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橋本勝21世紀風刺絵日記
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2017年11月21日22時17分掲載
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文化
【核を詠う】(249)「南相馬短歌会あんだんて」合同歌集から原子力詠を読む(3)「意地を捨て希望を捨てて国策に呑みこまれゆく産土の地は」 山崎芳彦
今回は、南相馬短歌会あんだんての合同歌集『あんだんて』の第七集(平成27年6月発行)から原子力詠を読むのだが、読みながらいま原子力社会の維持、推進を目指す政・財・官・学の勢力が進めている様々な原発促進の策謀について考えないではいられない。先の総選挙での主権者の意思を捻じ曲げる選挙制度と憲法違反ともいえる国会解散のもとでの「大勝利」を謳う安倍政府とその追随勢力は、福島原発事故の収束どころかメルトダウンした福島第一原発が900トンとも推定される核燃料デブリを抱えてその取り出しや安全な処理の見通しもつかないまま、原発の新増設・リプレイスに向けて動き始めている。政府に対する電気事業連合会、経団連などの働きかけが強まっている。国が原発を重要なベースロード電源として位置づけている以上、「老朽・定年原発」が目白押し「定年延長」を強行したとしても限界があるのだから、原発新増設・リプレイスは欠かせないというのである。そこには、福島原発事故による被害による人々の苦難に向ける眼はない。
政府はこれまで、帰還困難区域を除き、避難指示の解除―東電・政府の賠償や生活支援の打ち切りを始め、被災者の帰還強制ともいえる「生活再建ができない人の切り捨て」をすすめてきたが、さらに帰還困難区域についてもその一部を「特定復興再生拠点」認定することで、双葉町・大熊町の一部を5年後までに避難指示解除地域にする。事故原発の廃炉計画が見通せず、危険な高レベル放射性廃棄物そのものである過酷事故原発の残骸の近くに「復興再生地域」が生まれるのだろうか。原子力に依存する地域づくりに人々が望む真の復興・再生はあり得ないだろう。
また、政府は高レベル放射性廃棄物の地層処分に関する「科学的特性マップ」(全国地図)を公表して、全国で気に経産相と原子力発電環境整備機構(NUMO)の共催による「住民向け意見交換会」なるものを展開していくが、さいたま市で今月6日に開かれた市民との意見交換会で、運営を委託された企業が、学生に「参加すると謝金がもらえる」と謝礼を支払う約束をして参加者の動員をしたことが明らかになり、「原子力ムラ」の体質が露わにされている。この受託企業は、多くの地域で同様な学生向けの動員工作を行っている。原発の推進を続けながら、そのことによって生ずる高レベル放射性廃棄物を地下に埋めるための処分場に関する問題についての「住民との意見交換」をめぐってこのようなことがあったことは、国や原子力推進勢力の国民無視の本質の馬脚が露わになったことといえる。
東京電力福島第一原発の事故の災害は空間軸、時間軸共に途方もなく広く長く、人びとの今もこれからもことばでは言い難く深刻であるのだが、このことを過去形で、一過的な「出来事」として、真実を覆い隠し、先行きを見えなくさせようとする「原子力時代の維持推進勢力」は、この国の人々が蒙った核災、原爆・原発事故による苦難に満ちた災厄とこれからの危機を正面から受け止めようとしない。核発電を続け、軍事面での「核には核で」の姿勢を取り続ける安倍政権と「死の商人」であることを厭わな い大企業などの支配を許し続ければ、未来はないというしかない。
これまで読んできた原爆・原発がもたらした被災の中で多くの詠う人々が苦難と闘い、よりよく生きよう、核による被害をなくそうと、さまざまに、創造的に紡いできた短歌作品のなかに、いま読んでいる『あんだんて』の作品もある。その詠う人は短歌作品だけでなく、思いを多様な形で表現をしている。『あんだんて』に収載されている随想に、筆者は心を打たれている。第七集のなかの遠藤たか子さんの随想を転載させていただく。
・・・………………………………………………………… ◇随想「時の深処」(遠藤たか子) 昨年、母より小さな懐中時計を譲られた。それは女ものの和装用で十センチばかりの臙脂の組み紐がついている。母もH伯母から譲られたという。目立つ傷もないのは二人とも大切に保管してきたからだろう。 大震災、原発事故により多くの親類縁者が四年後の今も避難を続けている。新たに住居を求めた者も多い。今年の春、母に隋きH伯母の入居しているケア施設を訪ねた。運転は弟が務めてくれた。ちょうど芽吹きの季節でどこへ行ってもあたりの緑が美しい。施設に着くと職員の方が部屋まで案内してくれた。母もH伯母も震災後初めての再会となる。お互い避難の苦労を労わり合い、無事を喜び合っている。H伯母はすでに九十歳を越えている。母も父の介護の疲労が隠せない。突然の訪問にすこし困惑はしているものの施設の昼食を断り「夢にぼたもち」と言いながら母の手作りおはぎに箸を付けた。 私は部屋隅でしばらく様子を見守っていたのだが、ふと一つの思いが甦ってきて「Kちゃんの命日はいつでしたか?」と尋ねてみた。するとH伯母は「いつだったかなあ、全くあのバカは」と言ったきり口を噤んだ。そして私の方もそれきりにした。 KはH伯母の長男で同級生であった。東京大学、東京電力入社というコースを選んだ。そのKの自死は入社二年目の二十五歳の秋だった。葬儀には私も参列したのだが婚約者までいるのに何故?という思いが強かった。三十六年も経っているのである。誰もが時の深処(ふかど)に忘れかけ、忘れようと努めてきたのだ。 今回の原発事故の後、それまで隠蔽されてきた主な事故があきらかにされた。Kの入社後にも日本初の臨界事故を含む大きな事故が二回起きている。その事実を知った時、なぜかKの事が思い出されてならなかった。 電波時計の電池を替へればすいすいと時針分針正刻を差す …・・・・・・・・・…・・・・・・・・・・・・・・・・・……………………
合同歌集『あんだんて』第七集から原子力詠を読んでいくのだが、読むほどに詠われている作品が、核発電による被災の「反人間・反自然」の本質について思いを深めなければならないことを強く感じている。
▼「鎮魂の森」(抄) 社内梅子 右田浜三千人で植樹祭 津波の更地復興の森
ふるさとの真野の萱原変わりゆく仮設住宅(かせつ)の波に呑みこまれつつ
向日葵は四十五度の体勢で踏ん張る寒さ厳しき日々を
金木犀の花の香りに甦(かえ)りくる山のきのこの呼ぶ声聞こゆ
蜻蛉飛びみずすまし棲む試験田見下ろす川面の青空広し
▼2015・南相馬に暮らす 高橋美加子 春はまた3・11つれてくる一日われはいかに過ごさむ
悲しみはマグマのごとく潜みいる3・12炉心溶融
この度の事は原発事故ならず核災なりと師は断言す
人住まぬ家となりたるその庭に天使のラッパ猛く繁れり
故郷とは離れた人のいう言葉と聞きしもわれら住みつつ偲ぶ
一夜にて無人にされし集落も墓地草刈られ盆の人待つ
悲しみはいたるところに転がりて五年目の春除染はつづく
脱原発激しく願えど声高に叫ぶ人らの群れに交じれず
蹴る石も無きアスファルトの道を行く白線の先何処へ続く
人はみなひとりにひとつ正義あり闇際立たせ月冴えわたる
夕焼けと呼ぶには激しすぎる空紅蓮の炎となりて燃え立つ
白という色はすべてを浄むるか雪よふれふれもっとはげしく
起こることすべてをわが身にまといつつ風邪の日の朝みそ汁すする
小間切れの時間つなぎて暮らす日々われらの上に広き夏空
朝ごとに新しき光生まれくる美し地球のわれら一粒
▼「口紅の色」(抄) 根本洋子 新しい口紅の色濃かりしを春めく今日は夫よ咎むな
四度目の訪なう春に口紅の色ためらわず紅きを選ぶ
飯舘は山峡の村黒々とフレコンバッグは日々積まれゆく
竹藪は切り開かれて除染後の処々に芽ばえし若竹清し
復興とステッカー貼りダンプ行く他県のナンバー多く交じりて
復興の道路広げる工事とうクレーン車のアーム高く上がりて
被災地とよばれし町に数を増す復興ダンプはメイン通りを
またかよと思わず口にす東電の汚水漏れしも公表せずを
アワダチ草稲田と見紛う秋の季黄色は風水良しといいしも
あの日からセシウム降りて里山の幸を蝕む春重ぬれど
高齢の恩師の問いに同じこと答えて淋し還れぬことを
雛人形置きざるままに避難せし古布の雛を求めて飾る
仮設舎で死す人今日も一人載る孤独死という見出しつけられ
▼「だいたい猫」(抄) 梅田陽子 大津波が連れ去ってった君あての年賀状また一枚たまる
流された局舎のあった請戸へはまだ供花にさえ行けないでいる
畔沿いに農地除染ののぼり立ち五度目の春も田に水はなし
▼「花いちもんめ」(抄) 渡部ツヤ子 避難先で夫亡くせしと涙する友の抱へるほほづき朱し
心の鉦うち鳴らしつつ生きゆかむわれに残されし夕映えの道
花の精ら夢幻の世へと手招きす引き込まれさう連れて行かれさう
▼「母の背」(抄) 柴田征子 仮設にて四たび春蘭咲く窓に避難の孫の笑みの映れり
原発の事故にも負けず卒業の生徒ら夢に真向い歩く
震災に勇気ふるわせ武士(もののふ)は野馬追ここぞと出陣をする
百年の歩みあらたに干拓の基盤整備のブルの音高し
▼「喜の字」(抄) 原 芳広 元旦より杉の葉飛ばす季節風作付再開向い風なる
「サクラサク」環境システム究めんと孫は進みぬ柏キャンパス
待っていた吾家の除染すると云う野馬追まえに二十日かかりて
稲作の自粛のつづく南相馬かえるは鳴かずほたるは舞わず
作の無き田を耕せば鶺鴒はトラクターに寄り虫を漁れり
待望の自動車道のつながりて三人の孫も近くなりしか
▼「わが苑」(抄) 大部里子 ペンションの夕食朝食孫とむつみ会津で逢いぬ名古屋は遠き
思わざるあるとき不意に傷つきぬ生かされ在るを粛々とゆく
つつしみて新年を受く冬の庭雪にも耐えし牡丹の花芽
兄は逝く父亡き後の幾年月あつき恩愛全身過(よ)ぎりぬ (震災、原発事故により避難していた次女宅で逝去された兄君のことが作者の随想に記されている。 筆者)
満開のしだれざくらの従姉妹宅樹齢そこはか今年のさくら
▼「若者に託す未来」(抄) 鈴木美佐子 本意より笑ひしことなきこの三年会津のさくら惚れぼれと見る
二十六インチの自転車に荷を積みしまま漕ぎつづけゐる我の一世は
さるすべり庭に散りしく故郷に瓦の破片を訳もなく蹴る
言ひたき事言ふべき事を言ひ尽くし貯蔵施設を受け入れむとす
三年の議論の果ての国策を受け汚染土は地元に還る
意地を捨て希望を捨てて国策に呑みこまれゆく産土の地は
日本人ならではの除染丹念に一枚いちまひの瓦拭へり
限られた時刻せまれり阿武隈の夕日見てゐて去りなむとする
何為さむ何はともあれ教育ぞふたば未来学園校成る
定員を超えしふたばの未来校意欲をもやす子の学び場ぞ
明確なビジョンを持ちて立ち上がれ若者に託すふたばの未来
▼「校歌をうたふ」(抄) 高野美子 避難バス列なし消えたる春の闇かの方舟のいづこに浮かぶ
シャトルバスに高速道路はつながれど東京もはや思ひ出のみに
日の光増せば芝生に昼餉とりぬあの頃つひぞ昨日と偲ばる
麦青く雲雀追ふ空どこまでも碧き一日は被災を忘る
子どもらと歌ひし校歌聞こえくる山河は光り明日へはばたく
会ひたしと子を連れ来たる教へ子の子を追ひかけて年玉をやる
いつしかに更地の墓所を訪ひてをり遠くに去りし父母姉偲び
よみがへる日を待つ海と鮭の川いまだに試験操業つづく
被災より四年ぶりなる吊し柿朝焼けの軒に艶を深めて
やうやくにかなへる父母の墓参り写真の笑顔は消ゆることなし
十夜会をひかえもみづる大銀杏 復興の里見つめ続けよ
▼風響り(抄) 遠藤たか子 なにを棄て得たりし虚かこのぽん菜芯部にほそく闇いだきをり
避難民などと称ばれて住む人らその地に根ざす土産をくれる
そしてまた吾もディアスポラ原発の方より吹ける風に脅ゆる
辛夷咲き桜の咲けど慰まず病院に父を置き去りにして
いつさいを失くして笑ふ父がゐる腎機能いたく衰へている
廃炉作業の建屋カバーが口を開くニュースの前にしばらく座る
幾重にもからまる葛が電線に枯れながら垂るふるさとの道
海棠が実ってゐました 生れしより吾を知る一樹垣のかたへに
スリッパ立てにスリッパ差されて誰もゐぬ生れし家(や)見残しし夢のごとしも
基地のゲート福島のゲート相似たりきょうつくづくとくるまに見れば
なぜわれはここに生れた人住めぬ町の入口ゲートに鎖さる
柚子捥がぬ冬も四年目 風響(な)りを連れてあゆまむ年のはじめに
次回も南相馬短歌会の合同歌集『あんだんて』を読む。 (つづく)
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