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橋本勝21世紀風刺絵日記
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2018年04月02日10時39分掲載
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東京演劇アンサンブル 3月公演「ビーダーマンと放火犯たち」(マックス・フリッシュ作)
3月の東京演劇アンサンブルの公演はスイスの劇作家、マックス・フリッシュ作「ビーダーマンと放火犯たち」だった。マックス・フリッシュと言うと随分懐かしい響きがある。世界の現代演劇全集などにはブレヒトと並んで掲載されるような劇作家だったからだ。今回、小森明子演出で再登場させた理由はどこにあったのだろうか。そう思いながら劇場に足を運んだ。
物語はこうだ。小金を持っている中小企業の会社社長の家へ、浮浪者がある晩現れる。一晩泊めて欲しい、と言って。その頃、その街の周辺では放火犯が同じように家の二階に泊めてもらって放火する連続事件が起きていたため、会社社長もなんとか断りたい。だが、レスラーだったと言う屈強の男は許可もなく、ずかずか上がり込んでしまい、肉体で威圧する半面、言葉では社長は人間性の高貴な人で浮浪者を追い出すような人ではない、などと語り、社長は次第に断れなくなっていよいよ1晩に限り、家に泊めてやることになる。「まさか、放火犯のわけはなかろう・・・」と自分自身を納得させて。そこから、次々と事態は悪い方向に進行していくのだが、社長夫妻はその状況にストップをかけることができず、ついに自宅が大火に包まれてしまう。
一種の寓話だが、ここに書いたように、肉体の屈強さの誇示とか放火といった暴力性と同情を求める繊細な言葉とのギャップがドラマを進行させるミソになっており、言わば日常と非日常が混じり合っている。つまり、日常の言語世界に非日常の暴力性が紛れ込んでくるのだが、日常言語のオブラートに包まれてしまうと非日常の暴力性を排除できなくなってしまう。今、日本の国会でもとんでもない欺瞞の日常言語を越えた事態が起きているのだが、それがいかに内容空疎な言葉であったとしても日常言語として表現されていることによって、事態の暴力性を看過してしまうことになっている。言葉とは一種の精神安定剤でもあるのだろう。どんな野蛮な事態でも最後の最後の日(カタストロフ)が来るまで、国民は言葉によって安心させられ続けるのかもしれない。そういう意味では今日の事態と通底するものをこの劇は持っていて極めてアクチュアルな劇と言えるだろう。
ドイツ語版のウィキペディアを参照すると、マックス・フリッシュがこの劇を世に出した1958年当時、当初は放火犯=共産主義者であるという解釈が行われたことがあったそうだ。ところが、マックス・フリッシュはそれを否定するために、あえてシーンを足して、放火犯=国家社会主義者(ナチズム)であるという風に誤解のないバージョンを作ったことがあったという。その後、この付け足しは結局、再び削られたそうだが、ここで出てくる放火犯に象徴されるものが、現代史の中でどの勢力を代表しているのか、という点に関しては多様な解釈が可能になっている。ちなみにフランスの演劇人にこの劇のことを尋ねてみると、放火犯はナチズムをシンボライズしていると見ている、と答えてくれた。
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