年代以来最大の怒り
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■ニュースの三角測量 その2
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201612151601554 ■イスラム国 「国」としての可能性
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