・読者登録
・団体購読のご案内
・「編集委員会会員」を募集
橋本勝21世紀風刺絵日記
記事スタイル
・コラム
・みる・よむ・きく
・インタビュー
・解説
・こぼれ話
特集
・中国
・国際
・市民活動
・みる・よむ・きく
・アジア
・核・原子力
・検証・メディア
・反戦・平和
・入管
・外国人労働者
・司法
・国際
・農と食
・欧州
・イスラエル/パレスチナ
・文化
・市民活動告知板
・人権/反差別/司法
・教育
・沖縄/日米安保
・難民
・医療/健康
・環境
・中東
・スポーツ
提携・契約メディア
・AIニュース
・司法
・マニラ新聞
・TUP速報
・じゃかるた新聞
・Agence Global
・Japan Focus
・Foreign Policy In Focus
・星日報
Time Line
・2024年10月30日
・2024年10月27日
・2024年10月26日
・2024年10月25日
・2024年10月24日
・2024年10月23日
・2024年10月22日
・2024年10月21日
・2024年10月20日
・2024年10月18日
|
|
2017年08月21日19時25分掲載
無料記事
印刷用
コラム
ネットで議論することは必要か? 必要なし
インターネットではネトウヨとか(最近ではネトサヨとか?)、人を敵味方に区分して、敵と見れば徹底的にけなし、味方と見ればその意見を拡散する・・・言論活動という意味では後退的な現象が目につく、としばしば批判されています。異なる政治意識や思想を持った人間同士が平和にかつ冷静に有意義な議論を交わしてそこから、さらに考えを高め、より優れた解決策を導き出す言論活動はネットでできないのか、と。
筆者も当初はそんなことを考えたこともありましたが、結論から言えばネットで顔の見えない人間同士で政治的に立場を異にする人間同士がディスカッションして、互いに相手の言い分に耳を傾け、そこから自分の意見を修正し、弁証法的に議論を高めていく、というケースは稀だと思えるのです。むしろ、多くの場合は相手をどうやって説得して、誤りを正させるか、相手をどうやって自分の陣営に引き込むか、あるいは徹底的に打ちのめすか、という意識の方が前面に出やすいように思います。互いに議論を尽くす、ということはネットでは難しいのではないでしょうか。
しかし、そうだからと言ってネットでの言論の意味がなくなるとは思っていません。むしろ、議論と言うものは1つの欄ないし、1つのページで相手と意見を戦わせる必要はないと思っています。自分の考えをいかにうまく表現し、あるいはその過程で深めていくか、ということを自分自身でコツコツ続けていくことでいいのではないでしょうか。読者の方で誰の意見に耳を傾けるべきかをいろいろなページにアクセスしてもらいながら判断されればよいのだと思います。議論と言うよりも、そうやって別々な場で論を出しあう過程で双方の言論の質がもし高まることが可能なら、それでよいのではないでしょうか。その個的な歩みの中に自分の考えの修正を行ったり、他者の意見を取り入れたりして変化していけばよいのだと思います。
人が自分の意見を変える時、というのはたいてい1人の時のように思えるのです。自分の中で自由があり、その自由があって初めて自分は今まで間違っていたな、と思って考えを改める、ということはあることです。しかし、議論の最中で相手の議論に敬服して、「参りました。今日から弟子にしてください」というようなプロセスはネットでは少ないのではないでしょうか。ネットの議論の場合は相手に同意を強いられている、という風に感じることが多いからです。現在進行形の議論の中で自分の意見を変えていくことはなかなかできることではありません。むしろ、一人の時にネットの中でより広範な意見に耳を傾けてどれが正しいのか、ゆっくりと考えたらよいのだと思います。
このことは実際に顔の見えるリアル社会の討論との大きな違いだと思います。リアル社会でも人は意見を変えることは稀ですが、それでも人間が対面して言語だけではない様々なレベルで接することで、何か変化のきっかけを得ることはあるのではないでしょうか。出会って議論したその時に変わることがなくても、別れた後にその時の話や印象、相手の表情など様々なものを反芻するうちに相手の考えを想像する、ということもあり得ることだと思います。これはネットでの短い文字列のぶつけ合いとは異なるものだと思えます。
|
転載について
日刊ベリタに掲載された記事を転載される場合は、有料・無料を問わず、編集部にご連絡ください。ただし、見出しとリード文につきましてはその限りでありません。
印刷媒体向けの記事配信も行っておりますので、記事を利用したい場合は事務局までご連絡下さい。
|
|
|