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橋本勝21世紀風刺絵日記
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2017年08月22日06時41分掲載
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アフリカ
【西サハラ最新情報】 西サハラ難民キャンプに行ってきました 平田伊都子
成田を出たのが8月13日22時。 格安エメレーツ航空機のエコノミークラスはお盆休みと重なり、満席でした。 飛行時間10時間40分で、乗り継ぎのハブ空港ドバイに着陸し5時間待たされ、さらに7時間シートベルトをして、アルジェリアの首都アルジェに到着しました。 延べ約23時間もの辛い飛行機旅行でした。 そして同日8月14日22時30分、西サハラ難民キャンプのあるティンドゥーフに向け飛び立ち、翌15日午前2時、現地空港に到着。 空港から50キロメートル離れた難民キャンプに、やっと午前4時に着きました。 それなのに、その日の23時には、難民キャンプにさよならをしたのです。 帰りの便も乗り継ぎが悪くドバイでは23時間待たされ、成田に着いたのが8月18日17時15分でした。 6日もかけて難民キャンプの滞在は僅か19時間、仮眠と休憩を差し引くと、僅か10時間の取材、、 「そんな短時間で何が分かるんだ?」と、野次が飛んできました。 ごもっともです、、
(1)たった19時間の難民キャンプ滞在: 日が昇り窓を開けると、40度の熱気が襲ってきた。外国人宿泊所には、いつもは4,50人ぐらいの外国人援助団体や取材班が寝泊りしているのだが、酷暑の8月は人影もなく、日本人二人だけだった。8時半、儀典長シェイク・ムハンマドが自らスケジュールを立ててくれ、まずナンバー2のバシール・ムスタファ国務大臣インタヴューから始まった。西サハラ独立運動の創設者・故エルワリの実弟で、外交闘士のバシールは話し出すと止まらない。 強引にバシールの長話をカットして、大統領官邸の裏口に向かった。便所につながる廊下の隅で、いたいた!ブラヒム。ガリ大統領が書き物をしていた。そこが一番涼しいそうだ。なんたって、みんな知り合いだから、メチャ喜しい。大統領インタヴューを撮影するTVデイレクター・ラーバイドも友人で、お互いに手を振りながら撮りつ撮られつ、、楽しんだ。しかし、大統領の日本に対する言葉は厳しかった。「日本とモロッコが皇室王室で結ばれているのは知っていたが、日本の民主主義や人権感覚はモロッコに劣っている。偏狭で非近代的な国際意識にはガッカリさせられた」と、日本が西サハラを国家承認していないという事を盾に、相変わらずTICAD (アフリカ国際開発会議)への参加を拒んでいることを批判した。そして、「日本はもっとモロッコの現状とモロッコ国民の貧しさを知るべきだ。モロッコ北部・リーフ地方の民主化運動の重大さを認識すべきだ」と、言及した。「国連事務総長は眠ったまんまだ」と、モロッコの妨害にかまけて、国連西サハラ住民投票に着手しない国連事務総長を強く非難した。 ブラヒム・ガリ大統領が駐アルジェリア・西サハラ大使だったころ、ビザや撮影許可書や空港手続きなどで色々とご面倒をおかけしました。改めてありがとうございます。 大統領と再会した後、西サハラ難民キャンプ唯一の病院や武器博物館を回り、<西サハラ政治囚人支援組織>を訪ねた。モロッコ占領地・西サハラでは平和デモも禁止、言論表現の自由などもない。7月19日、モロッコ裁判所がデモ参加者6人に終身刑、約20人に 30年から4年の刑を宣告した。そのうえ、西サハラ政治囚651人が行方不明のままだ。<西サハラ政治囚支援組織>は釈放を求める運動や残された家族の援助を行っている。 午後の太陽は容赦なく46度、47度、48度、、と、何もかも焼き尽くしていく。難民は泥小屋で眠って日没後の涼風を待つしかない。 難民夫々の苦難自分史に耳を傾けていると、あっという間に制限時間がきてしまい、キャンプを後にした。
(2)国連WFP(世界食糧計画)アルジェリア支部訪問: 難民キャンプのあるアルジェリア北西部ティンドゥーフ基地から首都アルジェに戻り、ドバイへのフライトを待つ間を利用して、アルジェにある国連WFP(世界食糧計画)の事務所を訪れた。古い洋館の飾り気のない部屋で、カナダ人のロマイン・シロイス国連WFPアルジェリア支部長は、自分でアラビア・コーヒーを立ててくれた。「8月9日に米国から、大口献金があったそうだが?」と、水を向けたら、「アメリカは援助し続けてくれている。 でも、日本の名前がない」と、日本の献金を促した。「援助食料品をWFP とアルジェリア赤新月社と西サハラ赤新月社が猫ババしているとの噂だが?」と聞くと、「とんでもない。我々は援助食料品をしっかり記録し、管理している。オラン港に荷揚げされた食料品はアルジェリア赤新月社が一時預かりし、陸送でテインドゥフの難民キャンプに届けられる。分配は西サハラ難民自身の手で行われる」と、食料配給システムは非常に透明であることを強調した。援助食料は、アルジェ港より難民キャンプにいささか近いオラン港に荷揚げされる。我々SJJAが兵庫大震災援助薬品の一部を運んだ時も、オラン港だった。国連WFPの援助は食料だけに限られており、その時の予算と市場価格で品目が限定されるそうだ。「柿沢未途衆議院議員が難民キャンプを訪れた時、日本には米が余っていることをヤヒヤ西サハラ赤新月社総裁に話していた」と、言ったら、「ぜひ、日本の米を送って欲しい。ヤヒヤ総裁は体調を崩してオラン病院に入院中だ」と、声を潜めた。 アルジェには、UNHCR(国連難民高等弁務官)やUNICEF(国連子供基金)などの国連機関がある。かっては一か所に固まっていたのだが、爆破テロ事件以降、散在させているそうだ。
(3)ホルスト・ケーラー(74)元ドイツ連邦大統領が国連事務長西サハラ個人特使に: アルジェ空港に送り届けてくれたブラヒム西サハラ外交官が別れ際に、「ホルストが正式に任命されたよ」と、耳打ちした。「いよいよだね!」と、お別れと喜びを合わせて固く握手をした。 ホルストとはホルスト・ケーラー(74)元ドイツ連邦大統領のことで、グテーレス国連事務総長が国連事務長西サハラ個人特使に指名したのは約4か月前の、4月21日のことなのだ。国連交渉を嫌うモロッコは妨害に次ぐ妨害を続けてきたが、8月16日、バカンスの惰眠から覚めて職場復帰したグテーレス国連事務総長は、まず最初に、ホルスト元ドイツ連邦大統領を国連事務長西サハラ個人特使に正式任命した。 ホルスト元ドイツ連邦大統領(就任2004~2010)は2005年4月4日に来日し、<日本におけるドイツ年>を宣言している。2005年5月8日には第二次世界大戦終結60周年のドイツ連邦議会で、「我々ドイツ人は、驚愕と恥じらいを以て、ドイツによって引き起こされた第二次世界大戦とドイツ人によって行われた文明の破壊行為であるホロコーストを振り返る、、、そのことに終わりはない」と、熱弁を振るった。ホルスト元ドイツ連邦大統領の想いは、日本も共有しているはずだ。ドイツと日本は共に第二次大戦で、国際社会に大迷惑をおかけした。償いの想いを籠めて、日本は2位ドイツは4位と、国連予算を負担してきた。その一方で、日本とドイツは共に国連安保理常任理事国の席を狙っている。 もし日本が本気で常任理事国の席が欲しいのなら、ホルスト西サハラ新国連事務総長個人特使誕生に便乗して、日本も国連指導の平和的解決に積極的貢献をしているという素振りを見せるべきだ。 西サハラ難民政府は、ホルスト国連事務総長西サハラ個人特使の誕生に大歓迎だ。 一方、モロッコは「EUがホルスト国連事務総長西サハラ個人特使誕生を歓迎している」と、他人事のように国営通信を通じて短く発表した。
おっと、書き忘れるところでした。 アルジェ空港で出迎えてくれたブラヒム西サハラ外交官が彼の車で、約60キロ離れたブーメルデス大学に連れて行ってくれました。 そこでは恒例の西サハラ夏期大学が開かれていて、モロッコ占領地・西サハラからモロッコ当局の妨害にもめげず、50人の西サハラ住民が参加していました。 短時間滞在でも砂漠の熱さを十二分に感じとれる?? いや〜 嘘でしょ、、やっぱり10時間取材には10時間の限界があります。 それに、熱さと貧しさを厭わず、喜んで取材協力してくれた、西サハラ難民に失礼です。 ただし今回は朝日新聞が主賓で、当方は案内人にすぎず、滞在期間を延ばすことはできませんでした。 西サハラ難民キャンプに入ってみたい方、喜んでお手伝いします。 但し、時期と日程には、くれぐれもご配慮くださいネ、、
WSJPO 西サハラ政府・日本代表事務所 所長:川名敏之 2017年8月22日 SJJA(サハラ・ジャパン・ジャーナリスト・アソシエーション)代表:平田伊都子
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モロッコ占領地・西サハラから、危険を顧みず夏期大学に参加した西サハラ住民、アルジェリア・ブーメルデスにて
西サハラ独立運動創始者故エルワリの実弟でNO2のバシール・ムスタファ―国務大臣
西サハラ難民亡命政府大統領ブラヒム・ガリ





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