今年、戦後73年を迎えます。来年で「平成」が終わり、元号も変わります。「シべリア抑留」(1945〜1956年、正確にはソ連・モンゴル抑留)が終わって、61年が経過しました。
■領土はなくならないが、人の命には限りが シベリア抑留を体験して生還した元抑留者の平均年齢は今年95歳になります。まだ全国に数千人が存命中ですが、直接意見や話を伺える機会が急速に少なくなってきています。 シベリア抑留の実態解明、遺骨収集の呼びかけ、墓参、帰国後の措置を求める戦後の運動は、帰国した元抑留者を中心に進められてきました。その中心的な存在が、残念なことですが、あと数年でほとんど去られることを私たちは覚悟しなければなりません。 昨年末から今年初めにも、いくつもの訃報に接しました。闘病中の方も、徐々に状態が思わしくなくなってきているとのご連絡をご家族から受けます。 「領土は消えてなくならないが、人の命には限りがある」と語ったのは、1956年10月に戦後11年経っても帰国できない在ソ連抑留者をすべて帰還させるために病を押してモスクワに赴いた鳩山一郎首相でした。 その結果、日ソ共同宣言が調印され、同年12月にソ連からの最後の引揚船で、残っていたほぼ全員が帰国できました。日ロに横たわるこの大きな負の歴史の検証、解明、継承は、まさに時間との闘いです。
■抑留実態解明を日ロ交渉の議題に。協力から共同作業に 今年3月のロシア大統領選挙の後に、日ロ平和条約締結に向けた交渉が加速するとみられていますが、日ロの外交交渉の中でシべリア抑留問題を取り上げて、実態解明、遺骨収集、追悼と継承促進のために態勢を強化し、効率を上げる努力が日ロ両政府に必要です。 1991年の「捕虜・収容所協定」からすでに26年が経過していますので、四半世紀を超える事業の評価を行い、至らない点を補強し、協定の改定も行うべきと考えます。 従来、被害国の日本側が資金を出して、ロシア側の経費や作業員の人件費を賄う、地方政府にもお願いして調査や遺骨収集をやらせてもらうという仕組みでしたが、加害国ロシア側が資金も人材も分担して提供すべきではないでしょうか。6万人以上の命を奪った加害国の責務としてロシア側が主体的、積極的に事業に参画し、日本から頼まれて「協力」に応じるのではなく、進んで「共同」で事業を実施するという基本的な姿勢への転換が必要です。 事件はソ連・モンゴルで起き、資料も埋葬地も旧ソ連・ロシアにあるわけですから、ロシア側も本気で取り組んでくれないと仕事ははかどりません。ロシアや関係諸国側でもこの負の歴史を教訓化し、記憶に留める事業を推進していただけるよう強く希望します。憎しみやナショナリズムを煽るためではありません。真摯に過去に向き合い、未来に向けて過ちを繰り返さないように誓い合うためです。平和構築のための戦略的、積極的な事業であり、共同作業です。 戦没者慰霊に熱心な天皇ご夫妻も、ロシア、中国東北部、朝鮮半島には足を運んでおられません。皇居のすぐ目の前にあり、37万近い遺骨の眠る国立千鳥ヶ淵戦没者墓苑も訪ねておられません。いろいろな事情はあるのでしょうが、戦後73年もたつのに、慰霊の旅にも大きな空白を残したまま、「平成」が終わろうとしています。けれども、家族に会うこともかなわず、悔しい思いをして亡くなった人々、その様子も知らされず、遺骨も還ってきていない遺族の方々のことが忘れられたり、歴史の陰に押しやられたりしては決してならないと強く思います。
【新刊図書や関連記事などの紹介】 ●『シベリアに慰霊碑を建てるまで』渡辺祥子、三恵社 (2017年11月/1,200円+税) ●『日本人記者の観た赤いロシア』富田武、岩波全書 (2017年11月/2,200円+税) ●『シベリア抑留最後の帰還者―家族をつないだ52通のハガキ』栗原俊雄、角川新書 (2018年1月/820円+税) 〇「妻たちが語り継ぐシベリア抑留」山崎まゆみ (『新潮 45』12月号) 〇「シベリア抑留の重苦を描いた『幻の画集』をついに発見―画家・四國五郎が遺したもの」栗原俊雄 (『現代ビジネス』2018年1月1日)http://gendai.ismedia.jp/articles/-/53565
【ツアーのご案内】 中央アジア・キルギス抑留者の足跡をたどる〔6/9〜20(12日間)〕 中央アジアにあるキルギス共和国の収容所には元日本兵125名が抑留されていた。幸いにも全員が帰国している。日本人と一緒に働いていたことがあると話すキルギス人にも話しを聞く予定。参加費約30万円。 問合せ:シルクロード雑学大学 ⇒ TEL:080−7940−6040 E-mail:nagasawa_horyu@yahoo.co.jp
【<読む>】 (1) 『シベリア出兵―近代日本の忘れ去られた七年戦争』 麻田雅史著 中公新書、2016年9月刊 280頁、税別860円
■得ることなく戦争を終わらせることの難しさ〜下田貴美子(会員) 「日本ではシべリア出兵より、シべリア抑留の方が知られている」。 しかし「ロシアでは、歴史的な重要性は逆となる。シべリア抑留とは、日本やドイツの『軍国主義』を打ち破った代償に、戦争で荒廃させられた祖国の復興に捕虜たちを活用したのだ、というのが一般論で、研究者以外の関心は低い。一方、日本のシべリア出兵は、祖国を軍靴で踏み荒らされた、忘れがたい屈辱であり続けている」という両国の意識の違い、また、異郷のシべリアで日本兵がなぜ戦わなければならなかったのか、という問題意識の下に本書は書かれている。 最大動員時で約7万2400人の人員と7億410万円の戦費を投じ、うち軍人・軍属だけで3,333人の死者を出した「出兵」の実態は武力干渉戦争である。 一般的には、シべリア出兵の期間は日本軍のウラジオストク上陸・撤兵まで(1918年〜1922年)とされることが多いが、本書は副題に示されるように、日本軍がロシア領有部分であるサハリン島(樺太)北部からの撤兵した1925年を終了時としている。
本書の構成は下記のとおりである。 序 章 ロシア革命勃発の余波―1917〜18 第1章 日米共同出兵へ―1918 第2章 広大なシべリアでの攻防―1919年 第3章 赤軍の攻勢、緩衝国家の樹立―1919〜20年 第4章 北サハリン、間島への新たなる派兵―1920年 第5章 沿海州からの撤兵―1921〜22年 第6章 ソ連との国交樹立へ―1923〜25年 終 章 なぜ出兵は七年も続いたか
英仏による出兵要請に対し、「およそ刀を抜くときには、まずどうして鞘におさめるか、それを考えた後でなければ、決して柄に手をかけるものではない。いまシべリアに出勤するとして、どうして撤兵するのか、その案が立っているか」という山県有朋の当初の反対論はあったものの、出兵し、戦い、混迷を重ねた上、最後は「政府が軍部を従わせて撤兵に成功した」シべリア出兵。 著者はこの混迷と終結を描き、その後に起きた日中戦争を想起している。 「開戦の決断は華やかで勇ましい。その結果が戦勝であればまだしも、得ることもなく戦争を終わらせる責任を負うのは、その何倍も難しいことをシべリア出兵は教えている」。 しかし、日本はそれを学ぶことはなかったということであろうか。
(2) 『ロシアの歌に魅せられた人々―なぜロシアの歌が日本で歌われているのか―』 畠中英輔・蟹池弘美編 ロシア音楽出版会刊、2017年9月刊 B5版・171頁、税別2,300円
■帰還者がロシア歌曲普及に果たした足跡を追う〜古川精一(バリトン歌手) 編者として挙げられた畠中、蟹池両氏は、バラライカの演奏と普及に携わっていると紹介されている。 日本での「ロシア民謡」の普及の歴史を整理し、特に音楽舞踏団「カチューシャ」と、宮長大作(1949年第1回帰還者楽団すなわち音楽舞踏団「カチューシャ」の公演)にスポットを当てている。 元「カチューシャ」団員の海老沼深雪および森文の両氏と編者との鼎談から、「カチューシャ」の歴史について発見した事柄を、宮長宅にて発見した資料、および編者が集めた資料を加えて整理した内容となっている。 あわせて、日本におけるロシアの歌の主要訳詞者および歌い手に関する紹介もあり、それら人物紹介ならびに携わった楽曲の簡単な紹介を、歌詞と譜例を併せて紹介している。 「なぜ、戦後ロシア民謡・ソビエトの歌がたくさん歌われるようになったのか」という問いかけで始まる本論には、タンゴ、ジャズが我が国に受け入れられた歴史、さらに戦中の軍部による音楽統制の枠組みとの比較において、音楽舞 踏団「カチューシャ」がもたらした当時の社会的意義を延べている。 「カチューシャ」の活動記録として、演奏会プログラムをはじめ、機関紙『カチューシャ』に掲載の楽譜が挙 げられているほか、日本帰還者同盟発行『ソヴエット歌曲集』掲載の楽譜がいくつか挙げられている。 『ソヴエート歌曲集・附日本斗争歌集』のことについても触れていて、史実概要の記録となっている。 これら歴史を通じたロシア音楽に自ら携わってきた人々の手記も、それぞれの人生の様々な視点と観点で述べられている。 我が国におけるロシア音楽の位置づけを、時代背景とともに複合的に把握することができる。1950年に行われた日本共産党出版部による雑誌「新しい世界」に掲載された「座談会ハバロフスク楽団」(園部三郎、井上頼豊、川本修、笹谷栄一郎、宮長大作、梅野梅三路、相沢治夫)も転載されている。座談会参加者はそれぞれ抑留者としてハバロフスク楽団(帰還者楽団)に携わり、我が国におけるロシア音楽に名を残した。興味深いのは、この帰還者楽団がいかに当時の日本社会に社会的インパクトを与えたのかが、面々の抑留経験において導き出した面々のロシア音楽の位置づけとともに把握できる。 戦後の我が国におけるロシア音楽の社会浸透の度合いが、編者の視点を通じて概略として把握できる。それを組織的に全国展開してきた帰還者楽団「カチューシャ」の概略を理解する上で、主要メンバーの詳しい紹介もあわせて興味深い。
※申込先: 〒605−0817 京都市東山区弓矢町75−5 TEL・Fax:075−741−6810 Amazonなどでも入手可能
【ご協力のお願いとおことわり】 シベリア抑留関係の記事・情報の収集について シベリア抑留などに関する新聞・雑誌掲載記事や図書を収集しています。 地方版や地方紙に掲載される記事は東京では入手しにくいものがありますので、お送りいただけると幸いです。 紙面の関係で適宜縮小して掲載・紹介しています。 メディア各社のご協力に感謝します。
【ご案内】 厚生労働省は毎月第1金曜日に新たな抑留死亡者情報を発表しています。同省ホームページで確認できるほか、読売・産経新聞は翌日の土曜日朝刊に名簿を掲載しています。 (問合せ先) 厚生労働省社会・援護局援護・業務課調査資料室 調査係 〒100−8916 東京都千代田区霞が関1−2−2 TEL:03−5253−1111 (内線3471,3474) Fax:03−3595−2485 厚生労働省HP:http://www.mhlw.go.jp/topics/bukyoku/syakai/soren/
【追悼の集いのご案内】 第16回「シべリア・モンゴル抑留犠牲者追悼の集い」 ■時間:2018(平成30)年8月23日(木) 13:00〜13:50(受付開始12時) ■会場:国立千鳥ヶ淵戦没者墓苑 ※ 12時と12時30分に、九段下の旧九段会館駐車場前から会場への直行バスが出ますので、ご利用ください。 ■問合せ:シべリア抑留支援・記録センター TEL:03−3237−0217 080−5079−5461 Fax:03−3237−0287 E-mail:cfrtyo@gmail.com
【編集後記】 展覧会は交流の場でもあります。体験者・遺族の皆様からいろいろな貴重なお話と資料もいただきました。今号では来場者の感想・ご意見も多く紹介させていただきました。今年も後半に絵画・スケッチ展を予定しています。厳しい寒さが続きますので、ご自愛ください。<A>
(シべリア抑留者支援・記録センター通信No.19より転載)
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(編集・発行) ソ連による日本人捕虜・抑留被害者支援・記録センター ―捕虜・抑留体験を語り、聞き、書き、描いて、次の世代と世界に伝えよう!― URL: http://sdcpis.webnode.jp/
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