以下、3回に分けて3つの依存症(安倍依存症・憲法依存症・知名度依存症)を順次、議論したい。最初のこの稿では「安倍依存症」を考える。
● 浅羽通明さんの問題提起
2016年7月16日の『朝日新聞』朝刊の<耕論>欄で「瀬戸際のリベラル」という大きな記事が掲載された。その年の参議院選で自民・公明両党が大勝した結果、衆参両院で改憲勢力が3分の2を占める結果になったのを受けたタイトルである。 紙面に掲載されたインタビューの中で浅羽通明氏がリベラル野党を叱責して次のように語っているのを興味深く思い、記事を保存している。
「すべて『安倍』を前提にしないと何も打ち出せない『アベ依存症』です。ライバルだけ見ているから、国民=顧客が何を望んでいるのかがさらに見えなくなってゆく。」
私も、このブログで何度か、「アベ政治を許すな」と声を掛け合い、限られた同心円の中で仲間内だけで意気投合する今の市民運動の「内弁慶」ぶりに疑問を呈してきた。こうした内弁慶症候群の根底にあるのは、無意識のうちに、安倍政治の余りの俗悪さに引きずられて自らの運動の質を劣化させている実態である。そして、そうした運動の質の劣化、稚拙さが安倍政権の消極的支持層を温存させる遠因になっているという逆説的因果関係を、熱心な安倍政治批判者は気づいていない。
● 一例としての浜矩子さんの「アホノミックス」論
ここではその典型例として、多少とも私の専攻に関わりがある浜矩子さんのアベノミックス批判を取り上げたい。 浜矩子さんと言えば、「アホノミックス」と題した書物を相次いで出版したが、さらに舌鋒をエスカレートさせて「ドアホノミックス」と題した書物を公刊した。全国各地の市民団体や出版界からは講演・執筆依頼がひっきりなしで、「経済学的視点」からの安倍政治批判の毒舌に喝采が広がっている。 その浜さんの講演を聞いたある方の感想が掲載されたある地域団体の会報が2週間ほど前、拙宅にも届いた。今年の2月17日に地元で開かれた母親大会に参加して浜さんの講演を聞いた人の感想記であるが、私が目を止めたのは以下のくだりである。
「『今、皆さんが持っている又は預金しているお金が、安倍政権の中ですぐにでも紙切れになるかもしれないんですよ!』に、みんな、ぎょ!。安倍さんをこのままにしておいてはいけないと参加者一同の思い。」
この短い文章から、講演会に参加した多くの人が、自分が持っている預金が安倍政権の下ですぐにも紙切れになるかもしれないという浜さんの話に大いにうなずき、安倍政権を早く終わらせねば、という決意を新たにした様子が読み取れる。しかし、である。 安倍政権であれ何政権であれ、預金がすぐにも無価値(紙切れ)になる、円が暴落して価値がゼロになるとは、どういう状況を想定した話なのか? 預金封鎖で引き出しができなくなる? 円の国際的信認が底抜けして無価値になるまで円売りが殺到する? 浜さんは講演の中でなにがしかの説明をしたのかも知れないし、「かもしれないんですよ!」と断定を避ける言葉を付け加えてはいる。しかし、上記のような感想を参加者一同が共有したとなれば、経済学専門家と通称される人物の学問的責任が問われて当然である。
●「安倍依存症」と連なる「知名度依存症」
私は上記のような品位を欠く、罵倒に近い書名のタイトルからも、浜さんのそれら書物を一読した感想に照らしても、浜さんを「経済学専門家」と呼ぶ世評に同調しない。 過日、ある集会のスピーカーに浜さんを呼んではどうかとある人から提案があったが、「アホノミックスは勘弁してください」とやんわり反対した。 この問題は2番目に取り上げる「知名度依存症」と重なるので、そこで追加説明するが、常識を超える扇動まがいの放言がまかり通る背景には「安倍政治批判なら、裏付けのない乱雑な主張でも意に介さない」という意識が安倍政権批判勢力の中に蔓延している状況を物語っている。これすなわち、逆説的な「安倍依存症」である。 私は、このような扇動まがいの放言をする通称「経済学専門家」の低俗に辟易とするが、それ以上に、そうした放言に喝采を送る市民運動参加者の自律的思考の欠落を空恐ろしく思う。以下は、「知名度依存症」をタイトルにした次稿で議論したい。
醍醐聡(だいごさとし):東京大学名誉教授
初出:醍醐聡のブログから許可を得て転載
http://sdaigo.cocolog-nifty.com/
ちきゅう座から転載
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