合同歌集『あんだんて』第九集(平成29年6月発行)から原子力詠を読ませていただくが、同第五集から今回の第九集までの、南相馬短歌会に集う決して数多くはない歌人の作品を読んできて思うことは多い。人が生き、縁ある人びととともに生活を営み、喜怒哀楽、愛別離苦様々な、しかし当り前の日々を送り、それをつなぐこと、決して望むことばかりではないにしても。その人々が生きる環境を根底から脅かし破壊する結果を招く危険性のある原子力発電所の存在の理不尽、反人間性を、福島第一原発事故がもたらした災厄を経験してもなお、国の政策、大資本企業の事業として許すことは、あの広島、長崎の原爆被爆による人々の惨憺たる苦難を経験しても国連の核兵器禁止条約に反対し、「核の傘の下」から「核兵器の自前生産、核兵器保有」への策謀に重なることに違いないと思わないではいられない。短歌作品は作者の意図を越え、読む者に多くのことを考えさせることが少なくない。「詠む」と「読む」の交錯が創作するものもあるのだろう。
広島高裁(野々上智之裁判長)が12月13日に、四国電力伊方原発(愛媛県伊方町)3号機の運転を禁じる判断を下し、高裁としては史上初めての司法判断として注目されている。今年3月の広島地裁による同原発の運転差止め請求却下決定を覆しての画期的な判決である。伊方3号機は2015年7月に原子力規制委員会が安全審査に合格し、昨年8月に再稼働したが、広島市、松山市の住民4人が事故が起これば住民の生命や生活に深刻な被害を及ぼすとして広島地裁に運転差し止め仮処分を申請、広島地裁がそれを却下したため、広島高裁に即時抗告して運転差止めを求めたものだが、広島高裁は伊方原発から130キロ離れた阿蘇山などの噴火の影響を重視し「火砕流が伊方原発に到達する可能性が十分小さいかどうかを判断できる証拠はない」として同原発の立地が不適切だったと認定し、原子力規制委員会が新規制基準に適合するとした判断は不合理だったとして、「住民の生命身体に対する具体的危険の存在が事実上推定される」ことから、伊方原発は現在稼働中であるから、差止めの必要性も認められる」との決定を下した。(伊方3号機は今年10月に定期検査のため停止、来年2月の営業運転の予定)四国電力は決定の取り消しを求める保全異議と仮処分の執行停止を求める申し立てを行う方針。
火山と原発の関係を重視したこの決定は、九州電力玄海原発(佐賀県玄海町)や川内原発(鹿児島県薩摩川内市)などの危険性にもかかわり、訴訟や運転差止め仮処分請求などに影響を与えることになるはずである。
この広島高裁の決定で注目されるのは、火山と原発の関係について厳格な判断を示していることとともに、「抗告人ら住所地と伊方原発との距離(広島市居住者につき約100km、松山市居住者につき約60km)に照らすと、広告人らは、伊方原発の安全性の欠如に起因して生じる放射性物質が周辺の環境に放出されるような事故によってその生命身体に直接的かつ重大な被害を受ける地域に居住する者ないし被害の及ぶ蓋然性が想定できる地域に居住する者といえる。」、「伊方原発の設置運転の主体である四国電力において、伊方原発の設置運転によって放射性物質が周辺環境に放出され、その放射線被曝により抗告人らがその生命身体に直接的かつ重大な被害を受ける具体的危険が存在しないことについて、相当の証拠資料に基づき主張立証(疎明)する必要があり、四国電力がこの主張立証(疎明)を尽さない場合には、具体的危険の存在が事実上推定されると解すべきである。」(決定要旨2頁)としていることであろう。
原発から100km離れていても、過酷事故が起きれば放射性物質による被害を受けると断じており、30kmどころかはるか広範な地域に放射線被曝により生命身体に重大な被害が及ぶとしているのである。筆者は、決定要旨を読んだだけで決定全文に目を通していないのだが、この広島高裁の決定が、福島原発事故の教訓や、広島原爆による放射能被害の深刻さを踏まえていると思われてならない。この裁判への取り組みには「被爆地ヒロシマが被曝を拒否する」を掲げる「伊方原発の再稼働を許さない市民ネットワーク・広島」「広島1万人委員会」などの長期にわたる運動がある。(伊方原発運転差止め広島裁判メールマガジン http://saiban.hiroshima-net.org) もちろん、これまでの多くの原発訴訟の経験からも、今回の広島高裁の決定に対する政府や原発推進勢力の激しい「反撃」が当然あるだろうし、予断を許さない。しかし、この司法判断は、2014年のあの大飯原発差止め判決(福井地裁・樋口英明裁判長)などとともに、貴重な一石であると思う。
福島県の歌人による南相馬短歌会の合同歌集『あんだんて』の第5〜第9集の原子力詠を今回で読み終わるのだが、作品を読む前に伊方原発3号機運転差止めの広島高裁決定について、まとまりなく記してしまった。が、『あんだんて』の作品群とも深いかかわりがあるとも思ってのことでもある。「あんだんて」の歌人たちは、さらに歌い(訴え)続けていくに違いない。ご健詠を願いつつ、第9集の作品を抄出、記録したい。
▼「ふるさとの六年(むとせ)」(抄) 根本洋子 〈避難解除〉 仮置場の設置にためらう人あれど夫は真先きに承諾印押す
現状のことなど何も知らぬ人は帰るんでしょうと軽く口にす
ふるさとの景色の一つ原発の排気塔見ゆ海岸沿いに
声荒げ反対意見もとび交いて避難解除す説明会場
町長は手に力こめ合図する復活初発の下り列車に
六年ぶり仙台・浪江がつながって「お帰りなさい」常磐線よ
〈原発棄民〉 引きずっているのではない刺さってる原発事故の棄民となりて
りんご飴手にする娘らとすれちがう避難者われに華やぎ分けて
ふるさとに還れぬままに逝きし人の短歌(うた)を偲びぬ文芸欄に
ともすれば繰り言となる望郷の思いも添えてタブの木植える
モネの絵と見まがうばかり原子炉の容器残置のデブリの写真
〈我らの町〉 哀しみに遺恨・怒りも重なりて大川小の訴訟記事読む
自主避難・自己責任と復興相誰が汚した我らの町を
家解体(かいたい)の跡地に残る花々は春の盛りに侘しげに咲く
家解体の多き集落通りぬけ我が集落の墓地へと向かう
▼「ねこです」(抄) 梅田陽子 「ブロックに変な猫いる!」お父さん あれはおそらくハクビシンです
猫ですとすました顔でハクビシンは白昼堂々猫みちを行く
高校生でいっぱいだった夕方の上り電車はまだがらあきだ
放射能、放射線、放射性物質 使い分けする私の日常
▼「帰ろかな」(抄) 渡部ツヤ子 きつぱりと帰還あきらめ解体と決めしわが家をかけ戻り見ぬ
毀たれしわが家の跡地にひとり立つ四十年の思ひ出還る
「帰ろかな」と歌ひつつ帰れないことわが身に言ひ聞かせをり
「来年も来れるといいね」とふり返るさくらんぼ街道に石仏二つ
友去りぬ別れも言はず北国へ背の君亡くしし悲しみ抱き
手不足と転院云はれし日暮れ道 失意のわれに北風痛し
▼「愛馬との別れ」 柴田征子 避難の日愛馬二頭に別れ告ぐ目で諭しつつ馬匹車にのせる
避難先入学式に泣いた日を秘めて学ぶも今卒業す
津波禍の色なき風に宮建ちて遷座祭の朝巫女ふたり舞ふ
津波禍のやしろ新たに遷座祭氏子ふるさと扁額畏る
鳳仙花線路のはたにこぼれ咲きとほり過ぎゆく幼な日のかげ
丸き荷を解けば日高の荒潮の匂ひみちたり昆布くろぐろ
「光り待つ」(抄) 荒川 澄 小高川の堤防に座し裸馬追ふ騎馬武者をむかしは見たり
横浜のたんぽぽ主根きえたるも六年ぶりの移植で咲きぬ
大いなる苦しみの壁眼前にあれば人様を想ふこと無理
いや、待てよ、百歳まではまだ長い時と楽しみ吾にあるなり
「あんだんて」吾をのぞいて全員がみな賢人なり僕は爆音
▼「足腰重し」(抄) 原 芳広 災害はもう懲りごりと手を合わすまだ明けやらぬ冷える修正会
五年間米つくり無き足腰の重たき動き今朝も知らさる
五年へて除染を終えた里の田は虫喰いざまに田植されたり
飼料米なれど植えたる田にひびく蛙の歌は六年ぶりなり
西風(にし)ならば免れたのに飯舘は海風吹いて村は汚染す
来春に避難解除の飯舘は帰る帰らぬは自由にと出る
新藁の匂う刈田にほっとする六年ぶりの邑(むら)のたそがれ
「ニイタカヤマノボレ」の通信文は 原爆落とさる戦端ひらく
▼「天鏡閣」(抄) 大部里子 嵩あげの防潮堤の渋佐浜 原発の海なみおとひびく
暈げの坂元駅まで乗りてみる常磐線の開通ことほぐ
黒ぐろとフレコンバッグつづきたり車窓より見ゆ南相馬市
大井川天竜川や富士の山新幹線の窓にながるる
孫と遊ぶトランプスゴロクいつも負け喜寿の我にゲーム楽しも
遥かより鮭のぼり来し新田川原発事故よりただただおちつかず
新田川への野道を行けばさくらさくら土手に並んだ桜に抱かる
訪いし明治をしのぶ天鏡閣 孫とふたりで写真に納まる
▼「涼風」(抄) 鈴木美佐子 次つぎと湧くごとく出るアスパラは明日をつれくる希望の芽なり
一本のアスパラつんと伸びてゆく一つの意志を貫く
「田植えだなあ」つぶやくやうな夫の声車窓に広き代田みなぎる
県外に逃れたる友福島の空みただけでほつとするとふ
「大熊はいつまで会津に居る気だべ」中学教師平然と言ふ
高速を降りれば並ぶ黒き袋フレコンバッグに目をそらしたり
国をあげての除染なりけり旭川青森宮城のナンバーつどふ
かき出され掘りおこさるる放射能黒き袋にどさりと詰まる
見えぬはずの放射能黒き袋の立方体に見せつけらるる
助け合ひ補ひあひて老二人の暮らしまた良し猫も加はる
▼「まあるい重さ」(抄) 根本定子 仮住ひの窓より見ゆる阿武隈の山の端夕日のにじみてゐたり
ひとつづつ組上げられてやうやくに家はかたちをなし来たるなり
父母と行きし桜の岸辺恋しかりあの日の父に今日も語らむ
▼「紫木蓮」(抄) 高野美子 新しい年を迎へる山なみは藍色深め帰還日かぞふる
六年ぶり帰還かなひし村里の芽吹く道みち おかげさまの旗
被災せし故郷の田を蘇生すと友は水張る抜きてまた張る
福島の復興願ふ『藍生』(あおい)の師 句友は集ふうつくしま福島に (俳誌『藍生』主宰 黒田杏子氏)
除染員募集の旗にバス鎮む文字摺石に風は薫るに
「住む住まぬ食べる食べない自由です」若い講師の解く我慢量
戻りたい戻れないとふ六年は友とも袖を分かつ歳月
千枚とも思ふばかりの早苗田に平和を願ふ永久なる祈り
蜘蛛や昆虫は富裕な街に多きとふ帰還なき里虫はすだくや
メルトダウンの燃料デブリ査察するサソリまたもや尻尾切らるる
四畳半一間で六年過ごす友 孫と暮らすと仮設去りゆく
帰りぎはそつと呟く人のあり「終末時計の止まる日ありや」と
あるがまま素朴な日々を歩み来し自分史の題『紫木蓮』とす
▼「日常」(抄) 高橋美加子 さびしいとつぶやいてみるさびしさの理由はなにもなくて曇天
「ひとやまも、ふたやまも越えてきたわよ」と媼は天を仰いで笑う
存在の大いなる矛盾呑み込みて立ち尽くす君武士の貌
うちつづく原野は人の住みし跡 危険地帯となりて広がる
川よ川 行き着く先の海岸は包帯をしてよこたわっているよ
森林の除染を終えし里山に迷路のごとき林道残る
おさえてもおさえても涙あふれだすフレコンバッグの行方問われて
放射能は鵺のごとくに潜みいる耕作放棄と人よ責むるな
▼「大観覧車」(抄) 遠藤たか子 常磐線坂本駅の発車音キビタキならむ雪の日も鳴く
五年半ぶりに降り立つ新駅舎もとの駅もう思ひ出せない
来てみれば草野原なり家跡は 松本さんあの日いかに流さる
地方紙のわが選歌欄に避難者のうた途切れなし六年経るも
野菜もう作らずなりたる裏畑にはびこるミントけふは刈らむか
除染作業に巣を追はれしかアシナガバチ今朝はさかんに軒下を飛ぶ
ああまるで虚無僧のやうなネット帽、庭を行き来す除染の人ら
雨樋の除染終へしが三日後になぜか詰まりてまた人がくる
震災後読めば身に沁む「あぢさはふ目ことも絶えぬ」ひと増えてきて
ふはふはの穂花の白によみがへる故里の山はいかになりしか
次回から遠藤たか子歌集『水際』(みぎわ)の原子力詠を読ませていただく。遠藤さんの作品は、合同歌集『あんだんて』でも読んできた。 (つづく)
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