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橋本勝21世紀風刺絵日記
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2017年09月03日10時30分掲載
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終わりなき水俣
「御所浦を海のゴミ捨て場にするな」 天草と辺野古を守る講演会
採石場に緑の島肌を大きくえぐられた御所浦島。その採石場跡に使われている製鋼スラグの危険性への懸念や、沖縄・辺野古基地の埋め立てに使う土砂の搬出に反対する声を受け、「天草と辺野古の海を守る」講演会が6月17日、水俣市公民館で開かれた。島からは、御所浦まちづくり協議会長の森恵慈さんが「御所浦を海のゴミ捨て場にするな!」というテーマで講演。緒方正人さん(本願の会)も「女島から御所浦の採石場を見つめ続けて、想う事」について語った。
講演会は「辺野古土砂搬出反対熊本連絡協議会」が主催し、約50人の市民が訪れた。そのうち、御所浦からは7人の島民が参加した。
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「自然豊かな御所浦町に、降ってわいたように採石場問題があがりました」 島民の一人、森さんは、1977年から御所浦島に作られた採石場の経緯や現状、問題点などを、記録撮影した写真や行政文書などを示しながら丁寧に説明した。 「採石場は島の南東部、水俣側にあり、御所浦の住んでいるところからは見えません。業者のやりたい放題です」 問題が表面化したのは、3か所ある採石場の1社から、砕石の更新申請があったことがきっかけだ。その採掘場の巨大な穴に、製鋼スラグや浚渫土砂が搬入されていることが判明した。昨年6月8日、まちづくり協議会が意見交換をしたところ、「製鋼スラグなんてもってのほか」と皆が反対意見だった。しかしその後の行政とのやりとりは、はかばかしく進まなかったという。 「県は砕石の許可ありき。『何も問題ない』という説明しかせず、話が折り合わん」。中村・天草市長にも反対の意見書を出してほしいお願いに行ったが「理由は言わずに『反対では出せん』」という一方で、「地元の意見を尊重します」という対応だったという。そこで町民の署名活動に取り組み、1週間で約2千人の署名を集め、8月5日、県に砕石の更新を認めないよう求める申し入れ書を、署名とともに提出した。 しかし県は製鋼スラグについて、浚渫土砂の流出を防ぐ築堤建設に使用されているので「問題ない」としているという。 11月に県が開いた地元説明会には住民だけで350人以上が集まり、関心の高さがうかがえた一方、「この時の県とのやりとり、聞いていたらおかしかくらいですね」と県の説明を批判した。例えば、製鋼スラグを埋めることで懸念される高アルカリの排水をめぐっては、「県は『温泉も高アルカリですよ』と説明した。それに住民が怒って『お前あそこで泳げ!』と。それくらい県がおかしい話をしながら、話が合うわけなかですもんね」。また、「県に『何かあったとき、あんたたちが責任持つとかい』といえば、黙ったままなんですよ」。 森さんが行政に抱く不信感は非常に大きなものとなっているようだ。熊本県に対しては、「自分たちの責任問題にならないように、悪いところは表に出ないよう隠していると思う。スラグの暴露状態、県は指摘しても何も言わん。業者サイドでものをいう」と辛らつに心象を述べた。天草市についても、「積極性に欠ける。御所浦は天草市ではないのか、といいたい」と手厳しい。 森さんは最後、「私たちはこの問題について、ここで引くわけにはいかん。これからも活動し、戦っていきたい。御所浦での砕石が1日でも早く終わるように頑張りますので、応援、よろしくお願いします」と力をこめて、講演を締めくくった。
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続いて、緒方正人さんが壇上に立った。採石場の対岸、芦北・女島の漁師であるが、一族のルーツは天草の龍ヶ岳だと語る。 「天草の採石場の問題と、沖縄・辺野古の米軍基地埋め立ての問題、どこでつながっているのか、自分自身にも問いかけてきたテーマです」と話を始めた。 「玄関先から見える採石場。どんどんどん削られて行って、天草の人たちの背中が削られよる。なして怒らんのやろね、と思っていた」。御所浦を水俣側から見ると、御釈迦様の涅槃像のように見えるのだそう。その「へその下」にあたる採石場の海は、潮目ができる豊かな漁場だという。「不知火海でも最も豊かな場所。でも今年はさっぱりです」と話す。「採石場だけの理由ではないと思う」としたうえで、「長年穫れよったタチウオが、さっぱり穫れんごとなった」と海の変化を語った。 この時期、芦北から見る夕日は、採石場のあたりに沈むという。 「私は外見に似合わず意外とロマンチストで(笑い)、夕日を眺めていて時には俳句の一つも作りたいなと思うこともあるんですが。そういうこう、懐かしく、世話になっている、場所自体に恩義がある。海にも恩義がある、漁師としての私には。それで暮らしが成り立って来たわけですから。ですから、そういう意味では他人事じゃないんです。我が事のように、自分の身体が削られるような痛みを覚えて来ました」 正人さんは2015年12月、米軍基地の建設反対運動に参加するため、単身、沖縄・辺野古を訪れたという。 「何故行ったかと言いますと、政府のやり方、警察のやり方、米軍のやり方を見とってもう、腹が立って腹が立って、もう理屈抜きで身体がですね、もう、じっとしとられんという気持ちになって。一人で出かけて行きました」 米軍基地の移設計画は、辺野古・大浦湾の約180ヘクタールの海を埋め立て、V字滑走路やヘリパッド、護岸などを整備するものだ。 「実はここの御所浦の土砂が辺野古に運ばれ、使われる計画だということは、沖縄に行って初めて知ったんですよ。それまで知らなかったんです。それまでは私の中では別々の問題だったんです。ところが沖縄に行ったら、瀬戸内海とか鹿児島とかからも土砂を持って来ると。で、だいたい10メートルくらいかさ上げするっていうわけですよ、埋め立てで。天草から土砂を持って来るって書いてあったけん、ひょっとしてこれは御所浦からじゃなかろかなぁと思って尋ねたら、案の定だったわけですね。それで私の中では、このふたつのことがピッと重なってしまった。こりゃどげんかして止めんばいかんと思っとりました。ただでさえも採石場を放置出来ないと思っていたもんで。そしてそのあと聞いた話が、製鋼スラグば持って来て毒ば埋め立てると。あるいは鏡沖のヘドロば持って来て入れると。二重三重の危険な行為がやられているわけですね。ですから私はそのことを思って、ずっと腹立たしい想いをしてきたんです」 「ずっとこの間考えていたことで、沖縄の辺野古の米軍基地の問題と、御所浦に対する、森さんからも先ほど詳しい報告があった県の対応とか、県議会議員の対応とか見ていると、そこに暮らしている人たちの自治が無視されていると、踏みにじられているという意味で、共通しているんですね、沖縄と。沖縄は昨日今日の話じゃなくて、ずっとですよ、戦後。あるいはもっと言えば戦前からと言ってもいいくらい」 「これはまた振り返って、水俣病事件にも当てはまる事なんです。水俣という地域の自治が無視された事件なんですね、水俣病事件は。ですからとりわけ中央政府が、国策としてそれが行われる場合にとんでもない、めちゃくちゃな状況が作られてしまう。そういう意味で、水俣病事件でもそこに住んで暮らしている、不知火海周辺の人々の命と暮らしが脅かされて来た。あるいは、犠牲にされてきたことがあります」 「私は、不知火海自身が『寝床』だと思っている」と正人さん。「島というのがですね、あるいは海も山も川もですけれど、生き物たちの身体そのものと言ってもいいと思います。私たちは決して人として独立してあるわけではなくて、他の命と繋がってやっと赦されて生きているわけですので、そういう意味では山肌が削られるというのは、身体が削られるような気がします」 「採石場の問題と辺野古基地の問題と、天草の人にとっても芦北・水俣の人にとっても、どう関連づけて考えてもらうかということが大変必要だが、難しいテーマ性を持っていると思う」 正人さんは、沖縄の大浦湾にも、水俣・芦北にも、「向き合って暮らす、お互いが気になる関係。互いがもやって生きていく世界がここにあるように思う」と語りました。 「私たちは山が壊されている、島が壊されているというだけに留まらず、私たちの愛する世界が壊されようとしている。そういうところから私自身も、ほんの非力ながら皆さんと一緒に参加させて頂きたいと思っているわけです。」 「個人的な、私欲でものを言いよっとじゃなかと俺たちは。長ぁい歴史の上に立って採石場のことで声を上げているんだ。という自信を深めて頂きたいなと思います」。
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講義終了後の質疑応答では、水俣からは「個別の問題ではなくて、熊本県全体としてちゃんとこの問題を見て、反対していかなければならないと改めて思った」(藤本寿子市議)、「御所浦の問題は、不知火海全体で取り組むべき」(山下善寛さん)、「潮谷前知事の言葉を思い出す。『地元で騒いだら、県も動かざるを得ない』と。みんなでどんどん騒いで、県が動かざるを得ない状況をつくるしかない。みんな一緒に頑張っていきましょう」(大嶽弥生さんら)といった声があがった。 御所浦からは、「自分たちの私利私欲で言っている人は誰もおらん。子や孫に負の遺産を残しちゃいかんというつもりで戦っています。どうかみなさんと一緒にこの問題に取り組んでいきたい」と期待が寄せられた。 (水俣市在住 斎藤靖史)
*この記事は、本願の会の会報「魂うつれ」第70号(2017年7月)からの転載です。
<「本願の会」とは>
「水俣病事件は近代産業文明の病みし姿の出現であり、無量の生命世界を侵略しました。その『深き人間の罪』を決して忘却してはならないと訴え『魂魄の深層に記憶し続ける』ことを誓って、平成6年(1994年)3月『本願の会』は発足しました。その活動は、生命世界の痛みを我が受難として向き合い、対話と祈りの表現として、水俣湾の埋立地に会員の手彫りによる野仏(魂石)を建立し続けていきます。現代における『人間の罪責』、その行方は制度的埋め立てによって封印されてはなりません。いまを生きる私たち人間が、罪なる存在として背負う以外に魂の甦りはないと懸命の働きかけを行っています。」 これは、水俣病情報センターのパネルに会員が書いた紹介文。 「本願」があるからといって特定の信仰を持つ宗教団体ではないのは当然のことだが、従来の裁判や政治交渉とは異なる次元で水俣病事件を核にした「命の願い」を「表現する」人々の緩やかな集まりである。運動体でない。 発足時のメンバーには、故田上義春、故杉本雄・栄子夫妻と緒方正人さんら水俣病患者有志、それに石牟礼道子さんが名を連ねている。それから20余年、現在は石牟礼さん、緒方正人、正実さんらが中心となって野仏を祀り、機関誌『魂うつれ』の発行を続けている。 祀られている野仏(魂石)は55体。『魂うつれ』は季刊で発行、1998年11月の創刊、2017年7月で70号を数えた。
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転載について
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