「次の国会では必ず」と誓い合ってきた外国籍元BC級戦犯問題解決のための「特定連合国裁判被拘禁者特別給付金支給法案」ですが、結局昨年(2016年)から進捗のないまま、1年間が過ぎてしまいました。 立法実現を待ち望んできた来春93歳になる当事者団体「同進会」会長の李鶴来さんにはつらい1年でした。9月末に転倒して救急車で運ばれ入院、10月30日の写真パネル展のオープニングには出席されたものの3日後に再び入院し、9月から11月にかけて毎月入退院を繰り返すという厳しい秋でした。 その間に解散・総選挙があり、特別国会も議席指定や質問時間をめぐる対立、トランフ大統領の訪日をはさんで、加計・森友問題などに終始して、外国籍BC級戦犯問題は議論もできませんでした。
11月15日は「外国籍元BC級戦犯者問題・年内に立法解決を求める緊急集会」を衆議院議員会館で開催しましたが、李鶴来さんは参加できず、初めてビデオメッセージでの挨拶となり、参加者の間でも不安と緊張が広がりました。以前、車椅子で議員会館に来られたことはありましたが、体験者欠席で行われた集会は初めてで、代わって発言した朴来洪さん(同進会理事・二世会会長)からは、時間がないことが強調されました。 出席された藤田幸久参院議員(民進)、泉健太衆院議員(希望)、近藤昭一衆院議員(立憲)、笠井亮衆院 議員(共産)、大河原まさこ衆院議員(立憲)からは、国会の動きが停滞していることへのもどかしさとともに与党側の努力を期待する声が続きました。
12月11日には1年ぶりに第40回日韓・韓日議員連盟合同総会が開催され、発表された共同声明にはBC級戦犯者問題についての言及が昨年についで盛り込まれました。 11日夜に民団主催で行われた韓日議連との会合に李鶴来さんも招かれて出席し、謝意を表明し、韓日議連の姜昌一会長らとも親しく会話しました。李鶴来さんが公の場に姿を現したのは40日ぶりのことでした。李鶴来さんの体調は、やや持ち直しつつありますが、なお安定しない日もあるそうで、油断できません。
2018年通常国会は1月22日頃の招集と報じられています。2018年度予算の審議が優先されますので、法案が具体的に動き出すのは、3月以降とみられます。法案も基本的に政府提出の閣法が優先され、議員立法の法案はやや遅れての処理になります。 自民党内の合意取り付け、政府側との最終調整が待たれます。来春の日韓関係がある程度落ち着いていることも必要です。2月には平昌冬季オリンピックがありますが、朝鮮半島危機も噂されています。今春就任した文在寅大統領と安倍首相との日韓首脳会談もまだ実現していません。不確定・不安定条件の多い日韓関係ですので、私たちの期待どおりに環境が整備されて、法案提出にこぎつけられるか、なお予断は許されません。
韓国でも、李鶴来さんの自伝が翻訳出版され、来日した韓日議連のメンバーに事前に配布されたそうです。時間の経過とともに、BC級戦犯問題への理解が韓国側でも広がってきていることは事実です。合同総会前にもいくつかの韓国メディアが李鶴来さんのことを報じる記事を掲載しました。 問題は日本です。外国籍BC級戦犯者を正確に伝え、理解を広げながら、なお不賛同の方々をどう説得、クリアしていくか・・・難しい課題ですが、全力を挙げて取り組む所存です。来年も応援をよろしくお願いいたします。保革を越えた、人道問題・人権問題の解決のために。(有光健)
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【李鶴来さんビデオメッセージ】 みなさん、こんにちは。今日はお忙しいところ集会に来ていただき、またご出席をしていただき、心から感謝します。 いつものことながら、国会で何とか問題の解決をしたいということで、関係議員の方たちが努力してくださって大変ありがたいと思っているんですけど、今度の場合も「もうあと一歩だ」と言っていなから、結局解決を見ないで「この次の国会で問題の解決をするようにしましょう」というようなことが関係国会議員のみなさんのご意向であります。 私たちはそのご意向を大事にして、そうして「この次の国会でぜひ問題の解決をしたい」と、こういう具合にお願いしています。まあ、私たちはまだこういう具合にまだ生きているんですけれども、亡くなった友人たちや、特に刑死になった友人たちの無念な思いを考えると、どんなに厳しい状況であろうがこのまま問題をすますわけにはいきません。どんなに厳しい状況であっても、どんなに厳しくあっても、ぜひ問題の解決をして、亡くなった友人たち、ことに刑死された友人たちの無念な思いを多少なりとも癒し、そして名誉回復をしたいというのが私の切なる気持ちであります。 私ももう92歳になって、いつ終末期が来てあの世にいくかもしれませんけど、このままでは死に切れません。ぜひ一つみなさんのお力を借りて、問題の解決をしていただきたいと、心からお願いしたいと思います。
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【第40回日韓・韓日議員連盟合同総会共同声明】 3.両国議員連盟は、両国国民の友好親善強化に向けて、文化、観光、スポーツ、メディア交流や朝鮮 通信使などの人的交流を一層活性化するため、両国の国会において立法及び予算の確保に積極的に努力していくこととした。 また、両国議員連盟は、これからも過去の歴史問題の解決に向けて、相互互恵の精神で共に努力していくこととした。慰安婦問題に関し、被害当事者たちの名誉と尊厳が回復され、心の傷が癒されるようにという両国の歴代政権の合意の趣旨に沿って、両国政府は共に努力することを確認した。 これに加えて韓国側は、日本側で検討中の韓国人BC級戦犯の名誉回復及び補償問題の早期解決を要請し、日本側も前向きに推進することとした。 そして、日韓両国議員連盟の支援の下で推進してきた朝鮮通信使のユネスコ世界遺産登録決定を歓迎し、今後も日韓両国で毎年開催されている朝鮮通信使事業を引き続き協力・支援していくこととした。
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【写真パネル&資料展】
<「外国籍元BC級戦犯・不条理の記憶」展に約350名もの方々が来場!>
10月30日(月)〜11月5日(日)、九段生涯学習館にて、朝鮮人および台湾人元BC級戦犯者問題に関する写真パネルおよび資料展示を行いました。会期1週間の間350名を超える方々が来場。熱心に資料に見入り、いまだに続く条理を感じ取ってくださいました。 オープニングでは、李鶴来同進会会長が挨拶。9月末にケガをされ回復が心配されましたが、「自分たちのことで、みなさんが来てくださるのだから」と会場に姿を見せ、「多くの方に展示を見ていただき、問題の早期解決に力を貸してほしい」と訴えました。1991年にこの問題の解決を気にかけつつ亡くなった朴昌浩(パクチャン ホ)さんのご子息・朴来洪(パクネホン)さん、さらに孫の朴承夏(パクスンハ)さんも、それぞれ思いを述べられました。 写真パネル自体は2014年、東京中野で展示を行った折のものをべースにしていますが、今回の展示では新たな要素が加わりました。 まず一つは、チャンギー刑務所で教誨師をしておられた関口亮共師の資料が発見され、所蔵する明長寺・伊藤京子さんのご厚意で、朝鮮人BC級戦犯者にかかわる資料の現物をお借りできたこと、もう一つは内海愛子さん(同進会を応援する会代表)が関係者から寄託された手 紙・冊子・壁新聞などを展示できたことです。これらにより、戦犯者の置かれた生々しい状況のほか、先の関口亮共師や、今井知文さん(江戸川区の耳鼻咽喉科医)、阿部宏さん(元鉄道隊で戦犯者でもある)など、外国籍の元戦犯者らを支えた日本人の姿も明らかになってきました。 会期中は4名の方にギャラリートークをいただきました。11月2・5日には内海愛子さん(朝鮮人BC級戦犯者問題とは何か)、11月3・4日には伊藤京子さん・布川玲子さん(関口亮共師と明長寺資料について)、11月1日には木村宏一郎さん(台湾人戦犯について)です。 伊藤京子さんと木村宏一郎さんには、今号に原稿を寄せていただきました。 また、今回の展示は、法政大学国際文化学部 鈴木靖ゼミの8名の学生さんの力をお借りしました。ゼミでは日本とアジアとの関係をテーマ にしており、李鶴来さんにインタビューをしたいと応援する会に連絡があったのが、ちょうどこの展示の準備にとりかかった頃。 今回の展示でも会場設営や受付、資料入力など、大いに活躍くださいました。ゼミ生のお一人、皆川達也さんにもお原稿を寄せていただきました。 李鶴来さんは会期途中で心臓の不調で入院を余儀なくされましたが、大勢の方が会場を訪れ、中には一度に見切れなかったのでもう一度来たという方もおられ、日本が置き去りにした歴史の一端を広く伝える機会となりました。(大山美佐子)
<祖父 関口亮共(1913−1982)の資料を発見して> 伊藤京子
2015年春、チャンギー刑務所で処刑された戦犯の遺族の方々からの手紙の束や、元死刑囚の獄中手記や手紙等々を、長年手付かずの本堂収納庫に納められた祖父亮共の戦争関連資料の中から見つけ出した。 変色した紙を開き、読みにくい直筆を追っていくうちに、封印されていた当事者達の存在や苦しみが眼前に蘇るように感じ、慄然とした。祖父が教誨師をしていたと亡き母から聞いていた「チャンギー」が、現実のものとして立ち現れた。 それらの資料を亮共の教え子である布川玲子氏に見せたところ「日本中の人に見てもらいたい、公表しましょう」と即断、その強い意思に奮い起こされ、資料の解読と読み込み、編集そして背景を調べる作業に二人で格闘した。そうして今夏、布川・伊藤編著『教誨師 関口亮共とBC級戦犯』(日本評論社、2017年)という本で、資料を公開することができた。 この流れで、11月開催された「同進会」のパネル展で、資料の中から朝鮮出身戦犯者に関わるもの、つまり文泰福(ムンテボク)、洪起聖(ホンボソン)両氏の書簡、阿部宏氏の獄中手記、趙文相(チョウムンサン)氏の遺書のガリ版刷りの表紙の現物を、初めて展示公開した。戦犯当事者による当時の言葉や筆跡が持つ重みを、来場した方々に感じて頂ける良い機会を頂き、感謝している。 祖父の「資料」の背景を調べる過程で、捕虜や現地人の使役虐待、華僑粛清、アンダマン・ニコバル諸島での諸事件など、戦争の酷い実態をどんどん知ることになり、不勉強だった私にとって驚きの連続だった。とりわけ朝鮮・台湾出身戦犯者やその家族が被った悲劇を知り、日本がしたことの残酷さを痛感した。さらに現在に至っても日本政府が彼らの訴えを無視しているという状況を知り、大変ショックを受けた。またこの問題を知らなかったことを反省した。 朝鮮出身受刑者趙文相(日本名平原守矩氏)氏については、以前その生々しい遺書を読んで衝撃を受け、心に残っていたが、資料編集のため文献や映像にあたり、彼についてさらに知ることができた。遺書には、亮共から「平原さんは全く朗らかな顔ですよ」と言われて「もっと安心した心の片隅で快心の笑が起る」とある。 また『嗚呼戦犯泰俘虜収容所』(1977年)の中に収録されている遺書に、「関口教誨師が特に平原氏に頼んで、死刑執行に至るまでの心境を後世のために、書き残してもらったものである。」と編者鈴木得治氏が注記してあり、祖父が宗教も民族も違う趙氏と、極限状態においてとても重要な交流をしたことが分かった。趙氏はエリート、頭脳明晰、冷静、人望が厚くリーダー的、といった言葉で多くの方々に書かれている。亮共も帰国後「あれだけの教養と度胸のある人は歴史上にもそれほどいないんじゃないか」と語っていたということが、亮共没後、弟亮仁への取材によって伝えられている(『BC 級戦犯』読売新聞大阪社会部編、1993年)。 こうしたことから、私はこれまで、趙氏は処刑の2分前に「この世よ幸あれ」と遺書を締めくくり鉛筆を置いたあとは、従容として絞首台に歩いていったのだろうと、勝手に想像していた。しかしその像をくつがえす記録を、先月のパネル展に展示してあった『泰緬鉄道――ある朝鮮人捕虜監視員の手記』(洪鐘黙ぽんそんふぁ編集部、1991年)という本に見つけた。26歳の趙文相氏は、むせび泣きながら、送る者達による「海ゆかば」の合唱よりさらに声高らかに、「アリラン」を歌いながら、絞首台に向かって歩いて行った、というのだ。この無念のアリランを祖父はどんな思いで聴いただろうか。目の前の死にたくない、悔しいという無念の人々をこの世で救うことは出来ず、宗教者として死に向けて「教誨」と「葬送」をしなくてはならなかった亮共の苦悩はいかばかりであっただろうか。帰国後30年ほど経って「どうする事もできなかった自分の非力・不甲斐なさを断腸の思いで過ごして参りました。」と『印度 洋殉難録』(1976年)の編者・城地慈仙(しろち・じせん)氏に宛てた献本礼状の下書きに書いている。 むせび泣きアリランを歌う趙氏の様子を思い浮かべると、李鶴来氏の「無念の怨恨(おもい)で死んでいった友人たちのために訴えを続けている」という言葉が、自分の中でさらに重みを増した。
<台湾人BC級戦犯についてひと言――もう一つの残された植民地支配の歴史的責任>木村宏一郎(台湾人戦犯問題研究会)
● 林水木さんのたたかいの人生 この度は写真パネル展および11月15日の議員会館内集会において、台湾人戦犯・林水木(はやし・みずき)さんの恩給不支給をめぐる闘い(裁判)を報道するかつての宮崎放送(「陽炎」1998年)を公開紹介して下さりありがとうございます。彼もさぞ喜んでいることと思います(2012年2月死去)。 北ボルネオのクチン捕虜監視員として「ビンタした」ということで15年という日本上官に比べても重い刑に服したのに、12年の恩給資格が無いと日本政府から拒否されました。敗戦時は現地召集でそのまま二等兵になり、日本国籍もとっての仕打ちです。これは植民地出身者への「差別」であり、戦後未補償の問題、さらに人権、人道上も許されないと訴え続けました。日弁連と人権擁護委員会も救済の勧告を総理に出しています。2004年最高裁は訴えを棄却します。その青春のすべてを捧げた「国」の責任を果たしてという願いはかないませんでした。 しかし、彼の思いを受け止める人もいて、晩年交流した中に若いオーストラリアの女性もいたのです。ジョウン・クエックさんで父がクチン捕虜収容所にいたので調べるうちに林さんを知り、文通による交流が生まれたのです。林さん自身もオーストラリアを訪れて「植民地兵」の問題について理解を深めてもらえたように思います。
● 日本軍とどこまでも 戦犯総数173名内死刑21名(他5名事故死など)が大戦中の台湾人戦犯として犠牲者数ですが、林さんはじめそこには多くの報われない人生があるかと。 捕虜監視員以外に通訳など軍の中での役割の内訳をいま明らかにできないのですが、朝鮮出身者より多様ではないかと思います。はるかインド洋のアンダマン・ニコバル諸島を占領した際、台湾拓殖会社社員としてインド人殴打の罪に問われたり、戦争末期英軍との通敵予防のためと島民を拷問・虐殺した事件で通訳頼恩勤が死刑になっています。あの「わだつみのこえ」の遺書でしられる木村久夫と共に(拙著『忘れられた戦争責任』青木書店、2001年)。スマトラのパレムバン憲兵隊の犯罪にもなぜか通訳林石蔵が死刑に。まだまだ「加害」の真実さえ明らかとはいえません。
● 残された課題 戦後せめて関係者や遺族を含めてきちんと日本が補償しているなら救われるのですが。台湾では戦犯のみならず、旧日本軍兵士たちは国民党政権の敵対者ゆえに冷遇されました。恩給の日本人との差は違憲ではと日本で裁判に訴えたのですが退けられます。判決を受け、戦没者を対象に「弔意金」(200万円)が支払われただけです。また自分たちの軍事貯金返還も1995年要求の5分1以下で決着させられました。 いま私どもの研究会では、無罪も含め台湾出身の全ての名前と台湾・中国含め各地の裁判の特徴などを調べて公けにしたいと取り組んでいます。日本人が決して忘れてはいけない近現代の歴史ですので。
<映像作品「戦後補償に潜む不条理」を制作して> ● 法政大学「鈴木靖ゼミ」のみなさんが、李鶴来さんのインタビューを中心に、映像作品「戦後補償に潜む不条理――韓国人元BC級戦犯の闘い」(約30分)を制作しました。 李鶴来さん体調不良のためインタビュー予定が何回か延期となり、11月19日にようやく実現。それから8名のゼミ生で連日編集作業をし、1週間ほど後に発表したそうです。多くの学生に見てもらうことができ 、「この問題を若者に広める」という制作当初の目標の手ごたえを感じたとのことでした。 今後、応援する会でもこの作品の上映機会を持てればと思います。
● 法政大学国際文化学部国際文化学科「鈴木靖ゼミ」皆川達也 今回の制作が決まった段階で、李鶴来さんが書かれた伝記をゼミ生各々が拝見しました。その時は正直、李さんは歴史上の人物の一人という印象がありました。しかし、実際に取材をするため李さんにお会いすると、我々の訪問を大変歓迎していただき、まるで祖父母の自宅を訪れたような感覚になり、印象はガラリと変わりました。また、取材していくにつれて李さんの優しい人柄や本には書かれていない内容まで伺うことができ、実際にお会いしなければ理解しきれない部分が多々あることに気が付きました。 今回の取材を通して、李さんの強い精神力を実感しました。日本人として戦争に参加しながら、戦後は外国人として扱われたために補償を得られなかったというこの問題に対して六十年以上もの間向き合い、闘い続けることはどんなに大変だったかと思います。 私は取材時に李さんが述べられた「仲間たちのことを思うと、このままでは死ぬに死にきれない」という言葉にこの強い精神力の原点を見つけることができた気がします。つらい刑務所生活を共に支えながら耐え抜いた仲間は、おそらく「仲間」という一言では言い表すことのできないほどの強い絆で結ばれていたと思います。そんな「仲間」が死刑判決を受け、ひとり、またひとりと亡くなっていくときの思いは胸が張り裂けるほどの悲しみだったことでしょう。李さんは志半ばで亡くなっていった仲間たちの想いを身をもって感じてきたからこそ、この活動を「仲間」たちのことを常に考えながら行っているのではないかと感じました。 また取材時に、李さんが釈放後の活動を支えた今井知文医師について話されるときに、表情や声の明るさが変わったことが非常に印象に残っています。当時李さんたちを支える人がほとんどいなかった中、生活再建のための費用を自らの私財を投げうってまで捻出し、李さんたちを支えたという事実は今でも李さんの心の支えとなっているのではないかと思います。 今回の映像制作を通して、李さんの経験されてきたことの「不条理さ」を身近に実感しました。一方でそんな「不条理」に負けることもなく六十年以上もの間活動を続け、今でも戦うことができているのは、先にも述べたように「仲間」の存在だったと感じました。また、周りの意見や考えに左右されることなく、相手の立場に立って考えた上で李さんたちに資金の提供を行った今井さんの行動からも様々ことを考えました。 李さんの人生を通して、私たちがこれからの社会を生き抜いていく上での「仲間」の存在、また、相手の立場に立って物事を考え、周りの意見に左右されることなく自分の意志に従った行動をすることの大切さを学びました。
<会場のアンケートより> (寄せていただいた多くの声から、一部ご紹介させていただきます) ▼初めて知った事実でした。今までの無知さに自 分ながら悲しくなりました。少しずつ勉強して、裁判の中身も知りたいと思います。今日は大変有益、有意義でした。
▼都合よく、日本人と韓国人に使い分けられた、多くの人たちの無念さがはれるように祈ります。
▼壁新聞やハガキなど見ることが出来、当時の戦犯の人びとの心情やとりまく状況、時代状況など少し理解できたように思いました。もう5年代は遠い過去なので、理解する手がかりはたくさんあればあるほど良いです。
▼このような人々がいた事を初めて知り驚くと共に、改めて戦争というものは絶対行ってはいけないことと強く認識した。
▼戦争をいつもと違う視点でみられました。お骨は返却してあげてほしいです。戦争にまきこまれた人々のその後はとても悲惨だと思いました。
▼理不尽な処遇のままに人生を終えられた方々の苦悩を偲ぶとともに、支援につとめた日本人の姿勢に学びたいと思いました。
▼実際に資料を目にすると、本とはまた違った印 象で戦犯にさせられた人たちの無念さが迫りました。息づかい、生活が感じられました。一刻も早い法的措置がとられるといいですが、でもそれでも失われたものの大きさに呆然としてしまいます。
▼初めて見る資料が多く参考になりました。台湾のBC級戦犯についてももっと取り上げてほしいです。
▼「過去を忘れる者は....」という今井氏の色紙がヴァイツゼッカー大統領の戦後40年の講演よりも6年も前であることが印象的でした。
▼即刻解決しなければならない問題を放置してきた政府に腹立たしい気持ちになった。ご存命の方々の想いを早く汲み上げてほしいと思う。
▼関口亮共さんのことは今回初めて知りました。伊藤京子さんのお話が大変心に残りました。
▼資料(現物)がたくさん展示されており、歴史の重みを伺い知ることができました。
▼映画「戦場のメリークリスマス」などで朝鮮人戦犯(捕虜監視員)の存在は知っていたが、補償を求める動き、立法化への動きがあることは今回初めて知った。
▼その後、李鶴来さんの書籍が出たり、遺書の返還があったり、その度に思い出してきた。今回は、現物展示がいろいろあってより立体的に理解しやすい工夫がしてあって良かった。李鶴来さんはじめ皆さんのご活躍をお祈りするとともに、願いが叶うことを祈念いたします。
<こぼれ話> ▼写真パネル&資料展には、BC級戦犯者問題にかかわる多くの縁者が訪れてくださいました。今井知文氏のお子さん方(久仁子さん、真三さん、百合子さん)やお孫さんたち、魚雷攻撃を生き延びた元兵士で、シンガポール時代から関口亮共師にさまざま助けられたという故・高橋秀夫さん(のち関口姓)の息子さん、元戦犯者で『絞首台のひびき』などを著した故・若松斉(ひとし)医師の息子さんなど。会場で一言思い出を語っていただく場面もありました。
▼李鶴来さんのその後のご様子ですが、自伝の韓国語版(次頁で紹介)が出来たことを喜んでおいででした。「もう読むのは日本語の方が慣れちゃって、韓国語はなかなか読めないなあ」とも。韓日議連の皆さんにもお渡しすることができました。また、お電話では「来年は法案が実現するんじゃないかと期待しておるんですよ」と明るい声。決して諦めない李鶴来さんの姿勢に、気を引き締める年の瀬です。(大山)
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【李鶴来さん自伝の韓国語版が出来上がりました!】 12月1日、民族問題研究所より刊行。定価15000ウォン。訳者は金鐘翊(キムジョンイク)さんです。 昨年1月の『同進会を応援する会通信』No.29で紹介しましたが、内海愛子・村井吉敬著『赤道下の朝鮮人叛乱』の韓国語版(2012年)の訳者です。李明博大統領時代に「民間人査察事件」で逮捕され、その後7年間も命の危険にさらされる経験をしておられます。 金鐘翊さんがなぜ朝鮮人BC級戦犯者問題に関心をもち、今回李鶴来さんの自伝を翻訳されたのかは、また次号でご紹介できればと思います。 李鶴来さんの韓国語版序文、内海愛子さんおよびイサンイ氏(仁川大学教授)の解説、訳者あとがきが付いています。 価格1500円+送料200円で応援する会でも取り扱います。(振込用紙で直接注文も可。入荷までお待ちいただくことがあります)
以下の書籍も取り扱い中!送料一律200円で発送します(振込用紙で直接注文も可)。 ● 李鶴来著『韓国人元BC級戦犯者の訴え』(梨の木舎)特別価格1500円 ● 布川玲子・伊藤京子編著『教誨師関口亮共とBC級戦犯』(日本評論社)特別価格2000円
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〔韓国・朝鮮人元BC級戦犯者「同進会」を応援する会通信 No.35(2017年12月17日発行)転載〕
発行:韓国・朝鮮人元BC級戦犯者「同進会」を応援する会(代表:内海愛子) ◆ツイッター https://twitter.com/bcqnakano ◆ホームページ http://kbcq.web.fc2.com/ ◆ブログ http://bcq.blog49.fc2.com/
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