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橋本勝21世紀風刺絵日記
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2017年02月25日14時23分掲載
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文化
「闇の国々」はこうして生まれた ブノワ・ペータース(漫画脚本家) Sur « Les Cités obscures » et la bande dessinée franco-belge Benoît Peeters
谷口ジローと親交が厚かったフランスの漫画脚本家・作家のブノワ・ペータース(Benoit Peeters)さん。ペータースさんが作画家のフランソワ・スクイテンさんとのコラボレーションで生み出したバンドデシネ(BD、漫画)「闇の国々」は1982年以来、13冊が出版され、谷口ジローも一目置いていたという作品です。欧州のバンドデシネ(漫画)の歴史はこの作品なしにしては語れないほど大きな影響を与え、今日に至っても国境を越えて漫画家たちにインスピレーションを与え続けています。今回、ブノワ・ペータースさんに「闇の国々」が生まれた経緯や作品が生まれた背景にあるベルギーの漫画文化についてお聞きしました。
(以下はインタビュー)
Q Pourriez vous parler comment vous avez ete fascine par BD quand vous etiez etudiant ? Et pourquoi Belgique est le pays de BD ?
Q ペータースさんは学生時代にどのようにしてバンドデシネに魅了されたのでしょうか? またなぜベルギーはバンドデシネが盛んな国なんですか?
Je suis un enfant de la bande dessinee franco-belge. Dans les annees 1960, a Bruxelles ou j’ai grandi, la bande dessinee passionnait les enfants de notre generation. En fait, c’etait une sorte de mot de passe, nous nous echangions les albums et les journaux Spirou et Tintin. C’est a cette epoque que je suis devenu ami de Francois Schuiten, un camarade de classe passionne de bande dessinee. Nous realisions ensemble un petit journal. Nous ne connaissions pas du tout les mangas - qui n’etaient pas traduits en francais.
私はフランスとベルギーの「バンドデシネ」文化の子です。1960年代に私はブリュッセルで少年時代を過ごしたのですが、バンドデシネは私の世代の子供たちを惹きつけるものでした。実際、バンドデシネは一種の合言葉のようなもので、バンドデシネの本や”Spirou”という新聞(漫画が掲載されていた) や「タンタン」シリーズなどを子供同士で交換していました。私がフランソワ・スクイテンと友達になったのもその頃で、バンドデシネを愛好するクラスメートだったのです。スクイテンと私は一緒にミニ新聞を創ったりしました。しかし、私たちはその頃は未だ日本の漫画については知る由もありませんでした。というのも未だフランス語に翻訳されていなかったからです。
Adolescent, j’ai un peu delaisse la bande dessinee. Je suis devenu un grand lecteur de litterature et un cinephile acharne. J’ai fait une licence de philosophie a la Sorbonne, tout en publiant un premier roman aux editions de Minuit. A cette epoque, j’ai fait la rencontre determinante de Roland Barthes qui m’a dit : << Je vois bien que vous avez surtout envie d’ecrire... Developpez votre envie sans vous laisser bloquer par un cadre universitaire >>. Mais le travail de reflexion m’interessait deja autant que l’ecriture de fictions. J’ai consacre mon travail de fin d’etudes a l'album Les Bijoux de la Castafiore, la plus etrange des Aventures de Tintin. A cette occasion, j’ai rencontre Herge pour la premiere fois.
青年時代の一時期、私はバンドデシネから少し離れた時期がありました。その頃、私は文学にのめり込み、また映画にも猛烈にのめり込んだんです。私はソルボンヌ大学の哲学科に在籍してミニュイ社から最初の小説を出版しました。当時、ロラン・バルト教授にそこで運命の出会いをしました。バルト教授は私にこう言ったのです。「あなたはものを書きたいと言う強い欲求を持っていますね...大学という枠にとらわれることなく自分の欲求を形にしなさい」、と。しかし、フィクションの創作と同時に、思想の方面の作業にもすでに興味を持つようになっていたんです。そこで私は学位論文としてタンタンのシリーズの中でも最も不思議な物語である“Les Bijoux de la Castafiore,”を取り上げました。この論文執筆でエルジェ(タンタンの作者)に初めて出会うことになりました。
Deux autres elements m’ont conduit vers la bande dessinee, vers la fin des annees 1970 : la lecture du premier numero de la revue "A suivre", en fevrier 1978, et les retrouvailles avec Francois Schuiten, a peu pres a la meme epoque. A ce moment-la, j’ai decouvert le travail de l’ecole de bande dessinee dont il etait etudiant a Bruxelles. Il se passait reellement quelque chose d’important ! Les styles graphiques avaient enormement bouge, mais j’avais l’impression que le scenario ne suivait pas la meme voie et qu’il n’etait pas toujours a la hauteur.
1970年代の末に私をバンドデシネに向かわせたことがほかに2点ありました。1978年2月に最初の号が出た“A suivre“を読んだことです。もう一つはその頃に子供時代にバンドデシネ愛好仲間だったフランソワ・スクイテンと再会したことでした。その頃、私はブリュッセルの漫画家のニューウェーブの作品に注目しており、スクイテンもまたその一人だったのです。現実に彼は重要なことを経験しつつありました。漫画の絵のスタイルは大きく変わりつつありました。しかし、私の眼にはバンドデシネの脚本が作画とはばらばらで、同時にまた、脚本のクオリティもいつも良いわけではない、という印象を持ったのです。
Le milieu de la BD dans les annees 70 etait tres accueillant, car toute une generation en ebullition naissait. Alors j’ai pense qu’il y avait une possibilite pour des gens venant d’horizons differents de s’exprimer a travers la bande dessinee. Des univers qui me fascinaient - comme ceux de Kafka, de Borges ou de Robbe-Grillet - pouvaient y trouver un echo. C’est comme cela que nous avons commence << Les Cites obscures >>, vers 1980. Nous n’imaginions pas un instant que nous ferions autant d’albums ensemble, et encore moins qu’ils seraient un jour traduits au Japon.
1970年代のバンドデシネの世界は非常にオープンな世界でした。というのも、熱狂した漫画世代が生まれていたからなのです。そこで私はバンドデシネとは異なる様々な領域にいた人々がバンドデシネに参入して表現を行う可能性があると考えました。私を魅了していた世界というのはカフカやボルヘス、アラン・ロブ=グリエなどの文学世界でしたが、これらをバンドデシネの土壌に移植できるのではないかと思ったのです。1980年ごろに「闇の国々」をスタートしたことにはこうした背景がありました。とはいえ、その頃はまさか一緒に本を出版することになろうとは思ってもみませんでしたし、もっと言えば作品が日本で翻訳されようとは夢にも思いませんでした。
Q Comment est -ce que vous ecrivez le scenario de “ Les Cites Obscures” ?
Q 「闇の国々」の脚本はどのようにしてお書きになっているのでしょうか?
<<Les Cites obscures >> sont avant une histoire d’amitie et de complicite. Nous avons commence a travailler ensemble, Francois et moi, vers 1980. Notre travail commun se developpe donc depuis plus de trente-cinq ans. L’univers des << Cites obscures >> est ne de deux personnes, issues de domaines differents, qui ont << decouvert >> un univers parallele en s’inventant au fil des ans un territoire commun. Cette serie, qui n’en est pas tout a fait une, est vraiment le resultat de notre collaboration. A l’origine, Francois apportait son gout de l’architecture et de la science-fiction, et moi un imaginaire plutot litteraire et le gout des structures narratives sophistiquees. Puis les choses se sont complexifiees... Chaque album a contribue a faire naitre le suivant, ne serait-ce que par reaction.
「闇の国々」はまず何よりも友情と信頼によって作られた物語と言えます。フランソワと私は1980年の頃にこの作品をともに作り始めました。以来、30年以上共同作業が続いています。しかし、同時に「闇の国々」の世界は異なる世界から来た二人の人間によって生まれたとも言えます。背景の異なる二人が時間をかけながら少しずつ共通の世界を発見していったのです。「闇の国々」のシリーズは1つとは言い難い多様性を持っていますが、これらの作品群は私たちの共同作業の賜物なのです。元来、フランソワは建築への関心とか、SFへの関心などがあり、それらの趣味をシリーズに持ち込んでいます。一方の私は逆に文学的な想像力やより洗練された物語の構造に関心がありました。その結果、それらが複雑に絡み合うことになったのです… 本の1巻1巻が連鎖反応的に、次の巻を生み出していったのです。
Le plus important, a nos yeux, c’est d’arriver a un resultat qui nous appartienne a 100% a tous les deux. Une idee doit s’enrichir de toutes les manieres possibles, circuler entre nous. Elle doit nous seduire autant l’un que l’autre pour pouvoir donner naissance a un album. Le travail des textes, et celui du dessin sont bien sur realises de maniere plus individuelle, mais meme a ce stade il n’y a pas de chasse gardee. Les themes sont donc les miens autant que les siens. Ils sont nes de notre dialogue constant, depuis plus de 35 ans.
私たちにとって一番大切だったことは私たち二人だけの力で100%、作品をともに作り上げるということでした。あるアイデアがあるとすると、二人の間でキャッチボールしながら、あらゆる限りの形で、より豊かなものに磨き上げていきました。1つのアイデアは、一冊の本を出版できるほど、共同作者である私たちそれぞれを魅了するものでなくてはなりません。脚本づくりと作画はもちろん、それぞれ個別に行われますが、その段階に至るまではどんなことでも互いに意見をぶつけ合うわけです。テーマは私のものでもあり、フランソワのものでもあります。「闇の国々」の作品群は35年以上に渡って私たちの間で常々行われてきた対話によって生み出されてきたんです。
Benoit Peeters ブノワ・ペータース 漫画の脚本家、作家
Interview Ryota MURAKAMI 村上良太
※ベルギーの出版社Castermanの「闇の国々」のウェブサイト
http://www.casterman.com/Bande-dessinee/Collections-series/albums/les-cites-obscures 1982年以来、すでに13冊が出版されている。
■「谷口ジローの思い出」ブノワ・ペータース "Souvenir de Jiro Taniguchi " Benoit Peeters
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201702241610575
■こちらは谷口ジローに捧げられたフランスのドキュメンタリー映画。多くの人が「遥かな町へ」を軸に、谷口漫画の素晴らしさをフランス語や日本語で語っている。谷口本人やヤマザキマリなども出演している。ブノワ・ペータース氏とフランソワ・スクイテン氏も出演。これは2年前のアングレーム国際漫画祭で上映された二コラ・フィネと二コラ・アルベールによる短編ドキュメンタリー映画だと紹介されている。フランス人がどう谷口ジローを受けとめたかがわかる素晴らしいドキュメンタリーだ。
(En 2015, le Festival d'Angouleme rend hommage a son travail avec la grande exposition "Taniguchi, l'homme qui reve", dont est tire ce documentaire signe Nicolas Finet et Nicolas Albert. )
http://www.slate.fr/story/137219/documentaire-hommage-taniguchi
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ブノワ・ペータース氏(漫画の脚本家、作家)Benoît Peeters
フランス=ベルギーのBD「闇の国々」のシリーズ。ブノワ・ペータース(脚本)、フランソワ・スクイテン(作画)« Les Cités obscures »
「闇の国々」シリーズを描いているフランソワ・スクイテン氏 François Schuiten au travail (par B. Peeters)
「闇の国々」« Les Cités obscures »
ブノワ・ペータースさん(左)とフランソワ・スクイテンさん。「闇の国々」第一巻を出した翌年の1983年の1枚。 B. Peeters & F. Schuiten - 1983
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