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橋本勝21世紀風刺絵日記
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2017年02月24日16時10分掲載
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文化
「谷口ジローの思い出」ブノワ・ペータース "Souvenir de Jirô Taniguchi " Benoît Peeters
先日亡くなった漫画家の谷口ジロー氏を悼む人は日本だけでなく世界にたくさんいます。日本でも翻訳出版されているフランス=ベルギー漫画の傑作「闇の国々」シリーズの脚本を書いているブノワ・ペータース(Benoit Peeters)さんもその一人です。フランスで出ている谷口ジローの追悼記事の多くにペータースさんの話が出ています。実はペータースさんは谷口ジローと、ともに漫画の世界の作家として、長年、非常に深い交友を重ねてきた人でした。そんなペータースさんに谷口さんとの思い出をおうかがいしました。
(以下はインタビュー)
Q Pourriez vous parler de votre souvenir de monsieur Jiro Taniguchi ?
Q 漫画家・谷口ジロー氏との思い出についておうかがいできますか?
Quand nous avons ete invites a Tokyo en 1993 par la revue << Morning >>, Francois Schuiten et moi, nous avons commence a decouvrir le manga dans sa diversite. Et nous avons rencontre pour la premiere fois Jiro Taniguchi. En 1995, quand L'Homme qui marche est paru chez Casterman, j’ai ete emerveille. Enfin, je pouvais entrer pleinement dans l'histoire. On s'est dit avec Francois Schuiten : "Voila quelqu'un qui finalement utilise des codes assez proches des notres, a une esthetique graphique qui n'est pas des anime, qui a un dessin raffine et un univers poetique qui nous parle immediatement."
私たちが「モーニング」誌の招聘で東京を訪れたのは1993年のことでした。フランソワ・スクイテンと私は様々な漫画を東京で発見し始めました。そして初めて谷口ジローの漫画に出会ったのです。それからニ年後の1995年に「歩く人」がCatermanから翻訳出版され、瞠目させられました。私はそのストーリーにすっぽりと引き込まれたのです。その時、フランソワ・スクイテンとこう話し合いました。 「私たちにかなり近い作法で漫画を描いている人についに出会った。アニメではない絵の美学があり、洗練されたデッサンがあり、私たちに直接訴えてくる詩的世界がある」と。
Tres vite, j’ai eu la chance de mieux connaitre Jiro Taniguchi et de dialoguer avec lui. Malgre l’obstacle de la langue, le courant passait facilement entre nous, notamment en raison de nos curiosites croisees : j’ai toujours ete passionne par Japon ou j’ai voyage pour la premiere fois en 1979 et a de nombreuses reprises depuis ; quant a Jiro Taniguchi, il s’interessait depuis sa jeunesse a la bande dessinee europeenne, et notamment au travail que je realisais avec Francois Schuiten.
間もなく、私は谷口ジローとうまく知り合うことができ、話し合うことができました。言語という障壁こそあれ、私たちの間に感情の流れが簡単に生まれました。というのも、互いの好奇心が交錯したからです。1979年に初めて日本を旅して以来、何度も日本に出かけましたが、私は常に日本に強い関心を持っていたのです。一方、谷口ジローは若い頃から欧州のBD(漫画)に関心を持っていたのです。特に私がフランソワ・スクイテンと描いてきた作品(「闇の国々」)に関心を寄せていたのでした。
En 2000, mon ami Frederic Boilet, qui vivait a Tokyo et lisait le japonais, a attire mon attention sur Haruka na machi e. C’est lui, peu apres, qui a traduit cette histoire et l’a talentueusement adaptee au sens de lecture occidental. Le minutieux travail auquel il s’est livre, en etroite complicite avec Taniguchi, a beaucoup contribue a l’accueil exceptionnel que Quartier lointain a recu, en France d’abord, puis dans de nombreux autres pays.
私の友人のフレデリック・ボワレが東京で暮らしていて日本語でものが読めたのですが、2000年に谷口ジローの漫画「遥かな町へ」のことを私に教えてくれました。少し後のことですが、この漫画を翻訳したのはこのボワレなんです。しかも、西欧の読者の感覚に合わせて実に見事に脚色していました。ボワレが谷口ジローと緊密に連絡を取りながら仕上げた入念なこの作業によって、まずフランスで、そして多くの国で「遥かな町へ」の翻訳版“Quartier lointain”が熱狂的に受け入れられることができたのです。
Jiro Taniguchi a fait decouvrir un << autre >> manga aux Occidentaux, un peu comme Hayao Miyazaki l’a fait pour le dessin anime. Son style graphique nous le rend immediatement accessible. Et la tonalite de ses histoires les rapproche des films japonais que les Francais ont aimes : ceux d’Ozu, de Kurosowa ou de Mizoguchi.
谷口ジローは西欧世界に「もう一つの」漫画があることを教えてくれたのでした。それはアニメの世界で宮崎駿が示してくれたものと多少似ています。谷口ジローの絵のスタイルはただちに私たちにとっては親しみを感じることができるものです。そして、谷口ジローの漫画の色調はフランス人が愛する小津安二郎や溝口健二などの日本映画に近いものがあります。
Q Vous avez realise un livre entier d'entretiens avec Jiro Taniguchi. Comment cela s'est-il passe ?
Q あなたは谷口ジローと対話の本「描く人」(L’homme qui dessine) を書きましたね。どのように出来上がっていったんでしょうか?
Notre relation s’etait beaucoup approfondie au fil des ans, malgre l’absence d’une langue partagee. Taniguchi parle a peine l’anglais, et moi quatre mots de japonais. Nous sommes donc passes par la mediation de Mme Corinne Quentin, qui avait traduit plusieurs de ses albums et etait devenue l’une de ses amis, mais je pense qu’il existait entre nous, au-dela d’une estime mutuelle, une sorte de proximite et d’empathie. Nos sensibilites s’accordaient bien, nous avions beaucoup de gouts en commun et une meme passion pour le langage de la bande dessinee.
私たちには共有する言語がありませんでしたが、年を追って私たちの関係は深まっていきました。谷口ジローは多少英語を話すくらいで、一方の私は日本語を4つしか話しませんでした。私たちはコリーヌ・カンタンさんの通訳によって交流できたんです。カンタンさんは谷口ジローの作品をたくさん翻訳していますし、谷口ジローの友達でもありました。しかし、それだけでなく、谷口ジローと私は互いに評価しあっていましたし、互いに距離の近さと共感を持ち合わせていたと思っています。感覚的に互いにかなり通じるものがありましたし、ともに同じ趣味をたくさん持っていました。そしてまた漫画の言語に対する同じ情熱を持ち合わせていたのです。
En septembre 2004, j’avais filme Jiro Taniguchi, dans son atelier, pour un documentaire de la chaine Arte. Cela m’a donne envie de l’interroger plus longuement. J’avais envie d’en savoir davantage sur son enfance a Tottori, ses annees de formation, ses albums encore inedits en France, ses relations avec ses scenaristes et ses editeurs, sa conception du manga et de la bande dessinee… J’avais surtout envie de mieux le connaitre, comme artiste et comme personne. Nous avions deja l’idee de ce livre de dialogues lorsqu’est survenu le seisme du 11 mars 2011, puis le desastre de la centrale de Fukushima. La tragedie que vivait le Japon rendait a mes yeux le projet plus necessaire encore.
2004年9月に私は谷口ジローを彼のアトリエで撮影しました。これはフランスの放送局Arteのためのドキュメンタリー番組です。この経験によって私は谷口ジローにもっとたくさんインタビューしたいと思うようになりました。まず彼が故郷の鳥取でどのように子供時代を過ごしたのか。漫画の修業時代はどうであったのか。まだフランスで翻訳出版されていない作品について。漫画のシナリオ作家や編集者たちとの関係について。谷口漫画の発想や漫画のスタイルについて...私は一人の人間として、そして同時に、一人の芸術家としての谷口をもっと知りたいと思うようになりました。私たちは一冊の対話本を書くという話をしていました。丁度、2011年3月に地震が東日本を襲い、福島で原発事故が起きた時のことでした。日本が見舞われたこの悲劇によって、私と谷口ジローの対話本を出版する計画はむしろますます必要だと私の眼には見えました。
Si le livre L’homme qui dessine est reussi, c’est parce que Taniguchi a accepte de parler de facon tres libre, lui qui etait si reserve dans ses premieres interviews. Il a aussi ouvert ses armoires et sorti beaucoup de documents qu’il n’aurait jamais montres hors contexte -des photos d’enfance, les planches des debuts, les histoires refusees…
この本「谷口ジロー 〜描く人〜」の出版が成功したとすればそれは谷口ジローが非常に自由に話してくれることを承諾してくれたことによるものだと思います。以前のTV用のインタビューでは非常に緊張して自由ではなかったのでした。そして、また谷口ジローは箪笥の引き出しを開けて、未公開だったたくさんの記録を取り出して見せてくれました。少年時代の写真や、デビュー作の漫画の原版、掲載を断られた作品などです。
Je regrette beaucoup de ne pas avoir pu revoir Jiro Taniguchi pendant les deux dernieres annees. Je le savais malade, mais je ne m’attendais pas a ce qu’il disparaisse aussi vite. Sa mort me cause une grande peine. Mais je suis sur que ses livres resteront.
私はこの2年間の間に谷口ジローに会わなかったことが悔やまれます。彼が病気になっていることは知っていました。しかし、これほど早く亡くなってしまうとは予想していなかったのです。谷口ジローの死は私にとって大きな痛手です。しかし、谷口ジローの漫画が今後も生き続けることを確信しているのです。
Benoit Peeters ブノワ・ペータース 漫画の脚本家、作家
Interview Ryota MURAKAMI 村上良太
■こちらは谷口ジローに捧げられたフランスのドキュメンタリー映画。多くの人が「遥かな町へ」を軸に、谷口漫画の素晴らしさをフランス語や日本語で語っている。谷口本人やヤマザキマリなども出演している。ブノワ・ペータース氏とフランソワ・スクイテン氏も出演。これは2年前のアングレーム国際漫画祭で上映された二コラ・フィネと二コラ・アルベールによる短編ドキュメンタリー映画だと紹介されている。フランス人がどう谷口ジローを受けとめたかがわかる素晴らしいドキュメンタリーだ。
(En 2015, le Festival d'Angouleme rend hommage a son travail avec la grande exposition "Taniguchi, l'homme qui reve", dont est tire ce documentaire signe Nicolas Finet et Nicolas Albert. )
http://www.slate.fr/story/137219/documentaire-hommage-taniguchi
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ブノワ・ペータース氏(漫画の脚本家、作家)Benoît Peeters
フランス=ベルギーのBD「闇の国々」のシリーズ。ブノワ・ペータース(脚本)、フランソワ・スクイテン(作画)
漫画家、谷口ジローをはさんで。左がペータースさん、右が翻訳者のコリーヌ・カンタンさん Benoît Peeters, Jirô Taniguchi et Corinne Quentin
「遥かな町へ」のフランス語版(第一巻)日本在住経験のある漫画家、フレデリック・ボワレが翻訳を担当し、欧州で大ヒットとなった。
ブノワ・ペータース氏が谷口ジローとの対話をまとめた本「谷口ジロー 〜描く人〜」"L’homme qui dessine "
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