昨今、日本では大学教育を受ける側の財政問題が盛んに論じられるようになって、大学を含む教育の無償化を憲法に導入する案まで論じられるようになった。最も緊急な問題の一つは、大学教育を受ける際の費用が高額になり、したがって、多くの若者は、“奨学金”に依存せざるを得なくなっている。ところが、この奨学金と称するものは、実際は“借金”なのであり、学業終了後に返還しなければならないが、返還する財政基盤(正規の職について充分な収入)のない若者が増えている(1)。
ヨーロッパのかなりの国では大学教育は無償である。それと対照的なのがアメリカであり、大学は有償、しかもその学費は非常に高い。ところが、そうした高額の費用を払えない若者でも、能力が充分にあれば、大学教育を受けられる制度がアメリカ国中に行き渡っている。これをFinancial Aid (FA)と言い、アメリカの各大学ではその財源の確保に最大限の努力を払っている。
まず、FAがどんなものか、簡単に説明する。若者が大学進学を目ざす.どの大学でどんなことを学ぼうか思案する。そしていくつかの大学に志願する。入試というものはないので、高校での成績、(すべての大学ではないが)SAT(日本でのセンター試験に相当)、高校教師の内申書、多くの場合、その他に高校までに学業以外でなにをやったかの報告、エッセー(題を与えられる時も、自由題の場合も)などを提出する。それと同時に、本人と保護者の財政内容を提出する義務がある。これを受け取った大学は各応募者にFAを提示することが義務づけられている。
各大学は、各応募者に大学教育を受けるに必要な費用を概算する。それには、授業料の他、教科書代、学生寮費、大学への交通費などが含まれる。そして、その費用のうち、応募者とその保護者の財政負担の可能な額を差し引いた残りの全費用を様々な形で提供することを約束する文書を提示する。これがFAである。応募者は、自分の好みなどの他に、このFAを吟味して、もっとも有利と思われる大学を選ぶ。各大学は、自己の財政が許す範囲で、各応募者の財政にみあった援助を様々な仕方で提示して、その応募者が、経済的にはその大学で教育を受けられるようにする。援助の内容は、授業料免除、返還の必要のない奨学金、学内での雇用の保障、学生ローン(ローンだが、政府が在学中の利息を保障)などなどを組み合わせて行う。
筆者が教えていた大学では、額面通りの授業料を払い、これらの援助なしの学生は、それほど多くはなかった(年々、違ったが、10%ほど、大学はこういう学生を増やしたがっている──どこでも同じ)。一方何らかのFAを受けた学生は70%ほど。筆者の息子達も、こうしたFAのおかげで、大学教育を受けることができた。1人は4年間授業料はゼロ、そのうえかなり有利な収入のある雇用機会も与えられたため、ローンは必要なかった。彼の同窓の学生には、親もおらず、収入ゼロというのもいたそうである。もう1人の息子もかなりの奨学金も与えられたが、充分でなく、小額のローンを受けたが、幸い卒業後数年のうちに返済できた。
さて、アメリカでも現在、このローンの返済が、若者の間で問題になっている。事情は日本のそれと違わない。教育は、国、いや人類がその生活・活動を充分に維持し、より良い社会を形成していくための基礎である。そのために、教育には充分な国家的援助を用意するのが、原則になるべきだと考える。昨秋のアメリカ大統領選の前哨戦で、クリントンに蹴落とされたバーニー・サンダース候補が、若者を引きつけた要因の一つは、彼が大学無料化を主張していたことであった。日本は、大学レベルも含めて、全教育への財政援助が先進国中最低の部類である。これでは、日本の将来は暗い。その上、教育を受ける側の国民に、教育は大学入試への備えというとんでもない考えが多くの人に蔓延している。しかも、大学乱立で、学力なしでもなんとか大学へ入れるという状態なので、大学教育が、なんらそれを受ける個人の人格・能力の向上に寄与していない例も多く、無意味である。これには、小学校からの教育の精神が寄与している。これに関しては別に少し論じたことがある(2)。
(1)ttp://blog.livedoor.jp/bbgmgt/archives/1065805107.html (2)http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201102151516302
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