「ニュースの三角測量」という一文を書いて掲載したのは今から3年半前になります。ニュースを1国の新聞だけでなく、2か国の新聞だけでもなく、もう1つ加えて最低3か国の新聞で読むことのメリットを書いたものでした。「ニュースの三角測量」という言葉は文化人類学の川田順造博士による「文化の三角測量」という概念を借用したものですが、3つの異なる文化圏のニュースに接することで、より客観的かつ立体的にニュースが理解できるようになるというものです。
たとえば日本の新聞とアメリカの新聞の2紙を読んでいる場合、2国間の「磁場」にどうしても縛られてしまいます。磁場とここで書いたのは、たとえば2国間の国力の差が大きくニュースの解釈に影響を与えることを意味します。日米の場合、国際ニュースでは戦後、日本人は基本的にアメリカのジャーナリズムを一方的に受容してきた歴史があります。アメリカの政策が世界のスタンダードであり、アメリカの報道は日本よりも優れているという価値観が反映しています。ですから、日本の国内新聞だけでは世界のニュースは十分に理解できないと思い、批判的精神をもってより世界像を客観的につかむために、アメリカのニュースを読んだとしても、その時、アメリカのニュースを一方的に真実と思って受け入れてしまいがちです。
日本 < アメリカ
という力関係が思考を縛ってしまって、アメリカのニュースに対する批判的な視座を持てないことになりがちです。もし、アメリカではなくアラビア語圏の新聞であればよいかと言えば、その場合はその場合で日本とアラビア語圏との力関係がやはり作用しがちです。ロシア語や中国語やフランス語でも、二か国語のメディアに限定すればそうした二国間の磁場に作用される可能性が大きいと思います。そこでもう1か国、異なる文化圏のニュースを読むことで、二国間だけではできなかった客観性を一段階、高めることができるのではないか、と思うのです。
フランス アメリカ
日本
私の場合はフランス語を加えていますが、中東に関してフランスとアメリカの視点が異なりますから、アメリカ一辺倒の見方を修正するきっかけを得ることができます。フランスにはフランス独自の偏見がもちろんあるため、アメリカの記事を合わせることで欧州中心主義的な視点からも距離を置きやすくなります。もちろん、それでも欧州と米国が共同で政策を進めることもしばしばあるので、3か国で十分というわけでは決してありません。ただ外国語のニュースを2つ持つことができ、その2つが互いに牽制的な視点を持ち合わせていれば、ニュースをもっと面白く、ダイナミックに読むことが可能になると思います。
ところで「ニュースの三角測量」と書きましたが、インターネット界では中心言語は何といっても英語になっています。英語以外の言語の文字は、この日刊ベリタでは文字化けしてしまって判読不能になります。英語中心主義に対する批判的な視座を持つインターネットメディアですら、英語中心のシステムから抜け出すことが未だできないのです。
村上良太
■ニュースの三角測量 村上良太
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201304281127180
■文学と卒業 村上良太
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201108010035381
■中野好夫著 「シェイクスピアの面白さ」 シェイクスピア没後400周年 近代演劇とは何だったのか
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201607310428500
■ヒューム著「人性論」 ‘A treatise on Human Nature’ ヒュームは面白いが本気でやると難しい。でもヒュームを読んでおくとカントが楽になる
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201508230129060
■イスラム国 「国」としての可能性
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201409020931042
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