東京新聞と言えばあの総理官邸の記者会見でしつこく食い下がる望月衣塑子記者で最近、話題になって政府に対して批判的な人々から絶賛されている新聞だ。筆者自身も今年から試しに東京新聞の購読を始めたのだが、全体に情報量が朝日新聞などより少ない気がすることはともかくとして、記事の中身自体のつっこみも紙面すべてが望月記者のような鋭く執拗な食いつきがあるとは言えないのかもしれない。その例として挙げるのが妥当なのかどうかわからないが、1月13日の文化欄の「最後の長編『ギリシア人の物語』完結 塩野七生さん(作家)〜 書ききった2500年の歴史〜」と見出しをつけたインタビュー記事である。
この記事は記者の署名入りなのだが、話題の中心的なテーマとして民主主義の没落、ということが触れられている。塩野氏は日本人の民主政に対する楽観的な期待が昔からずっと理解できなかったと語り、そのことがギリシア民主政の衰退の歴史に筆を振るってきた動機だったことが明かされる。これ自体を批判したいのではない。その後のくだりなのだ。
(塩野)「たしかに民主主義は最良のシステムだろうと思います。それは多くの人が自由に考えられるから。しかし、民主主義は機能しなくなることが欠点なんです」と語り、そのあと記者は次のように書く。
「民主主義が機能するための条件として、塩野さんはアテネの教訓から『リーダーの資質』を挙げる。『政治家には、有権者がなんとなく感じているニーズにはっきりした形を見せて、これをやろうと提唱する能力が求められている。・・・』」
記者はそれ以上に食い下がらない。民主主義が機能するためには「リーダーの資質」が大切だというのは、なぜなのか?わかったようでいて、真意がどこにあるのかよくわからない発言である。民主政が衆愚政治に代わらないために、強いリーダーが強い権限を持って統治することで民主主義の欠陥が補強されるのだ、という意味だったとしたら、今、安倍政権が憲法改正で導入しようとしている緊急事態法案とも響き合うと思われる。今は行政府のリーダーたちが立法府(国会)も憲法も軽視して、立憲主義が脅かされている時である。記者というものは、その真意を掘り起こすことこそ仕事ではないのだろうか。政治面で社会部の望月記者が官邸に食い下がっている反面、文化欄のこの甘さは何なのか。
塩野氏の著作自体を批判したいのではない。ただ、塩野氏は今世紀に入って強いリーダー待望論を述べてきた文化人である。以前はローマの崩壊からその教訓を引き出していて、様々な皇帝をその観点から採点していた本を知っているのだが、それが今回は民主政の本家とも言うべき古代ギリシアに場所と歴史を移して同じことを反復しているように感じられた。その場合に、記者が仮にも文化欄を担当するのであれば古代ギリシアの民主政がそのまま、近代の民主政の問題に教訓として適用できるのかどうか、という観点は不可欠ではないだろうか。テクノロジーやグローバル経済などの変化もある。また古代ギリシアは民主政と言っても女性にも奴隷にも参政権はなかった。そもそも奴隷制度と民主政は両立しうるのか。さらにまた市民革命も経験していない。古代ギリシア史をもって今日の民主政の欠陥の教訓とする、と言う発想がどこまで妥当なのか、少なくともその突込みが必要だし、塩野氏からそれに対する回答の言葉を出させた方が記事としても有意義だったのではないか、と思えるのだ。要するに勝負していない、と感じられた。そういう意味ではこのインタビューは何となく「流れちゃっている」という気がしたのである。
出版不況の中、1万部の売り上げ、いや1千部の売り上げにも苦労している出版社がある中、塩野氏はベストセラー作家であり、ロングセラー作家でもある。つまり、影響力の大きな人物である。だからこそ、彼女へのインタビューは政治家へのインタビューと変わることなく重要なことだと思う。
※塩野氏の著作とは別だが、以下の文章は政治家がいかに歴史の教訓を誤って適用して大失敗を遂げたか、ということをつづったものである。アーネスト・メイの「歴史の教訓」という書はそれを指摘した本だ。政治家は中途半端な歴史の雑学知識で歴史を援用するために、誤るというのである。歴史の分析と言うのは、精緻にやろうとすると実際は非常に難しいものである。
■アーネスト・メイ著「歴史の教訓」 〜外交政策立案者は歴史を誤用する〜 失敗の分析と情報公開の大切さ
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201402091729570
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