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橋本勝21世紀風刺絵日記
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2017年07月15日11時16分掲載
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文化
【核を詠う】(238)『昭和萬葉集』から原子力詠を読む(3)『原子力研究所敷地の調査すと爆破音いくたびか村をゆるがす」 山崎芳彦
「核兵器の使用がもたらす破局的な人道上の結末を深く懸念し、そのような兵器全廃の重要性を認識し、核兵器が完全に除去されることが必要であり、これがいかなる場合にも核兵器が決して再び使用されないことを保証する唯一の方法である。」、「核兵器の使用の被害者(ヒバクシャ)及び核兵器の実験により影響をうけた人々にもたらされる容認しがたい苦しみと危害に留意し、先住民に対する核兵器活動の不均衡な影響を認識し、全ての国が国際人道法や国際人権法を含め適用される国際法を遵守する必要があることを再確認し…核兵器の全面的な除去の要請に示された人道の諸原則の推進における公共の良心の役割を強調し、国連や国際赤十字その他の国際機関及び地域的機関、非政府機関、宗教指導者、国会議員、学術研究者、及びヒバクシャが行っている努力を認識し」(「核兵器禁止条約」の前文から)核兵器の保有や使用、実験、製造、核兵器使用の威嚇などを幅広く禁じる国際条約が国連の交渉会議で、国連加盟国のほぼ3分の2の122ヵ国の賛成によって採択された。9月から署名が始まり50カ国の批准で発効する。
核時代が始まって以来はじめての法的拘束力を持つ国際条約による核兵器全面禁止の条約は、核保有大国や「核の傘」依存国のボイコット、反対があっても、核廃絶に向けての大きな一歩であり、この条約に対する態度の理非はますます明白になるに違いない。なかでも、「唯一の被爆国」を標榜し「核廃絶」を語ってきた日本政府が、この「核兵器禁止条約」採択直後に「日本は核保有国と非保有国が協力する中で核兵器のない世界を目指している。この条約交渉は、そうした姿で行われたものではない。」として「署名も批准もしない」(別所浩郎国連大使)態度を表明したことの罪深さは歴史に記録されるに違いない。
日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)は、声明「核兵器禁止条約の採択にあたって 72年間被爆者が求め続けてきた核兵器廃絶のために」を発表した。 「広島・長崎への原爆投下から72年、日本被団協を結成してから61年目の今年、『ふたたび被爆者をつくるな』と願い、訴え続けてきた原爆被害者にとって、核兵器禁止条約の採択は、誠に大きな喜びです。死者数としてだけ記録に残る多くの方々、運動に関わってこられた多くの先達、国内外の支援の方々と共に喜びを分かち合いたいと思います。 『核兵器の使用の被害者(hibakusha)の受け入れがたい苦しみ』に心を寄せた条約の前文は、一発の核兵器がもたらした非人道性を明記しています。 あの日、理由もわからず瞬時に命を奪われた方々。そしてかろうじて生きながらえてきた被爆者の苦しみ、それは深く、今なお続くものです。愛する者の死、生き残ったという罪悪感、脳裏に焼き付いたままの光景、音、声、匂い、原因不明の病気、生活苦、世間の偏見、差別、あきらめた多くの夢。それは人種、国籍、年齢、性別を問わず、きのこ雲の下にいた者に、被爆者として死に、また生きることを強いるものでした。 日本被団協結成の1956年、『世界への挨拶』で『私たちは自らを救うとともに、私たちの経験をとおして人類の危機を救おうという決意を』宣言し、今日まで、決してあきらめることなく、歩んできました。いま、その宣言が実る道筋が見えてきました。私たち被爆者は、非人道的な核兵器被害の実相を体験を通して世界の人々に伝え、核兵器のない平和な世界の実現を目指すという『公共の良心』の役割を、これからも担い続けていきます。 核兵器をつくったのは人間です。そして使ったのも人間です。そうであれば、なくすことができるのも人間です。核兵器が廃絶されるまで、世界の市民社会の皆さんとともに歩き続けましょう。(2017年7月8日)」
安倍政府は、広島・長崎の平和祈念大会では毎年、「核廃絶」の美辞麗句を語り、被爆者の苦しみに寄りそうが如き虚言を弄するのが常であるが、今回の「核兵器禁止条約」への対応も、「今の安全保障情勢についての冷静な認識も踏まえ、現実的に核兵器のない世界を目指す」などと「核の傘」下政策、核保有大国、とりわけ米国の「核を手放さない」政策との共同の姿勢をとりつづけている。広島・長崎・ビキニ環礁の経験から何も学ばず、人びとの耐え難い苦難の歴史、さらに未来への責任放棄は核兵器禁止条約の採択に真摯な努力を重ねた多くの国々から、さらに国内外の核廃絶を目指す運動を粘り強く続けている市民運動、組織から厳しい批判を浴びている。
『昭和萬葉集』の原子力詠を読みながら、このような日本政府の「核兵器禁止条約」に対する姿勢、原子力政策について考えたい。今回は、前回に続いて巻十一に収録の作品を読む。
◇放射能の雨◇(『昭和萬葉集巻十一』前回に続く) ねむるとき地(つち)にくだれる雨はげしこの雨が放射能雨かもしれぬ (野村 清)
放射能雨にさらされてゐる夢に遠くより母のこゑのみきこゆ (中島栄一)
放射能含むといふもかかはりの無きごと濡れつつわが貧しくして (森川咲千夫)
幼な子の幸福になふわが肩に放射能雨は何時までも降る (西尾昭男)
水爆の放射能塵いつ来るや嬰児(えいじ)の肌着の干場に惑ふ (黒江直志)
放射能を含める雨と思へども田植せまれば濡れて耕す (坂本登希夫)
放射能含むか知らねどこの雨を溜めためて棚田植えねばならぬ (内海清子)
放射能雨に太りしわが庭の甘藍(かんらん)も大方食ひつくしたり (稲田定雄)
この雨の汚染のことも疑わず庭の葡萄(ぶどう)を摘み来て食いぬ (高安国世)
放射能雨今日の若葉にしとどにておろかなりや生き生きと濡るる蛙子(かへるご) (鈴木英夫)
放射能の雨にいく度かうたれ来てこの桑の葉も枯れそめにけり (堤 三郎)
あたたかく降りたる雨にまたしても放射能二千カウント含みゐたると (岩崎睦夫)
放射能ふふめる雨かさむざむと戦没者共同墓地を濡らせり (吉田洛水)
放射能ふくめる雨は今日も降り伝え来る一人の原爆少女の死 (松野谷夫)
降る雨に放射能いくカウントと母に問ふ子の声きこゆ露路深く来て (小林 明)
◇怒りの声◇(同) 声なき怒りの一人犠牲死に湧く今日を署名求めてわれも街に立つ (水沢 和)
われら叫ぶ水爆実験禁止など無視しゆく或る力を想ふ (吉川禎祐)
原水爆禁止署名運動用紙に名を書きて再び駅の雑踏に入る (佐佐木幸綱)
原水爆禁止の署名なして来て指の朱肉にただよふ不安 (城森明朗)
原水爆廃止求むる学生のこゑ教授会に届きてわれら沈黙におつ (五島 茂)
水爆の実験伝う記事の中既に意志ある声をも伝う (丸井茂仁)
人形を幾重にも包みしまひゐる原子爆弾を恐怖する子ら (勝山 格)
水爆にビキニ島民抗議すと伝へし写真も雨に剥がれむ (古川裕夫)
水爆の驚異讃ふる国にしてしらじらし教会に群衆祈る (渡辺於兎男)
水爆の脅威の前にあるものを平和と呼べり誰のためにか (小池正一)
◇原爆の後遺症◇(同) 子を哺(はぐく)む未来たのめなきわが乳房聴診器の下にふくらみを持つ 原子症の畸形遺伝を言う声あり癒えて嫁げるわれと思わず バスの燈に少女のケロイド反射するああ妹よ死にてよかりき (3首 河本芳子)
人体モデルになるを恐れて八年間届出ざりき原爆被害者われ (川路美英)
ニュース映画に撮るとふライトに原爆で焼きし腕をば向けて坐りぬ (原田節子)
投下されし原爆は身体むしばみつつ九年後の今日もまだ生きてゐし (青木幸一郎)
爆死せる君の洋服ゆづりうけ着つついく冬をわれは過ぎにき (蒹綱悦雄)
原爆中心地名所となしてもの稼ぐ辛じて死より遁れしわれら (中山文子)
原爆の雨に染まりし日記出でてめくれば綴じの朽ちて切れゆく (梶本益恵)
酒をのみ睡眠剤のみ眠らむと夜々焦る弟原爆傷もちて (一瀬 理)
癒ゆるなき白血病の妹も出る映画なり「生きてゐてよかつた」 (富山繁子)
ただ一人被爆のがれし義妹(いもうと)をいまにして侵す放射能あり (多々良幸子)
アスパラガスの中にゐしため助かりし友の背にあるゴマ状ケロイド (加川次男)
原爆に死せる弟持つ友は修道女となりてこの彌撒(ミサ)にをり (曽田伸子)
ケロイドに十年を経し人妻が児を宿したるままに死にたり (井出経夫)
女学生にて被爆したりし人妻の十一年後出産の前を息絶ゆ (池田純義)
くり返す録音夜にいりまた一人原爆症に死にてゆく名を (竹内邦雄)
八・六大会の来賓出迎えに出でし原爆少女その夜自殺して命断つ (伊藤信水)
海越えて乙女ら治療に渡るとふ怯えし日より十年経しいま (末長秀子)
◇被爆の記憶◇(同) 祈る人も無く原子野に児を抱きし遺体もまじりて並べられゆく 原子野に続く炎暑の道端で壕を掘りいる捕虜の目とあう (2首 小林靖子)
被爆者が救ひ求めて這ひ行きし浦上(うらかみ)天主堂につづく坂道 (池田 弘)
◇原爆許すまじ◇ 許すまじ原爆をの歌唄いゆく列に娘も在りと立ちつくしつつ (岸本夏子)
ワルシャワでうたう原爆許すまじ病臥の胸をせつなくゆすぶる (工藤欣七)
「原爆許すまじ」心こめ唄ひ終るときすべての眸(ひとみ)すでに灼けつつ (水落 博)
おほかたは若きら集り夜をこめて許すまじ原爆の歌をうたへり (平岩かの子)
天地(あめつち)の崩るる下の一輪の花をうたひし人もまた亡し (高安国世)
石つぶてうけて崩(く)えたる文字のあと読まれゆくなり民喜(たみき)の詩(うた)は 被爆体験語らふ人の美しき声を救ひと耳を傾く (初井しづゑ)
原爆の被害誇大にいはるるとそれさへ誰か謀略といはむ (橋本徳壽)
原子核爆発のスイッチを押す時も彼等はガムを噛みゐしならむ (中井一夫)
原爆投下機搭乗員の煩悶を戦略は「敗北的病菌」と呼ぶ (川口城司)
原爆乙女の笑えば怒った顔になるという悲しみと共に我らも生きている (千葉謙太郎)
◇広島にて◇(同) 原爆に一度亡びし寺の墓地紙燈籠赤し今日盂蘭盆会(うらぼんゑ) (葛原 繁)
一瞬に礎石よりずれし石壁(せきへき)に黒き影あり使徒の残像 (尾崎孝子)
原爆の閃光をうけし壁めぐり市庁舎の暗き階下りゆく 爆心の方を向きいっせいに声あぐる粒状にただれし町の墓碑群 (2首 深川宗俊)
◇長崎にて◇(同) 旅のこころたかぶりて歩む忘られしごとく被爆の人らの病むまち 過去世(くわこせい)の硝煙のにほひを錯覚す被爆の壁に射光暑くして かの日の惨をしぬぶおもひに爆心の地(つち)に小石をひとつ拾ひつ 一瞬の閃光にいのち死に絶えし畏怖(ゐふ)も新しくマイクに叫ぶ 原爆の孤児のかなしき告白に嗚咽(をえつ)は波のごとくひろがる ケロイドにかの日盲(めし)ひしをとめのこゑ海越えてかの国にひびけよ 天(そら)に群星(むらぼし)草生(くさふ)に虫のこゑみつる夜のいのり八万のたまにささげて (7首 木俣 修)
◇人間家庭展(抄)◇(同) 吾ら皆人間家族といふ言の虚(むな)しさよ除去されし原爆写真 (菊地恭子)
原爆の写真外せし空間をそのまま存しありファミリーオブマン (松下廉三)
原爆の写真はづされし壁面に向きつつしばし友とふたり立つ (鹿児島寿蔵) (注 昭和31年3月21日から4月15日にかけて日本橋高島屋で、ニューヨーク近代美術館、駐日米大使館、日本経済新聞社の主催で開催された「ザ・ファミリー・オブ・マン写真展」において、日本の特別出品として長崎の原爆被災者の写真6枚も展示されたが、3月23日に日本天皇が参観した際この6点に主催者がカーテンをかけ天皇の目に触れないようにした。このことに批判が集中したため25日からはアメリカの意向で6枚の写真は撤去されるという事件があった。『昭和萬葉集十一巻』の「脚注」より)
◇原子力研究所◇(同) 原子力研究所敷地の調査すと爆破音いくたびか村をゆるがす 塗替へし村地図を大きく緑占む原子力研究所敷地となりて (2首 鹿志村昭子)
この村に原子炉を建設する街頭録音反対するは療養者のみ (吉岡重信) 次回も『昭和萬葉集』から原子力詠を読む。 (つづく)
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