90年代はバブル崩壊後にデフレが進行した時代でしたが、当初は僕も面白おかしなタッチで牛丼(安売り)戦争などの番組を作っていました。1998年のことです。前年の1997年は山一証券が倒産した年で、不況がただならぬ本物であることが明らかになった年でもあります。そんな最中に気楽と言えばよいのか、僕も「牛丼戦争」などを作っていたんです。すき家と吉野家の一杯250円の戦争を軸に神戸らんぷ亭も参戦して。以前は400円くらいだった牛丼です。昔は牛丼は贅沢な食べ物に思われたけれども(僕が子供の頃は牛肉は貴重だった)、250円になって貧者の食べ物の印象が強まりました。 1本目で視聴率がよくて二本目を作ったのは夏ごろでしたが、さすがに2本目を作っていると冷や汗を感じるようになりました。このまま安売り戦争を続けていったらとんでもないことになる・・・と感じたんです。
同年10月に僕は取材の方向性を変えて、神田にあるふぐ割烹の主のドキュメントを作りました。僕とほぼ同世代の主は80年代のバブル時代に板前修業した料理人で、当時は金に糸目をつけず高価な食材を買って最高の料理をみんなが目指した時代です。主もそんな青春を謳歌したと思うのですが、いざ自分が家族をもって店を持ったら創作料理どころか不況でふぐ料理も1980円で出さないといけない状況になっていたんです。これは料理界に留まらない、この不況時代の文化の象徴に僕には思えました。丁度、この放送から間もなく「デフレ」という言葉が発表されて、「デフレってなんだ」という騒ぎになりました。
そして以後、長い間、出版界では日銀のデフレ対策がなっていないという論旨の経済書が何冊も書かれました。デフレを放置する日銀は反国民的機関だと言うような批判もありました。この頃、個人や家族経営の小さな料理店の多くが店をたたみ、そこに無数のチェーン店ができ、日本中どこへ行ってもよく似た看板のよく似た風景に出会うようになっていきました。昔は一国一城の主としてたとえ小さくても夢を持って生きていた人々がデフレの中で逃げ場を失い、資本力と購買力のある大手企業の傘下に入り、その制度の中に統合されていきました。これからの20年で起こりうることは多くの農家が企業傘下に入っていくことでしょう。新自由主義という言葉の中に「自由」という言葉が入っていますが、これは個人の自由ではなく、投資活動の自由化に他なりません。言い換えると、ルールなんかいらない、自由に商売をさせろ、という主義です。人の行動の選択肢の中で「安さ」が重要な要素になりつつあり、個人の選択肢は学校にせよ、食べ物にせよ、住まいにせよ狭まっていきつつあります。
アベノミクスが2013年に始まった当初はデフレ脱却の期待もありました。最初の時点では今のように僕自身もアベノミクスに批判的ではありませんでした。デフレ脱却は今も必要だと考えているからです。しかし、その半年後にアベノミクスの弱点を批判する記事を書きました。いくら金融緩和して財政出動しても生産施設が空洞化する傾向は止まっていないし、むしろ日本の金融は産業と連携して海外の生産施設の買収に乗り出しており、空洞化の方向を続ける限りデフレは脱却できないと見たからです。
アベノミクスの敗因が第三の矢の不在にあったことはアメリカや英国をはじめ世界のジャーナリストやエコノミストから指摘されていますし、日本国内はともかく世界ではアベノミクスに欠点があったことは常識になっています。第一の矢と第二の矢は第三の矢が機能して初めて意味があるもので、そうでなかったら単なる時間稼ぎのための税金の無駄遣いに過ぎません。第三の矢は日本国内に製造業が復活するか、あるいは付加価値の高い新産業が育成されることです。しかし、それらはマクロで見た場合、あまり成果をあげていません。そんなとき、驚いたことにアベノミクスの最大の理論的中核だった浜田宏一教授(経済学 イェール大学名誉教授)が昨年、自分の理解に誤りがあったことを認めたのです。
浜田「私がかつて『デフレは(通貨供給量の少なさに起因する)マネタリーな現象だと主張していたのは事実で、学者として以前言っていたことと考えが変わったことを認めなければならない」(日経新聞)
これなどは日本の産業の現場を知らない、アメリカの象牙の塔にこもった学者ゆえの誤りでしょう。日本の現実を見ている経済学者ならいくら金を投入しても、銀行からの借り手が街の産業界の中にあまり見つからない皮肉な現実を如実に知っているからです。銀行は安い金利で借りた巨額の金をメーカーに貸し付けて、外国企業のM&Aに使っています。銀行も日本国内に優良な融資先を見つけるのが難しくなっているのです。あまりにも不況なため、企業も人や設備や不動産に新たな投資を行って新事業に挑戦するのが困難になっています。アベノミクスが始まってすでに丸4年が過ぎてしまったので、アベノミクスは失敗だったと言って過言ではないでしょう。活気づいているのは軍需産業ばかりです。
アメリカのオバマ大統領もモノづくり回帰を中流階層の増大を歌う経済政策の旗印に掲げてきましたが、なかなかそれが実現できなかったのは生産施設がロボットを投入することでコストダウンを図るのがアメリカのトレンドになっていることが一因です。それともう一つの原因として、今回トランプ大統領の誕生に決定的に作用した中西部のラストベルトの白人労働者たちの不満が報じられていますが、彼らの不満は工場の外国移転だけではなく、米国内の工場の移動もまた関係しています。労賃の安い南部にアメリカの生産施設がシフトしつつあるのです。 南部は北部や中西部に比べると労働者の労組加入率が低く、安い賃金で働く労働者が豊富に存在しています。ですからデトロイトなどの北部の生産施設を解雇された労働者(黒人が少なくない)が南部に移動していく人口の移動が起きています。20世紀初頭にフォードの自動車工場が黒人にも雇用を拡大したことで人口が南部から北部にシフトしたのとは逆の流れです。そしてこの南部の工場には日本を始め外国メーカーが多数進出しており、南部諸州も税金を安くするなどの待遇を図って誘致を進めています。 これではモノづくりが復活しても雇用の増大や給与の増大があまり見込めません。しかし、オバマ大統領のように自由貿易を柱にする限り、海外の低賃金の労働者との厳しい戦いを避けることはできないのです。
村上良太
■ドイツVWの米南部新工場、日米メーカー下回る人件費(ウォールストリートジャーナル)
http://jp.wsj.com/public/page/0_0_WJPP_7000-240067.html <業界アナリストの推定によると、同州チャタヌーガ近郊のこの工場の人件費(賃金・福利厚生)は、1時間当たり約27ドルで、米ビッグスリーの工場、およびトヨタ自動車やホンダの労働組合のない米国工場の約半分。韓国の現代自動車や現代傘下の起亜自動車のアラバマ州とジョージア州の工場と同水準だ。>
■日系企業が加速するアメリカ南部への進出(日本ドットコム)
http://www.nippon.com/ja/column/g00272/
■トヨタ「たくみの技」米移植 「レクサス」生産軌道(毎日)
http://mainichi.jp/articles/20160410/ddm/008/020/058000c
■米国の最低賃金と失業率 オバマ大統領の時代と次の米政権
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201602271121586
■米大統領予備選 ヒラリー・クリントン候補(民主党)が南部各州で優勢
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201603021244543
■スティグリッツ教授(経済学)とグローバリズム
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201306272249484
■本山美彦著 「金融権力 〜グローバル経済とリスク・ビジネス〜」
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201401170608015
■グローバル時代の「ルイスの転換点」 〜アベノミクスの弱点〜 村上良太
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201306070012005
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