昨年秋にインドの北部に面したブータン王国を訪れた。日本では東北地震津波の際、現5代目国王は日本の被災地にいち早く訪問された。その若い現国王ご夫妻のお姿が評判となったで、ご記憶の方も多いかと思う。ブータンは、東西南をインドに接している。西がシッキム州(元王国)、南がベンガル・アッサム州、東がアルナーチャル・プラデーシュ州の二つ。北は中国チベット自治区に接している。海抜は100m〜7561mと差があり、気候はツンドラ気候、モンスーン気候、亜熱帯気候と混在している。国土は38,400平方キロ(中国との国境問題で現在はここまで減じている)、人口は70万人程度。人口の90%以上が農民で、基本的に自給のための農業で、自給率はほぼ100%だ。経済的にはGDPが年間2,000億円ほど。日本だったら人口6万人程度の市町村程度の経済規模。アジア国際銀行の2011年の調査では、一人一日2ドル未満で暮らす貧民層は推定17万人、人口の25%を占め、国際連合の基準では最貧国に分類されている。 宗教はチベット仏教。国民の信仰心はとても深い。1971年国連加盟。国語はゾンカ語、国旗は雷龍の模様。1999年に国内テレビ放送が始まり、インターネットが許可される。近年まで鎖国政策がとられていた。2007年に初の国政の普通選挙(両院制)が始まった。主食は米やトウガラシなど。 民族衣装は、男性は日本の着物に似ている。裾をからげている江戸時代の「めやかし」に似ていて、足はハイソックスと靴というスタイルだ。女性は、巻きスカートと襟元が日本の着物に似ており、カラフルで美しい。これが公式の衣装で、仕事に行くときも皆このスタイルである。そしてブータン人の顔は日本人に似通っている。
この国の概略を数字からみると、なるほどブータン王国は最貧国だと普通は思うであろう。しかし果たしてこの国は本当に”最貧国”であろうか?
私は15年前ヒマラヤ山脈を越えて飛んでくるオグロヅルを見るために、初めてこの国を訪れた。その時以来この国の大ファンになった。そしてつい最近再びこの国を訪れた。15年前に行って以来、私の中でブータンに行きたい思いは募りに募っていた。その思いは、ただもう一度行きたいというのではなく、一年と言いたいところだが、今は高齢の母が日本にいるので、せめて三か月だけでもブータンに住みたいと願うほどになっている。ブータンという国は私にとって母国日本を差し置いても住みたいと願うほどの国なのである。夫はすでに14回も訪れている。そう願いながらも15年ものあいだ再訪できないでいた。それが今回やっと二回目の訪問が実現した。
縁あって愛知県の高校教職員組合退職者の会の方々とここ何年か一緒に年に一度「アジアの旅」を続けている。その方たちをお連れする目的なのだが、内心将来のための下調べの気持ちがあった。そして15年前のブータンが今はどうなっているのかということを知る旅でもあった。
15年前のこの国の印象は、強烈であった。私はタイ東北部で一か月に及ぶ日本のテレビドキュメンタリー番組の通訳コーディネートを終え、疲れ果ててバンコク・ドンムアン空港よりドゥルック航空に乗り込んで先行している夫の後を追いかけた。異常な疲れが体にまつわり、飛行機の中では離陸前から眠っていた。カルカッタに機体がドーンと着陸して一瞬目が覚めたが、地震でも覚めない眠気のようなもので、5秒ほどしか目をあけられず再び昏々と眠り、とうとうパロの空港に到着する羽目になった。アナウンスがあり、さすがに起きなきゃと窓から外を見ると、眼下に山に挟まれた谷の隙間に一本のアフリカの田舎にあるような小さな滑走路が見えた。えーッ、これだけ?ターミナルらしきものも見えなかった。中型の飛行機は紙風船のように風に少しまかれるように着陸した。二階建ての掘っ建て小屋が見えた。それがターミナルであった。これがブータン王国と世界を結ぶ玄関口であった。
私は眠っていたので入国カードも書かずいた。どっちに歩いて行っていいのか迷い、同じビジネスクラスの前に座っていた乗客の婦人の後ろについていけばいいだろうと考えた。その婦人が何度か私を振り返った。そのうちに私のほうに歩み寄ってきて「あなたが歩く方向はこっちではありません、あっちです」とゆび指した。 到着した日の晩、国連で働く友人の家でそのことを話すと、「それは今日帰国した国王の第一夫人よ」とのことだった。私はすごくたまげたのであった。私は空港では王族が歩く道を涼しい顔して歩いていたわけである。でもその婦人はとても優しい感じの方であった。
街に出た、そこには沢山の野良犬がいた、どこに行っても犬がいる、その全ての犬がのんびり寝ている、人間が通っても全く気にしていない、遠慮も媚びもない。私は近づいて声をかけると、寝たまま目だけ開け私をちらっと見て、再び目をつむって寝た。どの犬も、みな毛艶がよい。私の住んでいるバンコクには汚水や排気ガスにまみれ毛が抜けたり、交通事故にあって足を引きずっていたり悲しそうな顔をした犬が沢山いる。しかしブータンでは皮膚病の犬が見当たらない。目の周りは濃いアイラインを引いたようなチベット犬だった。きれいな犬たちだ。私はこの子たちに、この国の人たちがどのように接しているのか即座に理解できたし、空気や水、食べ物を含めこの国の自然や環境がどうなっているのかもすぐに推測できた。それが私をこの国に引き付けた最初で最大の理由だった。
二度目のブータンはあれから15年たっている。この国はどうなっているかと胸はドキドキした。到着した空港は15年前と大きく違って、滑走路も立派になり、空港全体はタイの地方空港ほどの規模だが、ターミナルはそれは美しいブータン伝統建築で作られていて、訪れた人々の目を喜ばせていた。空港からの道も随分と整備されて伸びていた。首都ティンプーの町並みは建物が増えてにぎわいでいた。でも犬は相変わらずで、私はとても安堵し嬉しかった。人々のまなざしも相変わらず優しかった。レストランやホテルの食事は以前はジャガイモ、唐辛子、カッテージチーズの繰り返しだけだったが、今回はとても立派であった。ポークやビーフ、チキン、魚なども料理されていたので大変驚いた。この国は宗教上の理由から屠殺はしない、魚釣りも禁じられている国なのである。私が食した魚肉は、主に観光客などの為にインドから輸入しているとのことだった。
訊いてみると15年後の今も相変わらず屠殺禁止で、国民のほとんどが菜食であった。この点を含めこの国にほれ込む理由はいくつもある、ブータンは国土のうち森林面積は65%を超え、むしろ増加しているようだ。近隣諸国が開発という名目のもとに、どんどん自然を破壊していくのを見てブータンはそれをしないと決めたのである。そして自国の文化を守るため民族衣装の着用や家屋の建築には伝統建築を用いると法律で定めていたりする。また自然を守るために観光客の人数も制限しホテル等の観光施設の乱立を管理している。ゆえにバックパッカーの旅人というのはこの国にはない。初めに国に許可を取り、一日につき250ドルほどのお金を支払って入国するのである。この金額の中にはホテル、車、食事、ガイド料が含まれている。 国の環境と文化を守ろうとする政策がはっきりとしている。外国からやってくるものに対してブータンは「何も持ち込まず、何も取らず、何も残さないでください」と願っている。「残していいのは足跡だけ、もちだしていいのは思い出だけ」ともいう。
「1972年に三代目の国王が若くしてなくなり、若干18歳の年で4代目の国王になった、ジグミ シンゲ ワンチョクは聡明で、私欲がなく、国民にひたすら奉仕する人で、国民総幸福量(GNH)を言った人である。この4代目国王がGNHを口にしたのは1972年、今から45年も前である。世界の王室のなかで「国民が王室を望まないなら廃止してもいい」と言った人はこの人以外私は知らない。この前国王はまずあっさりと政治権力から離れてしまわれた。側近のものが翻意を懇願しても頑として受けず「世襲の王制は、いつか必ず問題が起こる。よい王がなったときはいいが、よくない王がなったときは国民にとって不幸である。私の目の黒いうちに、国王が政治に関与することはやめる」とおっしゃったのである。
私の住んでいるタイ国にも昨年ご逝去されたラマ九世のプミポン国王は絶大な人気を国民から受けている。しかしこの国王にしても国民の意志がそうなら王室をなくしてもいいとはおっしゃらなかった。私はこの話を聞いたとき大変衝撃をうけ、そして感動した。贅沢されることもなく一年中ご自分の足で隅々までまわり、国民の相談に日夜応じておられたという。私はこの前国王と同時代に生きているだけでも自分の運の良さを心より喜んだ。おまけに高貴なお顔でイケメンなのである。若い時の国王の写真を見ると、私は、なんと美しくすんだ目、聡明そうなお顔と感心し、うっとりしてしまうのである。まあ一言でいうと私好みなのである。
ある2010年の調査では、ブータン人のGNHは日本の6.6よりも低く6.1と言われている。しかし実際にその国を訪問し、その地にたち、いろいろなところに行きいろいろな人に会って、いろいろな方と話してみて、私の目に映ったブータンの人々は今の日本人よりもはるかに幸せそうにみえた。心が豊かなのである。モノやお金で人は幸せになるのではないということを証明していた。また表面的な数字でも実情はわからないものだとつくづく感じた。
夫が文房具屋に入ってボールペンを買い求めようとしたときの話である。夫は両替する前で100米ドル紙幣しか持たず、一方店には釣銭がなかった。店員が「どうぞボールペンは持っていっていいですよ。おつりが揃う午後にでも代金を払いに来てください」と言うので夫が驚いたことがあった。また早朝の買い物の時である。マーケットがまだ閉まっている。困って表に立っていると、道行く人が気付いて奥にいるらしい人を呼び臨時に店を開けてくれたことがあった。 90%が農民の国である。いつも皆で協力しあっている雰囲気がただよっている。人々は穏やかで親切で、そしてあまり人を疑わないようなのである。
二回目の旅では日本語ガイドがついた。名前はキンレイさんという。彼が発した言葉で、「この国に住んでいる人はみな幸せでなくてはいけない。また人だけでなく、この国に住んでいる動物もみな幸せでなくてはいけない、ブータンはそう考えます。農繁期が終わった後の雄牛がこの国では一番のんびりしています。」といって皆を笑わせた。本当にそういう国なんじゃないかと私には思えた。この国にいると私はどうして穏やかで朗らかな気持ちになるのかという答えがその言葉にあると確信した。
同じアジアのタイ国に24年も暮らしている。この国も私は大変愛している。タイ人のことも大好きだ。でもこの国にもやはり闇の部分がある。日本にもあるし世界中どこの国にも闇はある。でもこのブータンという国にはその闇が極めて少ないように感じてしまう。初めてこの国に来た時、段々畑の続く山村で一軒の農家に立ち寄った。畑に立っていると、犬が走ってきた。人によく慣れているらしく目の前に来るとコテンと仰向けになっておなかを見せた。犬がよくやるポーズである。しかしその犬はものすごく足が細くて短かった。よく見ると犬ではなくて豚であった。豚が犬のように人になついていたのである。この出来事を私は忘れることはできない。どこで見かける動物もみな幸せそうなのである。死の恐怖を持っていないからだろうか? 私がそう思ってみるからなのだろうか? きっとその両方なのだろう。
私の幼いころは日本もまだ先進国に仲間入りしていない。タイも24年前はもっとおっとりしていた。国が工業化して近代化する。農業が廃ってくる。そういう流れになると人心が荒廃してくるという印象が私にはある。農業国が好きだ。ブータンでは農業に従事する人が以前よりも増え続けていると聞く。自給農業のせいか、生産性を気にしていないのか、GNPに占める農産物は35%と低い。この国の価値観は私の知っている国々とは全く違っているとおもう。だから表に上がってくる数字だけで、貧しいとか決められないと思うのである。
私はタイに来てご縁があって仏教徒になった。チベット仏教ではなくタイは南方上座部仏教である。このタイで仏教を通して、いろいろなことを考えた。その一つに命のことである。自分の命、他の命。他の命の中には、犬猫、昆虫、食用肉の牛や豚や鶏、また魚、いろいろな命のことを考えると、とても苦しくなる。 私は毎日殺生をしていた。ゴキブリ、蚊、蟻、等などである。普通は大量の蟻でもほおっておく。しかし猫が吐いた食べものに大量の蟻がたかっていると殺さないと処理は無理なのである。この原稿を書いているPCの周りにも何故か小さな蟻がうろうろして時々ちくりと噛んでくる。そのたびにびっくりして私は1mmほどの蟻を殺してしまう。毎日こんなに大量殺戮していいものだろうか。実はひそかに悩んでいるのである。食べ物に関しては肉や魚だけでない、野菜や果物にも命があると最近は感じる。私を仏教徒に誘った僧侶は「植物は何の抵抗もできない。カルマの深い命が植物だ」とおっしゃった。そんな思いを日ごろから抱えている私ではあるが、だからと言って菜食主義者になることもできず、毎日蚊や蟻を殺しながら暮らして未だ変わることがない。しかし身勝手で矛盾していそうなのだが、ブータンは私にとって気持ちが休まる故郷の如くなのである。私にとっては真の桃源郷でもある。農民は農作業の間に知らない間に殺してしまう小さな虫に申し訳ないと、月に仏教日の三日間、供養のために仕事を休むとも聞いた。なんとかわいい人間達だろうと思ってしまう。もしこの国に住めるなら菜食でいいと思ったりもする。
宇崎喜代美 (バンコク在住 通訳・コーディネーター)
■わが憧れ、二回目のブータン その2 宇崎喜代美 (バンコク在住)
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