イラク南部バスラで小児がんの治療にあたっているフサーム・サリ医師は、増加する白血病や脳腫瘍、厳しいイラクの医療体制について語った。「私が勤務するバスラ小児がん(腫瘍)センターは2003年5月に設立され、2010年に新しい病院として再スタートしました。2004〜2017年秋までに診た患者は約2180人で、主に白血病、その他リンパ腫や固形がんの患者です。外来患者は毎月450人、2017年の小児がんの発症は216人でした」(木村嘉代子)
この間の病気の内訳は、白血病が944件(急性リンパ性白血病が713件、急性骨髄性白血病が201件、慢性骨髄性白血病が24件)、骨髄異形成症候群が4件、未分化型白血病が2件。リンパ腫が368件(ホジキンリンパ腫が146件、非ホジキンリンパ腫が222件)、固形がんが868件にのぼる。
「小児がん患者は増加し、白血病も固形がんも増えています」
小児がんの発症は、2004年の78年から、2005年に108人、2007年の111人から徐々に増加し、2015年以降は200人以上だ。 2006年は、小児がんの発症が167人に急増し、白血病が78件、固形がんが89件にのぼる。
固形がんも、2004年の45件から2017年には120件と3倍近く増えた。
「2017年に発症した固形がんは、脳腫瘍が最も多く、次が骨腫瘍です」
次いで、神経芽細胞腫、腎腫瘍、横紋筋肉腫が多い。
「2015〜2017年の3年間の固形がんの件数をみると、脳腫瘍が17件から24件に増加しています。骨腫瘍も14件から19件に増えています」
白血病は、2004年に33件だったのが、年々増加し、2017年は96件。
「2017年の悪性腫瘍の割合を見てみると、急性リンパ性白血病が最も多く、70件で62%を占めます。 一方、急性骨髄性白血病は24件です。 そして、ホジキンリンパ腫と非ホジキンリンパ腫の悪性リンパ腫が約14%です」
子どもの白血病と脳腫瘍の増加は、チェルノブイリ原発事故後にもみられ、劣化ウラン弾の放射線の影響が考えられる。
「イラクでは、病気の原因が劣化ウラン弾にあるとは理解していない人が多いと思います。研究機関もありませんし、放射線線量の測定はしておらず、政府はこの問題についてこれまで一度も語っていません。誰もこの問題について触れず、病院のスタッフでさえ話しません」
「日本でも、原爆被ばく者の調査がすべてアメリカに委ねられていたので、それと同じだと思います。先日、原爆の被爆者の組織の方とお会いし、戦後73年経つのに、被ばく者の調査が現在もつづけられ、そのデータをアメリカに送っていることをお聞きし、驚いています。 我々は劣化ウラン弾による被ばく量を調査できません。アメリカがいまでもイラクを支配しているからです。イラク政府はそのような状況で何もしないのです」
2009〜2017年の急性リンパ性白血病患者の経過結果によると、がんの発症数は年々増加し、2017年は70件。
「2009年は38人が急性リンパ性白血病と診断されましたが、5人は初期治療を断念しました。親が治療を拒否したりしたためです。 住まいが遠い、貧困などの理由で、早急な治療ができず、治療を継続できないケースがあります」
治療を断念したのは、2010年と2013年が各1人、2011年が6人、2014年と2016年が各4人、2017年は2人だった。2017年は治療の前に6人が亡くなっている。
「専門的な治療をした患者は32人で、現在も生存しているのは16人です。 生存率は50%で、他の年も、約50%が生存しています」
治療を行った患者の9割以上が完全寛解(がんの徴候がすべて消失)し、約半分が現在も生存している。
その一方で、再発件数は、2009年が10件、2010年が7件、2011年が9件、2012年が24件、2013年が13件、2014年が18件、2015年と2016年が6件、2017年は3件。
「再発率はいまでも高いです」
そして、再発した患者の5割近くが、治療を断念している。
「治療を拒否するのは、がんの発症を信じたくないから、それから、手術を嫌うという理由もあります。身体の一部を摘出するのを拒絶するというのが大きな問題のひとつです。 白血病の小さな赤ちゃんを治療しようとした際、『家に帰らなければならないので、治療は受けない』と言う母親もいました。『この子のために病院に残ると、家で待つ7人子どもたちが死んでしまう。私は働いて、食事を作って、子どもたちを学校に通わせている。7人の子どもを犠牲にして、この赤ちゃんを救うわけにはいかない』と」
「それでも、私たちはあきらめないで、治療するよう勧めています。 少し大きな子どもたちは、それほど深刻ではなく、健康状態も良く、特に白血病は直る可能性が高いため、治療に来るよう何度もあきらめないで頼みます。 治療をつづけるために寄付を募ったり、遠くに住む人は通院が難しいので、地域の人に送迎を頼んでサポートしてもらったりして、治療をしています。 ただ、そういうサポートもバスラ周辺に限られていています。」
少しずつではあるが、がん治療の医療機器も導入されている。
「放射線治療機器は、2010年に導入される予定でしたが、6年ほど遅れ、昨年設置されました。これまでの化学療法に加え、放射線治療も可能になりました。 また、フローサイトメトリーでの白血病の精密な血液検査も可能になりました。とはいえ、フローサイトメモリー用の抗体が十分ではなく、不足しています。 PET検査をする機器はまだありません」
「私の病院の患者は、多くのハンディを負っている」とフサーム医師は言う。
「細胞遺伝学の研究および民間研究機関が存在しないため、医師はその経験を積むことができません。 骨髄移植センターもありません」
なかでも深刻なのが、医薬品の問題だ。
「ほとんどの医薬品が足りず、抗生物質、抗ウィルス剤、そして最も深刻なのが抗菌剤の不足です。厚生省は我々が必要とする医薬品の20%しか供給できず、しかも質が悪く、どこの製品か信用できません」
例えば、注射用薬品に注射針をさすとゴムの蓋が中に落ちてしまったり、水を入れても溶解せずに固形のままだったり、多くの医薬品がこのような状態だという。
「薬の有効期限やどこの製薬会社か、まったく信用できません。 パッケージにカナダとあっても、箱が安っぽく、カナダの医薬品かどうか疑わしいのです。 腐敗が一般化していて、輸入する際も多くの契約や賄賂などがあり、医薬品を国内に持ち込み、誰かが誰かに薬を渡しています」
医療業界でさえ支配されている、とフサーム医師は嘆く。
「90年代まで、イラクのサマワに有名な製薬会社があり、非常に質のいい薬を製造していました。 ファイザー、バイエル、スイスやドイツ、イギリス、アメリカなどの薬品も輸入されていましたが、これらの海外の製薬会社と比べても、サマワの医薬品は質が良く、信頼できました。 しかし、今は信用ゼロです。 イラク戦争後、製薬工場は民営化され、新政府が支配し、品質に注意を払わなくなりました。 もはやこのイラクの製薬会社は信用できません。たぶん、ここで製造しているのではなく、インドやイランから持ち込まれた安い薬だと思います。 効果も期待できません」
こうした理由から、イラク国内での治療を拒否する人もいる。
「イラクの薬、医師や病院を信用していない一部の人は、レバノンなど外国に子どもたちを連れて行って治療しています」
また、コンプライアンスも確立していない。
「患者側の病気に関する知識不足、貧困、治療に対する恐怖があるからです」
これらの問題が組み合わされ、日本では8割近い小児がんの治癒率に対し、イラクではそこまで至っていない。
「私の患者、サディーンについてお話したいと思います」
フサーム医師は2年前、サディーンが白血病を克服して小学校を卒業したと話していたが、その後、再発したという。
「彼女はこう書いています」
私の名前はサディーン、7歳です。 ラマダンが終わったら、イードの祭りに新しい洋服を着ることができるよね?と毎日家族にお願いしていました。 でも、イードの祭りの朝、吐き気がして、ひどく身体が痛み、頭痛がしました。 それが白血病のはじまりだとはまだ気づきませんでした。
「彼女はとても賢く、発想が豊かで、たくさん絵を描きました。 例えば、これは、痛みを恐ろしい蛇で表現しています。 病院の治療には、化学療法、注射、カニューレ、点滴、苦い薬、抗がん剤の髄腔内投与があり、こうした治療は彼女を傷つけ、苦しめていたのです。 もうひとつの絵は、化学療法からヘリコプターで逃げるサディーンです。 化学療法をしようとするこの医師は、私です」
残念ながら、今年3月にサディーンは亡くなった。
「それでも、私の病院では、たくさんの患者ががんや白血病を克服しています。 治癒した子どものそれぞれの写真を病院に貼り、患者の励みにしています。 今年、5年以上の化学療法を終えて治癒した患者が集め、祝賀パーティーを開催しました」
「なぜあなたは腫瘍学、癌の専門医になったのですか?」と何度も聞かれ、医師同士でも、お互い質問することがあります。 がんは非常に難しい病気で、一般に不治の病といわれています。 病院内においてでさえ、治癒できない、患者はみな死んでしまう、と思われている場合がよくあります。 ですから、「なぜあなたは治療をつづけるのですか?」と聞かれることが多いです。 たとえ件数は少なくても、がんは治癒します。 数件であっても、がんの治癒は、私たちにとって勝利なのです。 私たちは、患者と家族、そして医師らとともに喜びあうために治療をしています」
フサーム・サリ医師は、イラクセイブチルドレン広島の支援で、広島大学病院で腫瘍とがんの研修をしている。 初めて来日したのは2003年、今年の来日は6回目だ。
「広島大学病院での研修で、医療経営や悪性腫瘍の患者の治療の点でイラクとの格差に失望することがあります。 でも、私が広島で集めた情報、ここで学んだことは、イラクでの治療の質の向上に役立っています。ここで研修を受けることで、患者の治療はずっと改善しました。 広島に来てから、希望が持てるようになりました。 広島は私たちに多くの希望を与え、前向きな気持ちにさせてくれています。 それが、患者の治療をより効果的にし、良い結果へと導いています」
(2018年8月12日 広島市で開催された報告会より)
*本稿はフリーライター木村嘉代子さんのブログからの転載です。
https://bavarde.exblog.jp/30013595/
|