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橋本勝21世紀風刺絵日記
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2017年03月01日14時04分掲載
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人権/反差別/司法
絵に描いた餅としての「憲法」と茶番劇の「議会制民主主義」が共謀罪を産み落す(3) 共謀罪容疑での捜査に歯止めをかけることはできない 小倉利丸
政府が共謀罪から「テロ等準備罪」に名称変更したこと、そしてテロ対策を前面に押し出してきたことは、前述したように、共謀罪の本質が維持されただけでなく、政治活動や思想信条への監視・取り締まりにシフトすることになったことを意味している。また、「共謀」と呼ばずに「準備」と呼ぶことによって、準備罪の定義が共謀を含むものに拡張されることになった。安倍政権は、治安立法としての共謀罪という性格を公然と打ち出しても世論の批判は少数に留まるという強気の判断をしているのだろうと思う。
3.共謀罪容疑での捜査に歯止めをかけることはできない
「準備罪」という名称をどう考えたらよいだろうか。これは共謀罪という評判の悪い名称を隠蔽するずる賢い手口であるだけでなく、従来からある「準備罪」の概念を共謀まで含むものに拡大してしまう恐れをもつのではないだろうか。また、犯罪を実行する目的で行なわれる準備行為を「予備罪」と呼ぶが、その明確な定義があるわけではないから、この予備罪もまた共謀を含む概念として恣意的に解釈される可能性がでてくる。
これまでの既遂以外の犯罪類型には、未遂、準備、予備、陰謀などがあり、概念そのものが混乱している。実行行為の前段階の「行為」を客観的に区分けできるような定義がいかに困難であるかを法律概念の混乱そのものが如実に示している。言い換えれば、既遂以外の行為を客観的に定義することは論理的には不可能であって、常に捜査機関の主観的・恣意的な法律解釈なしには成り立たないのだ。既遂の事件であれば、行為を特定し、その行為の物証となる物を特定できるが、実行行為以前の事柄を事件と結びつけようとすると、この「結びつけ」それ自体に捜査機関の解釈が介入せざるを得ず、客観性は維持できないからだ。定義があいまいなまま様々なカテゴリーに行為を分類すると、更にまたこのあいまいさの隙間を埋める必要からカテゴリーの細分化が進行する一方で、それが法律による縛りにはならずに、逆に、法執行当局に恣意的な解釈を委ねるような法律の適用を横行させることになる。共謀罪は、既遂の行動が捜査の着手点にするのとは異なり、時には様々な矛盾をはらんだコミュニケーションを含む広義の意味での「行為」全般を捜査の出発点に据えることを合法化してしまう。その対象犯罪の数がどうあれ、既遂の犯罪を処罰する刑法の基本(と私たちが考えている性質)を根底から転換させるものだ。
対象犯罪に関して政府案は「懲役4年以上」としており、600以上の犯罪が対象になることが争点となっている。絞り込みを前提として共謀罪を容認するという対応を公明党は取りはじめており、毎日も社説で「テロ等準備罪 犯罪の対象が広すぎる」ことに懸念を示すというスタンスをとっているために、数を絞り込めば共謀罪もアリであるかのような印象が拡がりつつある。これは共謀罪の本質をあいまいにする議論でしかない。
共謀罪の本質は、共謀という行為を犯罪化できるという枠組が確立するという点にある。行為そのものではなく、コミュニケーションや思想信条を含む「共謀」行為を犯罪の概念として確立させるということが今回の法案の最大の問題点なのであって、その罪数や対象の集団の性質は問題の本質ではない。この点は一歩も譲ってはならない大問題である。いったんこのような犯罪の枠組が定められてしまえば、当初の法律がいかに対象犯罪が絞られようと、いかに対象の集団が「組織的犯罪集団」とかテロ集団などとして定義的に限定されようと、近い将来、対象犯罪が拡大され、対象の集団の範囲も拡大されるような改悪に容易に道を開くことになる。治安維持法であれ盗聴法であれこうした道をとってきた。
この点を踏まえた上で、対象犯罪についての政府側の主張にみられるある種の情報操作を指摘しておきたい。窃盗(刑法235条)、詐欺(刑法246条)や恐喝罪(刑法249条)などは「10年以下の懲役に処する。」と定められているから、共謀罪の対象犯罪になる。しかし、刑罰の下限は規定がない。軽微であり到底懲役4年にもなるとは思えないような事案であっても、懲役4年以上の刑罰規定があるので共謀罪が適用され、共謀罪容疑の捜査や逮捕・拘留が可能になる。この問題が深刻に議論されてきていない。
たとえば、捜査機関は、争議の実績のある労働組合や非暴力直接行動をとる市民団体などを「組織的犯罪集団」と恣意的に分類することができるし、どのような団体を組織的犯罪集団とみなしているのか、そのリストは公表されない。労働組合が会社に、市民団体が行政に団体交渉することを「恐喝」の可能性を疑いうると解釈して、そうであるなら共謀罪適用が可能との口実をもうけて、捜査に着手するかもしれない。当該団体が「共謀」しているかどうかの証拠を収集しなければならないから、会話や通信を傍受したりメンバーの動静を追跡・監視するといった行動が正当化されてしまう。あるいは共謀罪容疑で逮捕・拘留や強制捜査を行なうということ自体によって、起訴しないとしても運動への弾圧効果をもたらそうとするかもしれない。
また、共謀罪容疑での捜査や取調べで得られた情報を、起訴されなかったからといって廃棄する義務はなく、こうした情報を別の捜査目的で利用することを違法とする法律もない。共謀罪の成立は、反政府運動の監視と取り締まりにこれまでは警備公安警察が公然とは介入できなかった領域に、予算と人員を割り当て、足を踏み入れて干渉する権利を与えることになる。
共謀罪の対象犯罪での立件とは別に共謀罪単独でも立件できるので、逮捕拘留の更なる長期化が可能になる。たとえば、恐喝の共謀容疑で逮捕拘留して23日拘留し、拘留期限が切れるときに容疑を恐喝に切り替えて再逮捕、拘留延長ができる。3週間以上の裁判なしの拘留が可能な現状にあっても、警察はこの権限を最大限に活用して、外部との接見を制限し、本人に対する心理的な拷問を加える手段に用いられる。3週間も逮捕されると仕事を失う可能性も大きく、しかも警察の記者クラブを利用して警察にとって都合のよい情報をメディアに流し、逮捕=犯人という印象をメディアは与える一方で、メディアは被疑者への取材を後回しにし、警察は被疑者本人のメディアのアクセスを阻止する。共謀罪はこうした傾向に拍車をかけることになる。
共謀罪の萎縮効果はこれにとどまらない。実行犯でなくても共謀に加わっただけで共謀罪で検挙される。議論に参加したが、実行行為には参加しなかった場合であっても、共謀罪に問われる。したがって、自らの思想信条を表明することだけでも犯罪とされる可能性をもつ。どのような関わり方が犯罪とみなされるのかは捜査機関の裁量に委ねられ、国会での法案解釈論議は拘束力をもたない。行動に参加しなくても行動を支持するような考え方を述べることが、共謀の疑いとして少なくとも監視の対象になることから、こうした息苦しい環境のなかで、犯罪とみなされる可能性のある反社会的あるいは反道徳的な価値観や考え、あるいはこれらを表現することそれ自体が違法ではないかとの危惧が抱かれて、作者だけでなく、メディアや出版社などの自主規制を招く危険性がある。一般論として言えば、小説、映画、ゲームなどのフィクションのなかですら、自主規制がなされる危険性がある。少なくとも反政府的な言説は、フィクションはもちろんのこと、諷刺などで反道徳的と政権がみなすかもしれない内容が含まれていても幅広く認められなければならないにもかかわらず、こうした雰囲気としての自主規制の範囲が拡がる危険性がある。
これまでも警備公安警察は、反政府運動の活動を取り締まるために上で例示したような犯罪類型を恣意的に適用することは珍しくなく、しかもかなり強引かつ社会常識からみても適法の範囲内の行為であっても、検挙される場合がある。逮捕や強制捜査の令状も裁判所はほぼ捜査機関の言いなりで発付するという癒着が常態化している。捜査機関には対象となる行為が懲役4年以上になるかどうかを判断する権限はないことを逆手にとって、共謀罪対象犯罪としてリストアップされた犯罪については、いかに軽微な犯罪であっても共謀罪での捜査に着手することができるようになる。政府は意図的と思われるが、懲役4年以上という文言だけを強調するので、懲役6ヶ月などという場合には適用されないかのような誤解を与えようとしている。
上に述べたように、共謀罪があるかないかでは、捜査機関の初動捜査のタイミングや範囲・規模、人員や装備などの予算措置が大きく異なることになる。共謀罪が適用される集団構成員の範囲を特定するためには、集会参加者、デモ参加者、カンパや機関紙誌購読者などを網羅的に監視するという方向に進むだろう。機関紙誌の定期購読者や集会の参加者を集団の構成メンバーとみなすことができるかどうかは、捜査機関の裁量による。実際には警察は情報収集活動を行ない、メンバーを特定し、一人一人の集団との関わりを捜査することなしに集団の構成員かどうかの判断を下すことはできない。ネットの情報環境を前提すれば、ウエッブへのアクセス、FacebookやtwitterなどSNSの利用者の言論内容や行動、相互の繋がりなどから広範に人間関係を特定することが重要な捜査活動になるだろう。盗聴捜査や通信事業者との協力関係がこれまで以上に促進されるだろう。そしてこうした全ての活動が適法なものとして予算措置が公然ととられることになる。
このように、共謀罪が反政府運動に対して利用される最も危惧すべき事態のひとつは、こうした事実上の監視のための利用である。こうした利用を明示的に法律の条文で禁ずることはできない。禁じてしまえばそもそもの犯罪としての共謀罪の捜査は不可能になるからだ。言い換えれば、共謀罪を認めるということは、歯止めなく人びとの自由に干渉あるいは介入する権利を公権力に与えるということにならざるを得ないということである。国会質疑では、こうした恣意的な運用や監視のための手段としての共謀罪の運用を政府は否定するだろうが、共謀罪反対の野党側は、この政府の否定のごまかしに有効に反撃できる論理を立法府という限定された土俵の上で構築することはほぼ不可能だろう。押し問答の末、付帯決議などという形式的な歯止めの約束に対して、現実の執行機関は一切拘束されない。だから国会審議は、悲しいことに茶番劇でしかない。この茶番の挙句に、国会で成立した法律は具体的な物理的強制力をもって私たちの自由を奪うことができるのだ。メディアもまた国会で政府が「確約」したことが法に反映して執行機関を抑制できるかのような印象を与えかねない報道しかできない。現場の執行機関が法を解釈し、運用するのであって立法府の立法意思は何らの効果も持たないということがメディアでは報じられない。このような立法府の限界と法執行機関の歯止めなき権力行使が、いかに人びとの権利を侵害する深刻な温床となり、国家権力にフリーハンドの権利濫用を認めることになっているのか、このことを制度の根源に遡って批判的に検証すること自体が運動化されることが必要だ。
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