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橋本勝21世紀風刺絵日記
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2018年08月01日16時26分掲載
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反戦・平和
映画『折り鶴の声』 ヒロシマ・ナガサキへのラテンアメリカの人びとの「感受性の言葉」
遠い世界のできごとが、わが事のように人びとのこころを揺さぶるのはなぜなのだろうか。原爆忌をまえに東京のメキシコ大使館で上映された、メキシコ人女性ジャーナリスト、シルビア・リディア・ゴンサレスさん制作のドキュメンタリー映画『折り鶴の声』は、この問いに答えようとしてくれた。ヒロシマ・ナガサキの悲劇をめぐるラテンアメリカ諸国のアーティストやジャーナリストたちの作品と発言が次々と紹介されたのだ。(永井浩)
▽『お菊さん』の国の惨劇 シルビアさんは1992年8月6日、広島の平和記念公園から母国のラジオ局ムルティメディオス・エストレーヤス・デ・オロの番組に「今日は記念すべき日です」と現場レポートを送っていた。だが、式典に参加している被爆者の手を初めてにぎったとき、彼女は声をつまらせてしまった。「原爆のきのこ雲の写真は、これまで何度も見たことがありました。でも、あの下にこの人たちがいたのだと思うと、その気持ちをどのように伝えたらいいのか、表現すべき言葉が見つからなかったのです」。
一人ひとりの顔をじっさいに見ると、いままで自分が何も知らなかったのだということに気づいた。「この日、ジャーナリストとしても、人間としても、私の何かが変わったと思います」と振り返る彼女は、『折り鶴の声』にその思い想いを込めた。
折り鶴は、広島で被爆した少女、佐々木禎子さんが白血病からの回復を祈って病床で折り始めたもので、今では平和をねがうシンボルとして世界各地で折りつづけられている。一昨年、広島平和公園を訪れたオバマ米大統領は、「核兵器のない世界を追求する願い」を込めて、自らが折った4羽の鶴を原爆資料館に贈り話題となった。シルビアさんの映画は、広島と長崎のさまざまな被爆者の体験談や声を丹念に拾い上げたあと、ラテンアメリカに飛び立った折り鶴に人びとがどのように向き合ってきたかを記録する。
コロンビア生まれのノーベル文学賞作家ガルシア・マルケスは、新聞記者時代の1955年に「ヒロシマ、摂氏百万度に達す」と題する記事を書いた。広島で被爆したあと、首都ボゴタに滞在していたイエズス会ヒロシマ修道院院長ペドロ・アルーペへのインタビューをまとめたもので、同司祭は「天地創造以前のカオス」を想わせる光景とみずからの犠牲者救援活動について語っている。
チリの詩人オスカル・ハーン、ニカラグアの詩人で革命家のエルネスト・カルデナル、ベネズエラのホセ・ラモン・メディナ、アンドレ・エロイ・ブランコ、グレゴリー・ザンブラノらがヒロシマについて書き、絵画と彫刻ではベネズエラのアリリオ・ロドリゲスやコロンビア、ニカラグアの芸術家たちがヒロシマを作品化した。音楽では、ボサノバ「イパネマの娘」の作詞者として知られるブラジルのビニシウス・デモライスやキューバ、アルゼンチンのアーティストらがヒロシマを題材にしている。
原爆のさく裂する瞬間を描いた岡本太郎の巨大壁画『明日の神話』は、メキシコ人実業家から「新築するホテルのロビーを飾るための壁画を描いてほしい」との依頼をうけ、1968年からメキシコで制作を開始した作品である。ホテルが開店前に倒産してしまい、作品は一時行方不明になっていたが幸い発見されて日本で修復された。東京・渋谷のJRと井の頭線の渋谷駅をむすぶコンコースに飾られた壁画をスマホでカメラにおさめる外国人観光客らも見られる。
ベネズエラのエル・ナショナル紙の編集長アントニオ・アライスは、長崎に原爆が投下された数時間後にペンをとり、「地上に平和を」と題する社説を1945年8月11日付の同紙に掲載した。「フランスの小説家が実にうっとりさせるようなこの街の描写をしてから半世紀も経たないある日、これまで人類が経験したことのない驚くべき爆発がこの人形の市の中心部で起こった」と書くアライスは、フランスの作家ピエール・ロチの小説『お菊さん』から得た地球の反対側の美しい都市のイメージに彼自身の想像力をまじえて、この論説を書いた。
「恐ろしい閃光が空を照らす。炎と埃と煙の柱が、あたかも人間の凶悪さを他の惑星に知らせるかのように、数千メートルの高さに舞い昇る。家屋、あずまや、屏風、頑強な鉄筋コンクリートの壁がふっ飛ぶ」。生命に満ちあふれていた市のほとんどが、いまは地獄の入口のような巨大な黒い穴と化している。「微笑んでいたムスメは死に絶え、キスをしていた恋人も死んだ。遊んでいたあどけない子も死んだ。お腹の赤児も死んだ。天照大神に祈っていたおばあさんも死んだ。空を飛んでいた鳥も、甲高い声で青空をつんざいていたセミも死んだ。それらすべてが消え去り、空間にはかすかな埃しかない」
日本の報道機関は軍の検閲により沈黙をまもり、米当局に主導されて西欧諸国は公式声明などでこの新しい兵器の破壊力を宣伝し、被爆現場から発信された報道もないときに、ベネズエラ人ジャーナリストは、みずからの人間性と想像力を発揮して、その後明らかになった長崎の惨状を的確に描き出し、さらにこう書いた。「われわれは、国の政治的命運を担う人たちが約束しているような新しい時代、この悲惨な道を逆転させるような新しい時代、人びとのあいだに再び親切と喜びの感情がよみがえり、諸国民のあいだに正義と寛大さと自由と平和が支配する時代が来ることを期待する」
▽「ヒロシマは遠くて、近い」 メキシコ人である自分をふくめたラテンアメリカの人びとの、こうしたヒロシマ・ナガサキへのおもいの根底にあるものをシルビアさんは、「感受性の言葉」と呼ぶ。
「他者、とくに弱者の痛み、苦悩、悲しみへの共感」だと言い、「それを通して人びとは、国境を超えた相互理解が可能になる」と信じている。こうした人間の本性から発する気持ちは、スペインの植民地、米国による侵略という歴史的背景や政治、社会の問題などのなかで育まれてきたもので、ラテンアメリカ全体の人びとに共通するとされる。彼らは、他者の痛み、悲しみをわがことのように感じられると同時に、うれしいことに対しては喜びを共有できる。だから「ヒロシマは遠くて、近い」のだ、という。
ひるがえって私たち日本人は、世界の遠い国のできごと、人びとの悲惨な運命に対してどれだけ「感受性の言葉」を発することができるだろうか。
キューバ革命の英雄チェ・ゲバラは、1957年7月に新生キューバの通商使節団を率いて来日したとき、東京や阪神の企業視察や財界人の歓迎パーティーなどの公式スケージュールの合間をぬって、「他の日程をすべて犠牲にしても原爆慰霊碑に献花したい」と広島に向かった。ゲバラは、真夏の午後、花輪をささげ慰霊碑に参拝したあと資料館を一時間あまり見学し、「きみたち日本人は、アメリカにこれほど残虐な目にあわされて腹が立たないのか」と案内役の県庁職員に話しかけた。
それから61年経った今年の夏、安倍政権のもとで、原爆のきのこ雲の下にいた国はそのきのこ雲の上にあった国との軍事的な一体化をますます強化しようとしている。昨年採択された核兵器禁止条約を、メキシコはじめラテンアメリカの国々はいち早く批准したが、唯一の被爆国日本は批准はおろか反対を表明した。
8月6日に広島市で開催された平和記念式典のあいさつで、安倍首相は「『核兵器のない世界』の実現に向け、粘り強く努力を重ねていく」と述べたものの、昨年同様、核兵器禁止条約には言及しなかった。
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