岡田充『海峡両岸論 第85号』http://www.21ccs.jp/ryougan_okada/ryougan_87.html
安倍政権が対中政策を転換している。中国が進めるシルクロード経済圏構想「一帯一路」への支持と支援を鮮明にし、冷却化している日中関係の改善の「切り札」にする狙いである。安保法制の整備に始まり「地球儀を俯瞰する外交」や「価値観外交」など、中国包囲網の構築に執心してきた政策を転換する背景は何か。一言でいえば「孤立回避」である。 トランプ米大統領のアジア歴訪は、図らずも米中のパワーシフト(大国の重心移動)を加速化している。日米同盟強化以外に選択肢のなかった安倍外交は、米国の地位と影響力が低下すればするほど、自分の足場もぐらつく。日中関係だけが冷却化し続ければ、政経両面で日本の孤立は避けられない。
<ダナンと東京で大賛辞>
この二人が日中の国旗をバックにほほ笑みながら握手するのは初めてだ。安倍晋三首相は11月11日、ベトナム戦争の激戦地の港湾都市ダナンで習近平中国国家主席に「第三国でも中国と協力してビジネスを展開したい。日中両国だけでなく、現地国にとっても意義がある」と述べた。「一帯一路」を支持し支援する意向を7月のドイツでの首脳会談に続き自ら伝えた。 続いて12月4日、東京で開かれた日本と中国の主要企業トップが一堂に会した「日中CEOサミット」で安倍は「アジアの旺盛なインフラ需要に日中が協力して応えることは、両国の発展だけでなくアジアの人々の繁栄にも貢献できる」「日中の互恵的な経済関係は2国間にとどまらず大きな可能性がある」と述べ、両国が共同してインフラ開発に関わることは、国際貢献にもつながると強調した。 「一帯一路」支持への転換は、この春に始まる。5月、北京で開かれた同構想の国際会議に、二階俊博・自民党幹事長と首相腹心の今井尚哉秘書官を派遣、習主席に親書を渡し支持への転換姿勢を伝えた。6月には安倍自身が、講演で「ポテンシャルを持った構想だ」と高く評価した。
<世界人口の6割占める巨大経済圏>
中国共産党規約にも盛り込まれた「一帯一路」は習が2013年に明らかにした構想。中国から中央アジア、欧州に続く「シルクロード経済ベルト」(一帯)と、東南アジア、インド、アラビア半島、欧州に続く「海上シルクロード」(一路)で、巨額のインフラ投資を通じ、経済一体化を進める経済圏構想である。 沿線国人口は計約44億人と世界の約6割を占め、国内総生産(GDP)の合計は約21兆ドル(約2360兆円)で、世界の約3割に迫る。習自身も19回党大会での政治報告で「新たな国際協力プラットフォームを構築し、共同発展の新たな原動力」と位置付けた。 数字をみれば魅力的な経済圏に映る。中国にとっては、成長の果実を周辺国と共有し、国内産業の市場開拓にもつながる。同時に過剰生産した鉄鋼やセメントなどを処理する狙いや、4兆ドルもの外貨準備の運用多角化にもなる。急成長は望めなくなった中国経済にとってはプラスが多い戦略的意味がある。 安倍政権は昨年まで、中国を排除した環太平洋パートナーシップ協定(TPP)の成立に血道をあげてきた。しかし「アメリカ第一」のトランプ政権はTPPからあっさりと離脱、日本は「ハシゴ外し」に遭ってしまった。 安倍は米国抜きの11ヵ国新協定「TPP11」発効を目指しているが、米中を欠いた経済圏に求心力はない。カナダ政府はTPP「大筋合意」を否定し、トルドー首相は習との会談で「一帯一路」を絶賛した。 では日本はどうするか。中国が主導するアジアインフラ投資銀行(AIIB)は「意思決定過程が不透明」と批判してきただけに、参加ハードルは高いが「一帯一路」なら加盟手続きはなく、民間が進めればそれで済む。
<日中関係改善シナリオ>
安倍の「ゴーサイン」を受け、官民ともに流れは変わった。 河野太郎外相は神奈川県平塚市の講演(11月18日)で、「一帯一路」が世界の利益になる可能性に言及、中国が国外で整備する港湾施設について「オープンに誰でも使える形でやれば、世界経済に非常にメリットがある」と賛意を示した。 経団連などの財界訪中団は11月21日、北京で李克強首相と会談。榊原定征会長は「『一帯一路』を含めたグローバルな産業協力は両国だけでなく世界の繁栄につながる」と、日本企業の関与に前向きな姿勢を表明し、日中間の呼吸が合ってきた。 日本側が思い描くシナリオはこうだ。来年早期に延期されていた日中韓3国首脳会談を東京で開催し、まず李克強首相の来日を実現。その答礼で、安倍が全人代終了後の4月ごろに訪中し、平和友好条約締結40周年を迎える18年中の習の初来日につなげる。首脳会談は2014年以来開かれているが、国際会議の場での実現であり、2010年以来中断している首脳相互訪問の再開とは言えない。 日本側のシナリオ通りに進むかどうか、中国側には異論もある。中国政治に詳しいある中国人研究者は「北京は、来年の訪日にこだわっていない。むしろ2020年の東京オリンピックの開会式に合わせた方が効果的という意見もある」とみる。
<安保政策にも変化の兆し>
安倍が主唱する「自由で開かれたインド太平洋戦略」は、「一帯一路」けん制の意味合いがあると受け取られてきた。しかし関係改善の切り札に「一帯一路」支援を打ち出しながら、返す刀でそれを牽制するのでは、北京の信頼を得られない。 河野外相は「BS朝日」番組の収録(11月10日)で、「(インド太平洋戦略に)中国封じ込めの意図はあるか」と聞かれ「大きな誤解だ」と否定した。そして航行の自由と法の支配を守る戦略が実を結べば、世界経済の活性化につながるとした。つまり「一帯一路」と連動させ、中国との「共存共栄」は可能だという趣旨だ。牽強付会と見る向きもあるだろう。だが、関係改善に向けて中国側に配慮し始めたのは間違いない。
先の中国人研究者によると、トランプはアジア歴訪に先立ち、真珠湾を訪問した。さらに東京滞在中は、「インド太平洋戦略」の支持を公言するよう求めた安倍の求めは無視し、中国訪問後のダナンで新たなアジア政策として「インド太平洋戦略」に言及した。全て対中配慮だった。日米同盟の内実がよくわかる行動ではないか。 安全保障政策への波及はそれにとどまらない。日中両政府は12月6日、上海で開かれた「高級事務レベル海洋協議」で、東シナ海での偶発的衝突を回避する「海空連絡メカニズム」の設置案で大筋合意した。中国側はこれまで「尖閣諸島(中国名 釣魚島)」の名称を入れるよう主張していたが、今回はこだわらなかった。いずれ日中首脳会談で「関係改善の象徴」として「連絡メカニズムの合意」を発表するとみられる。 「一帯一路」への政策転換が、日中間のトゲになってきた尖閣問題でも前進につながるなら歓迎すべき事態である。
<日中協業のウィンウィン>
「一帯一路」に話を戻す。 中国は最近、あらゆる海外プロジェクトをすべて「一帯一路」に結びつけて宣伝する傾向がある。 日立製作所の小久保憲一執行役常務は、中国広州での記者会見(12月1日)で、「これまでも中国企業と組んで(日中以外の)第三国で仕事をしてきた」と説明する。「中国の影響力拡大につながるだけでは」との慎重論に対しては「どの国を利するかは顧客が決める」。同氏は、中国企業が海外で受注した高速鉄道車両に、発注元の要請で日立製の基幹部品が使われたこと、逆にリビアで受注した発電設備で、コスト削減のために中国企業を活用した例を挙げ、「日中協業」がウィンウィンにつながったと強調した。
安倍政権の方針転換を受け経産省は、一帯一路に参加する日本企業の協力分野を企業に説明し始めた。 (1)「省エネ・環境協力」では太陽光と風力発電所の開発・運営 (2)「産業高度化」として、タイ東部の工業団地の共同開発 (3)「物流利活用」では、中国と欧州を結ぶ鉄道を活用するために制度改善を協力して進める ――を挙げ、政府系金融機関の支援を検討している。官が中国協業を躊躇していた民の背中を押す構図である。
中国側も日中協働の「ウィンウィン」を強く意識している。「中国と日本はアジアの高速鉄道整備を巡る過度な受注競争をやめて、連携すべきだ」(世界経済発展研究所の姜躍春所長)という声も上がり始めた。姜は、高速鉄道プロジェクトをめぐり、受注価格の引き下げや低利融資など行き過ぎた「悪性競争」になっていると指摘。車両の品質や開通後の保守点検に秀でる日本と、低コストでの建設に強みがある中国が組めば「国際社会に貢献できる」と主張している。
<軍事目的なら「乗らない」>
一帯一路については、投資先のアジア諸国との摩擦が伝えられる。パキスタンやネパールでのダム・発電所プロジェクトが、融資条件を巡って対立し建設が中断しているケースもある。スリランカでは、債務軽減と引き換えに政府が中国にハンバントタ港の99年間の運営権を与えたとして批判されている。 麻生副総理は、AIIBの融資を「サラ金」に例えて批判したが、日本郵船の工藤泰三会長は同港のプロジェクトについて「物流網の効率化に貢献している」と評価し、自動車輸送での協力の検討を始めたという。丸紅も一帯一路関連のインフラ整備で中国企業との連携を深めることに意欲を示す。 インフラ建設は、軍事利用につながる案件がある。中国はこの8月、紅海の入り口ジブチに中国軍の補給基地を建設した。ミャンマーでは、両国間の「経済回廊」の建設に意欲的で、中国内陸部からインド洋へと抜ける原油輸送バイパスとして利用価値に目を付ける。ある大手商社幹部は「日中が第三国に整備した港湾に、中国の軍艦が寄港する恐れがあるなら、話に乗るわけにはいかない」と語る。素材メーカー幹部も「中国の真の狙いが見えにくい。新たな投資は控えたい」と慎重だ。
<中国一人勝ちの「脅威論」も>
対中ビジネス全般について言えば、中国の内需の堅調な推移を背景に、日本企業の「対中投資姿勢が積極化しつつある」と見る経済専門家は多い。 好転の背景には (1)中国の中間所得層の拡大が持続 (2)雇用、物価など中国経済のマクロ指標の好転 (3)日中関係の改善傾向 ――が挙げられる。「一帯一路」に関して言うなら、日中関係の政治ファクターが最も大きい。
一方、ネガティブ要因も少なくない。中国はことし「サイバーセキュリティ法」を導入、ネット規制を回避するソフトウェアVPNの規制強化など、サイバー空間の統制を強化した。このため、IT関係企業の中国市場への見方は厳しさを増している。 まとめると、中国一人勝ちの「経済脅威論」とでもいうべき姿が浮かび上がる。 第1に、中国企業による相次ぐ西側優良企業の買収。 第2は、石油に匹敵する重要性を持つ「ビッグデータ」で、中国企業はデータ収集力で圧倒的優位。 第3に、スマホ、eコマース、フィンテックなどの分野での中国企業のイノベーション力 ――である。 欧米企業の間では一時の対中ビジネス熱が冷え始めていると伝えられる一方、政治主導の対中ビジネスの展開に落とし穴はないのか。「共同発展の新たな原動力」というウィンウィン精神が試される。(了)
〔『21世紀中国総研』ウェブサイト内・岡田充『海峡両岸論 第85号』(2017.12.13発行)転載〕
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<執筆者プロフィール> 岡田 充(おかだ たかし) (略歴) 1972年慶応大学法学部卒業後、共同通信社に入社。 香港、モスクワ、台北各支局長、編集委員、論説委員を経て2008年から共同通信客員論説委員 桜美林大非常勤講師、拓殖大客員教授、法政大兼任講師を歴任。 (主要著作) 『中国と台湾―対立と共存の両岸関係』(講談社現代新書)2003年2月
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