3月25日(日)と26日(月)の2日間に渡って東京の日仏会館で「世界文学から見たフランス語圏カリブ海 〜 ネグリチュードから群島的思考へ 〜」と題するシンポジウムが行われた。ネグリチュードとは厳密に説明しようとすると多分、難しいのだろうが、カリブ海のマルチニック島などに住む黒人の血を持った人々が、かつて宗主国であったフランスなどの西欧近代社会に対するコンプレックスを克服するべく、黒人であることにむしろ誇りと尊厳を見いだす考え方だった。今回のシンポジウムは副題に「ネグリチュードから群島的思考へ」とあるように、もしかしたらネグリチュードをさらに乗り越えて「群島的思考」なるものを目指したシンポジウムだったのかもしれない。
実を言えば仕事が多忙を極めて2日目の最後の1時間ほどしか聴講できなかったのがつくづく残念だ。「群島的思考」とは何だろうか。また、なぜネグリチュード(黒人の覚醒、黒人性)はさらに乗り越えられる必要があったのだろうか。西欧VS非西欧あるいは白人VS黒人という対立の図式が古くなってしまったのかもしれない。
この2日間のシンポジウムのために日本のフランス文学者はもちろんのこと、パリやカリブ海周辺地域、あるいはフランス海外県のマヨット島などから文学者が多数参加して贅沢な陣容のようだ。たまたま会場に足を運んだ時に前で話していた人が立花英裕教授(早稲田大学)と澤田直教授(立教大学)である。二人はNHKのフランス語講座で何年も前にお世話になった先生方だ。だが、実物を拝見するのは初めて。立花教授はラジオ講座でもカリブ海の文学を担当されていたような気がする。さらにもう一人壇上にいた西谷修教授(立教大学)が丁度その時、話をしていたのだが、ちょっと面白かったので少し紹介したい。
西谷氏はマルチニック島出身の著名な作家で文芸評論家のエドゥアール・グリッサンが以前来日した時、夜にレストランでもてなすことになった。西谷氏はグリッサンとは初対面だったが、共通の知人に北アフリカのマグレブ地方出身の文学者がいた。3人で中華料理店に入ったのだが、西谷氏はいったい何を共通の話題にすれば話に花が咲くのだろうと思ったのだった。そこで西谷氏が話したのはラフカディオ・ハーン(小泉八雲)が日本に来たのは亡くなった恋しい母親の幽霊に会うためだったのではないか、という話をした。(ちなみにハーンはマルチニック島への渡航歴もあった)。そしてアラブにも幽霊はいるのか、とマグレブ地方の知人に尋ねて幽霊譚が盛り上がってきた。マルチニック島出身のグリッサンも幽霊話に身を乗り出し、実は・・・と少年時代の体験を話してくれた。
グリッサンは少年時代、極めて成績優秀でもちろんフランス語の成績は抜群だったし、マラルメやランボーなどを読むような学生だった。ところがある日、家族の赤ちゃんが高熱を出したために親から呪術師のところに行って連れてきて欲しい、と頼まれた。呪術師なんて冗談じゃねーよ、とグリッサン少年は思ったのだが、呪術師に会いに行けるのは男しか無理だったし、大人の男たちは兵役に取られて出払っていた。そこでやむなく、グリッサン少年は山を登って呪術師がいるという山小屋にたどり着いた。すると、なんと呪術師はすでに小屋の前に立って少年が来るのを待ち受けていた。「お前が来るのをワシは待っておったんや」と呪術師は言ったそうだ。グリッサン少年は大いに驚いたのだったが、さらに驚いたのは呪術師を麓まで案内しているとしばしば呪術師が少年より先を歩いていくではないか。どうして場所を知っているんだろう・・・・と思っていると、ふと昔の記憶が蘇ってきた。小さな子供時代に確かにこの呪術師に会っていたことだ。その頃、呪術師は未だ町に住んでいて床屋をしていた。その時、散髪に来たグリッサン少年を見て、この呪術師は「君は遠くを見通す目を持っているな」と語ったのだそうだ。
この呪術師に出会ったことでグリッサンはフランスの近代文明だけでは説明がつかない何か、それも土着的な何かの存在を感じることになったらしい。西谷教授はこの挿話を通して何を伝えたかったのか。つまりはアラブ世界にも日本にもカリブ地域にもそれぞれ異なる幽霊譚みたいなものがあり、自分の片足が少なくともそこに入っている、ということである。そして、恐らくはその片足を自覚することが、群島的思考(なるもの)の可能性につながるのではないだろうか。たった1時間弱しか聞くことはできなかったのだが、実に惜しいことをしたと思えてきた。会場でビデオ撮影していた人がいたから、もしそうであるなら是非Youtubeに放流して多くの人にシェアしていただきたいと思う。
村上良太
■シンポジウム 「世界文学から見たフランス語圏カリブ海 〜 ネグリチュードから群島的思考へ 〜」
https://www.mfjtokyo.or.jp/events/collab/20180325.html ●講師 ロミュアル・フォンクア (パリ第4大学)、フランソワ・ヌーデルマン(パリ第8大学) 、西 成彦(立命館大学)、中島淑恵(富山大学)、廣松 勲(法政大学)、工藤 晋(国分寺高校)、尾崎文太(武蔵大学)、立花英裕(早稲田大学)、 福島 亮(東京大学)、中村隆之(大東文化大学)、今福龍太(東京外国語大学)、塚本昌則(東京大学)、大辻 都(京都造形芸術大学)、元木淳子(法政大学)、星埜守之(東京大学)、マニュエル・ノルヴァ (アンティユ大学)、クロード・カヴァレーロ (サヴォア・モンブラン大学)、渡邊未帆(早稲田大学)、ビュアタ・マレラ (マヨット大学)、ジョジアス・セミュジャンガ (モントリオール大学) 、西谷 修(立教大学)、澤田 直(立教大学)
●司会 レナ・ジュンタ(早稲田大学)、西川葉澄(慶応義塾大学)、坂井セシル(日仏会館・フランス国立日本研究所所長)
●挨拶 ジャン=フランソワ・パロ(スイス大使・フランコフォニー推進会議議長)、サラ・ヴァンディ (フランス大使館 書籍・グローバル討論会担当官)
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