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橋本勝21世紀風刺絵日記
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2017年02月22日00時14分掲載
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文化
【核を詠う】(224)福島の歌人・波汐国芳歌集『警鐘』を読む(1)「炉心溶融告げしロボットしんしんと他界の方も視てきたるかや」 山崎芳彦
今回から福島に住み原発短歌を詠いつづけている歌人、波汐國芳さんの歌集『警笛』(2016年12月刊、角川書店)を読ませていただく。この連載の中で波汐さんの歌集『姥貝の歌』、『渚のピアノ』の作品を読み、また波汐さんが編集・発行人の季刊歌誌『翔』(翔の会発行)、さらに『福島県短歌選集』(福島県歌人会発行、年刊)などで波汐さんの旺盛な作歌活動の果実である作品を読み、記録させていただいてきた。今回から読む『警鐘』は福島原発事故をテーマにした歌集『姥貝の歌』、『渚のピアノ』につづく「三部作の括り」と作者自身が位置づけている歌集だが、3・11はまだ終わっていないどころか現在進行中とも言わなければならない状況にあり、被曝地福島に生き、暮らす作者は「被曝地に住むほかなきを緋柘榴の裂くる口もてもの申さんか」と詠っているように、これからもさらにその短歌人としての生の証としての作品を紡ぎ、世に問い続けるに違いないと、筆者は畏敬の念を深くしながら思っている。波汐さんの詩精神は強く深い。
「フクシマのいかりかなしみを歌になし『警鐘』を打つ波汐國芳ぞ」(山崎芳彦)、拙い一首をもって筆者は所属する短歌同好会で歌集『警鐘』を紹介し、波汐作品を詠み上げたが、仲間たちは関心深く聞いてくれた。 波汐さんは『警鐘』の「あとがき」に次のようなことを記している。 「…わが家の庭にも青いシートに覆われた厄介物が居座っており、それが目障りにならないように周りに夕顔の花など、折々の花を咲かせて、忌々しい蒼い鬼どもを隠しているのですが、言ってみれば放射能汚染物とも共存を余儀なくされているということになります。福島に住んでいて,何故こんな目に遭わなければならないのか。天命なのかも知れませんが、その天を怨めしく思うことさえあります。」 「さて、チェルノブイリ原発の廃炉がコンクリートで覆われたことから、福島第一原発の廃炉に関して『原発石棺』という言葉が一時人々の口にのぼりましたが、被曝我らの日常も又原発石棺の中にいると思わないではいられない現実なのであります。/人類史上初めて核の洗礼を受けた我が国であり、核の開発はしないと誓ったことは記憶の中に鮮明でありますが、その核の平和利用という名目で原発の開発が推進され、大津波という災害に遭遇し予期しない事態が起きました。それを想定外等といういう言い訳がましい言葉で片付けられようとしたのはいまだに忘れることはできません。」 「ともあれ、原発の開発推進は誰かがやったことだと他人にその責めを転嫁するのではなく、人類すべてにかかわりのあることですから、人間全体の問題として大きな視野から受けとめなければならないと思います。しかも、エネルギー問題で、科学者達の核開発の目標が『核融合』であって、今世紀中にその実用化が叶うといわれております。核融合反応とは太陽が光り輝くエネルギーを放射している原理であり、それを人類が手にするというのは空恐ろしいことで、アダムとイブの創世の始めから破滅への道を突っ走っていることに重ね、大きな視野で我々自身も罪過に加担していることとして己にも責めを問うのは原罪意識の短絡的な思い込みでしょうか。そして、こんなにも早く文明の終点が迫っているのを知れば震えないではいられません。」 「このような視野に立って、いま被曝地の福島の日常を生きているわけでありますが、その生を一生懸命歌うことで、生の証を立て、そのことによって、復興に繋げていきたい。それが私の歌人としての念願であります。そしてまた、破滅への歯止めをしなければならない。と言って、短歌にそのような力を求めることは出来まい。我々の営為は文学ということであり、以上のような情況の中に生きている現実を踏まえ、それを詩的現実として昇華し、ひたすらに作品として提示することに尽きると思います。」
このように思いを吐露する波汐さんの短歌作品を、どのように読み、受止め、自分の生に反映させていくか、それは何処に住んでいるかを問わず、読む者の現実把握とそれを踏まえての生き方の課題となるのだろうと思う。そう思いながら歌集『警鐘』を読んでいきたい。全作品を記録することはできないが、多くの作品が福島原発事故が人々にもたらしている理不尽な現実を踏まえて「破滅への歯止めのために、歌人にできることは何か」を自らに問い、詠い重ねたこの歌集を読むことに筆者なりの心をこめたいと、改めて思っている。波汐さんとお目にかかったことはないのだが、この連載を続けるうえで電話、書面でありがたい励まし、ご厚情をいただいていることを、あえて記しておきたい。 作品を読みたい。
(1)火焔帯び行く ▼原発石棺 ああ我ら何にも悪きことせぬを「原発石棺」終身刑とぞ
為政者が原発を乞い 無辜(むこ)の民われらに被曝地獄の刑ぞ
この街に原発石棺連なるを目つむれば見ゆその石明り
神曲の地獄篇なり獄の名に「福島」あらば先ず吾(あ)をいれよ
ふくしまや原発石棺何処までもダンテの獄の酷(むご)きにつらね
被災して五度目の盆を海境(うなさか)ゆ髪靡かせて帰れる死者ら
原発の安全神話が招きしを「仮設」の日々とう牢獄なりや
▼火焔帯び行く(抄)
汚染土の入れ替え庭に終えたれど入れ替え叶わぬ我が心ぞや
千年の夢も奢(おご)りも一どきに抜きとられたる街の殻(から)なり
稲妻の遠閃(ひらめ)きに呼びたきを今アテルイのその心こそ (アテルイは胆沢蝦夷の首領で、外敵に対し徹底的に陸奥を護ったと伝えられる。)
出漁の人ら目に見ゆ陽炎(かげろう)のゆらゆら被曝の死者も混じるを
セシウムの著(しる)きに空気希薄なるをおお、福島に生き難きかな
花水木 花のトンネルわが行くを原発地獄の出口はありや
被曝地の福島なれば紫蘭(しらん)の芽一斉に起(た)ち構えん矛(ほこ)ぞ
闇深し 出口を探す夢のなか遂に己も見失いたり
汚染土を覆うシートの累々と海の如きに心波立つ
放射能が近付く気配 稲妻に影さらわれてよろめくわれへ
▼メルトダウン
原発の安全神話に町挙げて招かれ空洞(うつろ)となりし町はや
炉心溶融告げしロボットしんしんと他界の方も視てきたるかや
貧しくて受け容(い)れたりしを原発の爆(は)ぜて招きしこの雑草園
原発のメルトダウンにうつくしま噫(あな)古里の行方知れずも
核の火を神の火などと戴きて爆ぜしこの町そのがらんどう
何処までもセシウム深野(ふかの) 福島に手繰(たぐ)り手繰るを如何なる涯ぞ
チェルノブイリ忘れてならじ 東京は福島に遠しと言いし人らも
▼すかすかの街(抄)
原発爆ぜ人らも脱(ぬ)けてすかすかのこの福島ゆ見ゆるは何ぞ
人住まぬ町次々に連なりて不気味な静かの底いも無きか
避難して人戻らぬをすかすかの街に他界も透きて見ゆるや
除染(じょせん)後のぶらんこ漕ぐ児 夕つ陽のそのくれないを揺るなこぼすな
騙(だま)されて何とも我らの御人好し魔の原発を招きしことも
被曝地に人が住まねば猪ら群れつつ縄文時代を連れ来(く)
▼闇(抄)
福島や逃げても逃げても笹薮の笹のざわざわセシウム追い来(く)
被曝地に住むほかなきを緋柘榴の裂くる口もて物申さんか
原発の安全神話に飯舘の主婦ら誘いし電化教室
ああ福島汲んでも汲んでも尽きざるを原発容(い)れし悔いの深みや
汚染土を覆うシートの蒼々と鬼らがたむろする村なりき
原発を真実、制御(せいぎょ)なし得ずに富のみ得んとしたる人らぞ
被曝五年靄立ちこむる福島の沖ゆく船の警笛ひびく
闇深きふくしまの地にわが生きて歌を吐くなり火焔吐くなり
▼セシウム深野(抄)
ふくしまやセシウム深野 雪深野 とっぷり隠れ私が見えず
捨て場なき汚染土摘まれ風立てば一人歩きの脚出(い)でそうな
地獄闇 福島の闇極まるを氷(ひ)の終電の揺れて過ぎたり
入れ替えの庭の汚染土積みしままやり場の無きか被曝のこころ
セシウムは蛭のようだぜ何処までも吸いついてくる この泥深野
除染、除染皮むく如きをさらさらと元の福島戻りて来れ
折々を稲妻走り古里にセシウム深野 どこまでも闇
今一つ風に羽ばたけ白鳥の揺りつつセシウム奴((め))を振り落とせ
▼国道六号線(抄)
何処までも廃炉への道 泡立草(あわだちそう)溢るる野をゆき騒立(さわだ)つ心
セシウムを好めるらしも際立(きわだ)ちてどうだんつつじの冴ゆるくれない
泡立草稲穂まがいの覆えども原発廃村を満たすすべなし
原発の爆ぜてうつろの街なれば芯へ芯へと攻むるあら草
福島や分けても唯の島ぞ否セシウム積んで遠退(とおの)く孤島
津波禍(か)に原発が爆ぜ盟友(めいゆう)を失いたりし町に振り向く
この町の原発爆ぜて筒抜けに古里の道遠く小さし
福島にほんとの海が戻らぬを雨ひとしきり乱打のピアノ
この街に生くる証(あかし)を揺すり上げ立ち上げんとやくれないカンナ
▼余所者の目(抄)
余所者(よそもの)の目もて福島見る人らほんとの何がみえるというの
復興は起つ心ぞや朝風に重機目覚めて運びゆくなり
震災が仕事をつくり仕事師が息吹き返す復興なりや
福島よもっと怒れと人言うを怒れば私が空っぽになる
被曝地に生きつつ朝を吐く息の火焔となりて物言うわれか
▼活断層覚む(抄)
原発の汚水が海を侵(おか)しつつ何かが過剰となりゆく国ぞ
原発の安全神話に招かれて君らの繁栄 われらの貧困
原発の事故後を覚めし断層とう伸ばし伸ばして誰(た)が胸裂くや
(計画成らざりし浪江・小高原発、震災に逢わざりしを思いて。) 計画の原発成(な)らず津波にも攫われざりしことの重さや
被曝村 人居らぬ村の番人か夾竹桃の燃える鬼です
飯舘村(いいたて)を裂く稲妻のひらひらと遺棄牛(いきうし)の目が走ったような
次回も歌集『警鐘』の作品を読み継ぐ (つづく)
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