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橋本勝21世紀風刺絵日記
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2018年01月08日16時31分掲載
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韓国
11月韓国訪問報告記
2017年11月10日から13日まで韓国を訪問した。これは、2016年から2017年にかけて日系企業の韓国サンケン労組の不当解雇撤回闘争を支援した仲間を中心に、韓国サンケンの労働者たちが働く馬山を訪問して交流し絆を強め、日韓労働者の連帯を強める目的で行ったものである。 併せて、トランプ米大統領の登場によって朝鮮半島情勢が一挙に緊張の度を高めている中、“11月全泰壱(チョン・テイル)精神継承全国労働者大会”への参加などを通して、また現地の労働者住民との交流を通して、「キャンドル革命の結果誕生した文在寅政権の下で、韓国の労働者民衆はどのように闘っているのか」を体感し、学んでいく目的もあった。
<韓国サンケン労組との感激の再会>
11月10日、ソウルに到着した一行は、韓国の新幹線KTXに乗って韓国南部にある馬山を目指した。馬山に到着後、かつて解雇撤回の日本遠征闘争が闘われた韓国スミダ、シチズン、韓国山本などの日系企業があった馬山自由貿易地域を車で見学した後、韓国サンケンの会社に到着した。組合員たちが温かく迎え入れてくれた。早速、会社の休憩室で自己紹介など簡単な交流会を行い、半年ぶりの再会を喜び合った。勝利した組合員の顔は明るい。 終業が午後6時なのに、交流を午後5時半から始めたので、「仕事中なのにいいのか?」と尋ねたところ、「組合員の教育研修として年10数時間が保証されている。この権利があるのは韓国でも珍しいことだ」とのこと。組合の力が強ければ、こんなこともできるのだ。 遅れてきた訪韓団のメンバーも合流して総勢19名が、場所を移して催された懇親会に参加した。懇親会は、韓国サンケン労組の上部団体の韓国・金属労組慶南支部が主催したもので、大変豪華な料理が出るなど盛大なものであった。 韓国サンケン労組の日本遠征団の闘いに対し、私たち日本の労働者がどれ程支援できたかは反省のあるところだが、慶南支部の盛大な歓迎は、解雇撤回原職復帰を果たした韓国サンケン労組の闘いを重視し、その勝利を高く評価していることの表れではないかと思った。
<4.19学生革命を先導した3.15馬山民主化抗争 3.15記念館見学>
2日目の11月11日は、まず馬山にある3.15記念館を見学した。ここは、1960年の4.19学生革命に先立ち、李承晩政権の3.15不正選挙に怒った民衆蜂起の際に犠牲となった人々を追悼する国立の記念館で、丘の上には民衆蜂起の巨大なレリーフと犠牲になった学生たちのお墓がある。記念館の中には資料、写真、映像やパノラマで当時の様子がよく分かる形で展示されていた。目に催涙弾が刺さった状態のある高校生が、死体となって海から発見されるという虐殺・蛮行が行われた写真が展示されていたのは痛々しかった。 そのとき、ちょうど先生に引率された小学生たちが見学に来ていた。歴史教育がしっかりなされている。民主化運動で犠牲になった人たちを追悼慰霊する立派な国立の施設があることに、日本との違いを感じた。 馬山は、4.19学生革命を先導した3.15馬山民主化抗争や朴正熙射殺事件につながった釜山馬山抗争など民主化抗争発祥の地であり、馬山市民はそれを誇り思っているように映った。
<THAADミサイル配備に反対している星州・韶成里(ソソンリ)の住民は決して諦めていない>
その後の予定は、夜ソウルで行なわれる労働者大会の“前夜祭”に参加することだ。金属労組慶南支部が大型バスでソウルに行くことになっていたので、それに同乗させてもらうことにした。途中、THAADミサイルが配備された星州郡韶成里(村)に立ち寄り、反対運動の話を聞くことになっている。 バスには日本からの訪問団の他に、韓国サンケン労組から5名、さらに日系企業「(株)椿本チエイン」の韓国子会社「椿本オートモーティブ」の労働組合員も一緒に乗り合わせた。この組合は昨年結成したばかりの金属労組の分会で、組合員30名中21名が今回労働者大会に参加するという。若い人が多い組合だった。 バスの中では、韓国サンケン労組の日本遠征闘争を描いたビデオを上映し、解雇撤回闘争の紹介した。新座市の本社前で毎日行った出勤闘争の様子など、様々な場面が出てきて闘いの日々を懐かしく思い出したりもした。
馬山からバスで2時間くらい走って韶成里に到着した。そこは日本の田舎に似た紅葉が見事な静かな山村であった。星州は瓜の特産地で、途中、瓜栽培のビニールハウスが一面広がっているのが見えた。 地元の反対運動組織の状況を、韶成里(ソソンリ)総合状況室(THAADに反対する6団体が運営中)室長から話を聞いた。70戸のほとんどがTHAAD配備には反対しているという。 9月初めには、文在寅大統領は選挙の公約に反して、「北の脅威」を理由に配備を強行した。小さな村に8000人の警察隊が押し寄せ、住民を力で押し潰し、18時間の攻防の末にミサイルを搬入した。その時、抵抗の拠点としたテントの壊された残骸が、今でも道路の片隅に住民蹂躙の証拠として残されていた。住民たちは「決して諦めてはいない」と言っていた。 村を通る道路の両側には、全国のいろいろな団体の支援の横断幕が何百メートルに渡りずらりと貼ってある。 この村の近くには韓国土着の円仏教の聖地があり、THAADを円仏教の中心的な教義である平和を脅かすものだとして反対運動に取り組んでいる。この村の中には2代目教祖の生家があり、そこも見学した。 村から500mくらい坂を登った元ロッテゴルフ場のミサイル基地に行く分かれ道の所には、円仏教のテントの小さな教会があり、そこに円仏教の教務の方が座り込んで米軍車両の出入りを監視し、レーダーを動かずガソリンなどの物資の搬入を阻止している。様々な闘いの計画が話される中で「撤去まで闘っていく」と話していた。 韶成里を後にし、高速道路を一路ソウルに向けてバスは走った。しかし、ソウルに近づくと大渋滞、高速道路を降りても一般道も大渋滞で、結局、前夜祭の会場に着いたのは終了間際の時間だった。残念!!それでも、ずらっと並ぶ出店のテントを一回りすると、何人かの友人知人に会うことができ、旧交を温めた。
<仁川徴用労働者像見学−植民地支配の清算が終わっていない>
3日目の11月12日午前中は、日本の植民地時代に強制徴用された労働者たちを記憶し、正しい過去清算を進めていくために、仁川に建立された徴用労働者像を見学に行った。仁川は昔から労働運動が活発な所で、労働運動の聖地ともいわれ、労働運動の発祥の地でもある。
初めに、この像の建立運動を進めた民主労総仁川地域本部を訪問した。通された部屋は“追悼の部屋”と言って、これまで労働運動や民主化運動で虐殺や自死など、志半ばで亡くなった方々約100人の遺影が飾っていた。厳かな気分になる。 本部長の金チャンゴンさんが対応し、1時間くらいであったが、「仁川には日帝植民地支配時代、軍需工場が沢山あった。それを基礎に発展してきた」などと仁川の労働運動の歴史のほか、最近の労働運動の状況や文在寅政権への対応など話を聞いた。 今、民主労総では80万人組合員全員による三役の直接選挙が実施されている。金チャンゴンさんは、記号4番のチームの一員として立候補している。そのため毎日“超”忙しいが、そんな中、わざわざ我々が来るのを待っていてくれたのだった。その金さんが「徴用労働者像を建てたのは、“植民地時代の日本による蛮行を忘れない”という意味と、同時に歴史的な労働運動の聖地・仁川で労働運動に取り組んできた労働者の誇りを表すものでもある」と説明していたのが、強く印象に残った。 仁川空港の非正規職労働者の組織化に関する話も聞いた。組織化の結果、現在、組合員は約3500人いるという。“正規職・非正規職労働者の分断をどう乗り越え、労働運動を再建するのか”という、日本にも同様に問われる課題について質疑応答した。 金さんは、民主労総三役選挙に立候補した理由について、「非正規職問題、最低賃金の引き上げの問題、個人事業主とされている非正規職労働者の問題がある、これら問題の解決を通して、現在、民主労総組合員を現在の80万人から200万人くらいまで増やそうと思う。社会を変えようとするには200万人くらい必要だからだ。民主労総は、これまで政治勢力化を進めてきたが、進歩政党は四分五裂の状態だ。そこで、組合員を増やして教育し、政治的に変えていく。現在、民主労総は非正規職が約25%であり、これを50%くらいに高めていきたい」と語っていた。短い時間であったが充実した討論ができた。
その後、徴用労働者像がある公園に移動した。その公園は、日帝時代には三菱の軍需工場があったところだという。その向かいには現在、米軍基地が広大な土地を占めているが、日帝時代には陸軍の兵器廠があったとの説明。仁川からは多くの労働者が日本に強制連行されたが、その一方で、多くの仁川の労働者が現地の軍需工場に徴用されたという。徴用労働者像を立てるのに相応しい場所だと思った。 徴用労働者像には「解放の予感」という名前がつけられている。大きなハンマーを持った、未来をしっかり見つめるような痩せた父親と、不安そうな顔で後ろを振り返り、父親の腕を握る娘の姿を組み合わせた構図の像である。この像にはモデルがいて、2人は親子ではないが、それぞれ徴用され、兵器廠で働いていたことがあるという。後ろの壁には、2人が経験してきたことを物語としてまとめたレリーフが張り付けられている。父親のモデルは、植民地時代、独立運動に取り組んだために獄苦を経験したという方で、少女のモデルは、まだご存命だという。 徴用労働者像の隣には、日本軍「慰安婦」問題の正しい解決を求めて、仁川の市民運動が中心になって作った平和の少女像が建てられている。 ここを訪れる仁川市民は、徴用労働者の問題を思い出し、記憶するだろうが、やはりその原因を作った日本人こそ、この像を見て考えなければならないと思った。
<全国労働者大会−熱気のある集会、解放感溢れるデモ>
その後、仁川を出発して全泰壱精神継承全国労働者大会の“本大会”が開かれるソウル市庁広場に到着したのは、本大会が始まる直前であった。会場はほぼ満員だ。参加者数は5万人と発表していた。大会は、様々な色の組合旗が翻る入場式から始まった。上空には、先月結成された民衆党の巨大なアドバルーンが浮かんでいた。
主催者のチェ・ジョンジン民主労総委員長職務代行は、「キャンドル革命から誕生した文在寅大統領だが、6か月経つのに何も変わっていない。労働問題では『非正規を無くす』という公約がまだ掛け声に留まっている。平和問題ではTHAADミサイルの追加配備を許した。そして朴槿恵時代に投獄されたハン・サンギュン民主労総委員長が今なお解放されていない」など文在寅政権を厳しく批判していた。集会後、デモに出た。道路の両側全8車線を使った、警察も一切規制しない、とても解放感のあるデモだった。 夕食後、民主労総本部の会議室で、アジア共同行動(AWC)韓国委員会と懇談会。許ヨング代表の講演があり、文政権下の韓国労働運動の課題など意見交換した。
<ソウル市内見学−韓国の過去と今を見る>
最終日の11月13日はフリータイムであるが、初めて訪韓した人も多いので、2手に分かれてソウル市内の歴史的な場所や闘いの現場を見学した。 セウォル号の遺族たちが座り込むテントでは、特別法制定を求める署名にサインして話を聞く。昨日、行方不明だった遺体の一部が発見されたとも。来週にも特別法が制定される模様。 厳戒体制の米大使館前を通り、日本大使館へ。平和の少女像が大使館を見つめている。監視テントの学生に話を聞いた。学生100人ほどがローテーションを組み24時間像を守っている。「昨日もハルモニが1人亡くなった。ハルモニの要求実現を願っている」と語る。 次に、タプコル公園へ。紅葉の中に3・1独立闘争の記念レリーフ。日帝の過酷な植民地支配に対する憤怒溢れる空間。続いて平和市場まで歩いて全泰壱労働烈士像へ。今日は全泰壱さんの命日。全泰壱さんは軍事独裁政権下に「労働者は機械ではない!」と叫んで身を焼いた。なんと像の前に全泰壱さんの弟さんがいた。兄・全泰壱さんへの思いや焼身行為の現在的意義を語ってくださった。 もう1つのチームは、アルバイト労組が作成した映画の鑑賞と交流を行った。アルバイト労組は、マックなどでアルバイトする学生を含む青年たちで組織されていて、非正規職労働者の新しい労働組合の形として注目されている。日本で非正規職の労働運動に取り組んでいる方も参加したので、話が大いに盛り上がったという。この映画は日本語の字幕が入っているので、いずれ日本でも上映運動が行われるそうだ。
忙しい日程であったが、学ぶことの多い4日間だった。(元・韓国サンケン労組を支援する会事務局次長・尾沢孝司)
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