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橋本勝21世紀風刺絵日記
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2017年11月10日23時26分掲載
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文化
【核を詠う】(248)「南相馬短歌会あんだんて」の合同歌集から原子力詠を読む「避難せる人等あまたの訃が届きその無念さの重き三年」 山崎芳彦
今回は合同歌集『あんだんて』第六集(平成26年6月発行)から原子力詠を読み、記録するのだが、11月6日付朝日新聞の「朝日歌壇」に「責任は電力会社と国と出る福島原発二〇〇〇の死者よ」(福島市・澤 正宏)があり、10月10日の福島地裁判決が国と東京電力の事故の責任を認め、損害賠償の支払いを命じたことを詠った作品として読みながら、「福島原発二〇〇〇の死者よ」の句に強い印象を受けた。原発事故関連死者は2,000人を越えているといわれ、人々の生活環境を根底から破壊し、今も苦難を強いている責任と賠償の義務は当然あるけれども、原発事故はなお現在進行中である。償いきれない責任を持つ国、電力企業と原発を推進しさらに続けようとしている政治・経済支配勢力はさらに罪を重ねるに違いない。人の命、健康で文化的な生活を営む人びとの権利より大切なものがあると考える原子力推進勢力は、核発電も核兵器をも必要だとしていることを、今の安倍政府とその同調勢力が進めている原子力政策はあからさまにしている。
今回読む『あんだんて』第六集に、根本洋子さんの随想「笑いたい」がある。根本さんは詩人の「みうらひろこ」さんであり、筆者はコールサック社の刊行物で幾つかの詩作品、「みうらひろこ」さんが福島から発信した詩を読んだことかある。その根本さんの「笑いたい」を転載させていただく。
「山笑う季節になってきた。里山はこれから本当の美しく豊かな季節を迎える。 相双地方の里山もそうだった。しかし東日本大震災と原発事故で、住民が神かくしされたようにいなくなってしまった影響で、里山はおろか、田畑も荒れ放題になってしまった。 『海の幸』『山の幸』に恵まれた地方は、この二つの幸のほか、双葉地方の自治体、隣組、家族、兄弟姉妹、学校、同級生、職場、同僚、あたりまえだった日常でさえ手元からこぼれ落ちて、再び手にすることはむずかしくなってしまったのだ。この三年という年月は重かった。これを書いている時にも友人から転居の葉書きが届いた。もう古里に戻らないのではなく戻れないので、思い切り決断をしたのだという。宅地造成の土地での再出発だ。ここも里山を開発しての真新しい宅地であるときいた。 こうして自然は姿を変え、山笑う美しい季節と共に人々が心から笑えることもあまり無く、原発事故の恐ろしさは、避難している人々のみの体験ときりならないのであろうか。 日本人なら、日本中の人々に原発事故の忌まわしさを感じとってわしいと私は思っているのです。」
原発事故被害の日々を短歌や詩などで伝え、訴え、遺す作品は、この国が、人々がどこへ行こうとしているのか、あまりにも非道で未来を闇にしてしまう「原子力文明」信者が支配する政治・経済の後を着いて行ってはならないことを、さまざまに、鮮明に明かしている。
合同歌集『あんだんて』第六集から原子力詠、原発にかかわって詠われた作品を、筆者なりに抄出し記録する。
▼「壱師咲く」(抄) 高野美子 孫子らの帰還はもはや適はぬと弟夫婦は離郷を決意す
父祖の地も売却なるの電話受く母愛でし石蕗いまを盛るに
息切らし登りて来たる紅葉山木枯しのころ生家は離郷す
父祖の墓更地となるも父母姉の在りしあの頃今も変わらず
汚染水漏れの対策見えずとも罹災の試験田日毎穂を垂る
阿武隈嶺(あぶくま)に和三盆めく雪ふれど庭の除染はまだ半ばなり
刻々とシルエットなす阿武隈嶺避難の村も染めゆけ夕焼
(阿武隈山系被曝人影に雪が 兜太) 金子兜太「阿武隈山系被曝」と詠む確かに被曝されど故郷
三年は長き月日と思へども被災地の子ら晴れて巣立ちぬ
▼「ピースのありか」(抄) 社内梅子 試験田みずすまし棲み蜻蛉飛ぶ見下ろす水面の青空広し
戦争より帰らぬ父に送らんか帰宅うながす赤紙一枚
タブの木に希望の木札を掛け祈る今日からここは鎮魂の森
直播きの水田の穂疎らにてやたらに稗のみ草丈のばす
セシウムで見向きもされぬ蜂谷柿あまたなる実の秋空に映ゆ
▼「慈悲の怒り」(抄) 高橋美加子 あの日より見えざる雨の降るという南相馬の空は美し
耕せぬ田畑に季節は巡りゆく空を映していぬふぐり咲く
くりくるみなつめいちじくゆすらうめ輝いていた子供時代よ
荒れ田より嘆きの呻き聞こえくる水うるわしき青田よもどれ
ふるさとを返せと叫びたくなりて外に出ずれば満天の星
こみあげる怒りを内に留めおれば五臓六腑は静かに腐る
大いなる怒りは慈悲の怒りなりダライ・ラマ説く言葉に撃たる
こしかたもゆくすえもなしあるはただまわりてめぐるいまのつらなり
▼「霧の町」(抄) 根本洋子 霧多きこの町にいて我はまだ避難者という位置に身を置く
「マッチ擦る」修司を思い我れはいま夜霧の海に見るフクシマを
人為ミス続く原発トラブルのきょうはタンクの水漏れという
プラタナスは枝打ちされて天を衝く拳となりて何叫びおる
この先は帰還困難区域にてバリケード立つ荒ぶる土地に
なつかしく姑のメモ読む梅干しを漬ける割合戸棚に貼りて
今ごろは柚子ジャム煮つむる香の満ちし厨なつかし立ち入ればなお
盛り付ける馳走あれこれ思い浮かべこの大皿も持ちて帰らん
避難せる人等あまたの訃が届きその無念さの重き三年
除染するモーターの音響きいて窓越しに見ゆホースの影は
仮置き場決まらぬままに三年目復興拒む核災ゴミは
三年の長き歳月だがしかしまだ何年も不透明とう
汚染水の問題抱える原発に廃炉への道まだまだ遠し
除染終えし校地に沸くきみ達の声届きませカオスの空へ
▼「洋上慰霊」(抄) 柴田征子 奥州の基地と言われし真野の丘万葉歌碑の桜をあおぐ
万葉の歌碑遠くして真野の里菜畑は黄(きい)に昼の月あり
愛馬おき避難すさびしさ堪えがたし峠の途中 捨てた訳でなし
秋田まで行って釣ったと鮎とどく真野川の鮎如何にと案ず
先人の知恵のいぐねの杉の木は除染のためと役目終える日
セシウムが高くて獲れぬ柿の実はすずなりのまま初冬の空に
真野小の閉校惜しみみちのくの万葉太鼓子らはバチ打つ
▼「三年目」(抄) 原 芳広 田をつぶし仮設住宅さらに増ゆ戻れぬ町の仮の町なる
除染せんといぐねの杉を伐りたるも需要の無くて片付けならず
若き日に身を焦がしたるYさんは避難後三年いずこに生きる
屋久島へ妻と避難をせし友は杉の印材われに呉れたり
春荒れに田畑の表土舞いあがる作付け自粛三年目に入る
作付けの自粛もすでに三年目農機具のみか体うごかず
四百から二百三十、八十と庭先の柚子ベクレル下がりぬ
○福島の温泉 高校の同期の会は裏磐梯 避難先よりあまた駆けつく
▼「通過証」(抄) 大部里子 墓参り病気見舞に義姉宅へ通過証貼りいわきへ向かう
六号の大熊富岡通行すピピピと耳に告げる放射線量値
ビュウテフルクラシックのCDをひねもす聴かんうらら春の日
▼「急坂」(抄) 鈴木美佐子 畑に鋤き込む籾殻のやうに我もまたいわきの土地に馴染みゆくべし
じやんがらの念仏踊りを眺めゐる我はいづくに行きても余所者
避難しても関はり絶てず減反の政策つひに廃止と決まる
ジグザグに坂登りきてみはるかす小名浜の海金色に照る
放射能ほのめく丘に陽はさしてなめらかな花梨きよく匂へり
思ひわび近寄りて見る秋桜はわが町の花ぞ浪江町の花
梅が咲き蝋梅香る故郷に一人ひとりの面輪たちくる
戻れないもう戻らないと決めつつも窓開け放ち秋風招く
いづこにも綿毛飛ばせる蒲公英のやうに生きたし帰れなくとも
▼「ふるさとに」(抄) 根本定子 運動会練習はげむ園児たちフクシマの地にマーチひびけり
山の端に雲立ちのぼり緑濃し荒れたる田畑除染はじまる
くれなゐの蓮花咲けりひと住めず車の往来頻りなる辺(へ)に
山際に鈍く垂れこむるうろこ雲心騒ぎぬ朱色文なせば
来る春は帰還の希み実現と小春日和に父母荷をまとむ
お正月ふるさとに帰る夢やぶるわが老い父母は生きて住めるや
ふるさとを捨てざるを得ないひとたちは明日への希みいかに育む
大雪は西北南のみち閉ざし孤島となりぬ吾が住むまちは
さやさやと光ゆらめく若葉見れば罪深き代と詠みしをおもふ
▼擦過音(抄) 遠藤たか子 実方(さねかた)と呼ぼうか君をふるさとを逃れのがれていづくに駆けむ
ほぼゐなくなりたる内部被曝者と聞きたりあれから千日経つた
父母よりも電動ベッドが先にきて杖きて三度目の引越は雨
またすこし遠くなります父母の家けさはうつすら雪が積もつた
原発を嘆けどなげけど越すたびに表情徐々に晴れくる母は
ふるさとに帰つたやうだと母はいふ避難後はじめてわが家を訪ひて
きさらぎの梅のま白にふりかかる雪みゆ寄れば擦過音ある
あの春に降りたるものをだれよりも記憶してゐむこの梅の木は
わが庭のうめかきあんずゆすらうめすべて観賞用となりたり
放れ牛に草を喰ませる除染法おそろしここまで来たるにんげん
還らざるうぶすなを人を恋ふ時間思ひ切るための時間は長し
次回も『あんだんて』の原子力詠を読む。 (つづく)
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