ホテルからメトロの駅が歩いて5分のところにある。駅にも500,1000ルピーは受け取れないと告示してある。しかしここで最初の小さな幸運に出会った。一日有効乗車券のみカードが使えるというので購入しニューデリーの駅に向かった。あー電車に乗れてよかった。でもインドで仕入れたいネックレスの部品の店でカードが使えなければどうしよう。ニューディー駅からオールドデリーのめちゃくちゃにごみごみしてエネルギーの塊みたいなバザールの間を歩いて店を探した。
オールドデリーの中にある店に行けと在バンコクインド人の友人から勧められていたのだ。ものすごい車と人とごみとカレーの匂いとおしっこの匂いまでが一体となった場所である。異国情緒なんて生易しいものでない異国がそこにあった。夫と二人でなければいささか勇気がいる。
マーケットでEXCHENGEの看板を見つけた。廃止された旧札となら両替できるという。「あと二日すると銀行がオープンするから、君たちは銀行でそれを新札と変えることができる」と言っている。なんか胡散臭いおっさんであるが、100米ドルを6400ルピーで両替したが、そのうち400ルピーだけが百ルピーや50ルピー(160円と80円相当)の紙幣なので即有効だ。それでも1ルピーもないよりはましなので両替することにした。ネックレスの部品の店では案の定旧高額紙幣は使えなかったが、古くてほこりを払ったカード機がなんとか使え目的を一つ果たしたのである。
夕食は高かろうがまずかろうが兎に角カードのきく店というのが第一条件、客のいない中華料理屋ですませメトロに乗ってゴミが風に舞う町を歩きながらホテルに戻った。翌日はその小銭ルピーを使いメトロで空港に向かい、なんとか北部シッキムへの旅を続けるため空路でバグドグラという地方都市に飛んだ。
バグドグラに到着はしたが、どこもかしこも1000・500ルピー受け取り拒否の看板だらけ、シッキムまで行くにはここから陸路で5時間なのである。空港で車のチャーターをしなければいけない。もはやここまでかもとドキドキしながら警察官に訊いたら、「私が何とかしよう・・」と言ってくれその人の口利きで運転手が旧札の1000ルピーを受け取ってくれた。 私たちの第二の幸運であった。
車にはエアコンが付いていない。ここではそれが普通らしい。簡易舗装の埃だらけの道路を窓を開けて走る。これで5時間走ったら埃まみれだなと覚悟するしかなかった。町を抜け郊外に入り、さらに奥深い山の中に入っていくと貧しい掘っ建て小屋が多くなった。ずっとそんな家ばかりを見ながら走行してシッキムの入り口に到着した。国境はないが境界線があって、外国人はパスポートを提示し入境許可証を取得しなければならない。その境界線を越えると同時になんと周りの風景はゆとりのある家並に変わっている。突然の変化だ。
しっかりした鉄筋というか洋館の背の高い家並みがぎっしりだ。ほぼすべての家が急な坂の面に建っている。怖いような急斜面である。土地の大半が急斜面、そこにうまいこと斜面に杭を打つようにちゃんと家が建っている、それもぎっしり並んでいる。道もほとんどが急な坂で、道幅が狭い。小さな軽自動車がほとんどで渋滞までしている。貧乏な家が閑散と存在していたいエリアから突然、天空の町が現れた感じだ。そして歩いている人たちは彫の深いインド人とは違い、日本人に似た平べったい顔のチベット系の人たちだった。親しみを感じる顔である。その日、陽はとっぷりとくれてからやっとホテルにたどりつた。
ああ、やっと第一目標のシッキムにたどり着いた。旅の目的の半分は達成した気分だった。思いのほか素敵なホテルで、夕食もなかなかだった。翌朝窓からエべレストに次ぐ8586mのカンジェンジュンガが見えることを祈って夜はふけていった。
翌朝曇空の合間に少しカンジェンジュンガの頂が姿を現した。夫はカメラを出して撮影しだした。私はベッドからしばしその幸せな眺めを楽しんでシッキム二日目は始まった。
その日旧札廃止から4日目にして銀行があいた。歩いて2km町の中心に出かけてみると、銀行5−6軒もあったがどこも既に長蛇の列ができていた。銀行側は不安と苛立つシッキム住民への対応に追われ外貨の両替に来た旅行客などとても手が回らない。我々も行列に並び半日かけて旧紙幣の千ルピーを使用可能な小額紙幣に交換してもらった。そしてようやくチベット焼きそばと餃子風の天ぷらみたいなのにありつけた。遠路はるばるここまできて観光もできずただ銀行で並んで何やってんだと思う一方、私はその困難にも案外楽しみを覚えていた。
二日間にわたる銀行通い中心の滞在を通してだが、混乱の状況のなか困惑する人の足元を見てすこしでもこの機に「利ざや」を稼ごうとする店、「いつかは新札に交換できるだろう」と使用不可の500ルピー札を受けとっておつりをくれる親切な店など、人々の動きを見ているだけで私は面白かった。銀行職員の情報も錯綜混乱、市民の困惑に輪をかけていた。お札の交換の列を間違って指示したり、列に割込みするインド人が続出した。さらにびっしりつめた行列で私のお尻に触ってくるへんな奴がいたりした。国中大騒動、銀行前で焼身自殺はじめ死者が十数人出たり、いくつもATM機が破壊されたとの新聞報道もあった。そのなかで二人で知恵を絞ってその大混乱の地でサバイバルする有意義な旅でもあった。
旅の4日目に国立銀行総裁がテレビインタビューに答えインド人が好む「NO PROBLEM」と言ったのを聞いてびっくり。インド人は問題があるときほどこの言葉をつかうみたいだと前から思っていたが、今までの中で一番あきれはてた気持ちで聞いた。ちなみに総裁は女性で、いわゆるインド人顔で達磨のように太っている人であった。私の大好きなインドボリウッドダンスをする俳優さんたちは超セクシーでスタイルがいい。だけど町の中を歩いている中年以上のインド人の多数は男女共にメタボだ。女性はあのスタイルを隠してしまうサリーがいけない、でもそのサリーでも隠し切れないメタボインド人がなんと多いことか。この人たちはこんなに太って気にならないのかと余計な心配をしてしまった。しかしテレビのCMで「はめるだけで痩せる腹巻」など「すぐに痩せられます」系の宣伝が頻出しているのを知って、やっぱり気にしているのだと少し理解ができた。でもなんで運動しないのだろう。そういえば、陸上競技や水泳、体操もオリンピックでインドの代表選手が活躍する姿はみていないなあ、あんなに人口大国なのに、何故だろうという疑問が残った。
そんなこんなで、小銭しか手にできない旅行の中でもその生活にも慣れ、二つ目の目的地ダージリンもしっかり訪れることができた。そこで二度目の闇両替もして 世界遺産のTOY TRAIN の黒い蒸気を頭から思いっきり浴び、イギリス植民地時代のダージリンの町を想像し、帰りのバグドグラ空港までの陸路も高額紙幣受け取りを運転手に承諾してもらい、何とか無事予定をこなしたのである。
しかし私のボリウッドダンス留学の夢は風前の灯となるほど一人でこの国に来ることに対して心細くなっていた。でもまだこの国に一歩踏み入れたばかり、インドは広いのだということだけははっきり理解した。もっともっとほかのインドも見なければわからない、ここで決めつけるのはやめようと自分に納得させ次回はインドのどこに行こうかと考え始めている
宇崎喜代美 (バンコク在住 通訳・コーディネーター)
■わが憧れのインド旅行 〜高額紙幣騒動とダージリン〜 1 宇崎喜代美 (バンコク在住 通訳・コーディネーター)
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http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201606022313394
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