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橋本勝21世紀風刺絵日記
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2018年09月16日01時17分掲載
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文化
東京演劇アンサンブル公演 「トゥランドット姫 あるいは嘘のウワヌリ大会議」
ドイツの劇作家ベルトルト・ブレヒトにこだわってきた東京演劇アンサンブルが今回、上演しているのはブレヒト晩年の未完の作品「トゥランドット姫 あるいは嘘のウワヌリ大会議」と題する風刺的作品である。劇団の案内によると、ブレヒトは政治権力に負けず真理を追究する知識人を主役に据えた戯曲「ガリレイ」を書いたのち、この作品では知識人の黄昏を描こうとしたのだという。
この劇は架空の中国の物語が下書きになっている。その国には皇帝がいて、木綿を専売しているが、その年は木綿が大豊作になったために値下がりを恐れた皇帝一味は木綿を大量に倉庫に隠して品薄にして値段を高騰させた。だが、それによって民衆は木綿価格の高騰により、暴動も起きかねない不穏な気配にすらなっている。そこで皇帝は知識人を集めて、木綿がなぜ品薄になっているのかをもっともうまく民衆に説明できたものには娘を嫁に差し出すとして弁論大会を開催する。政治権力者は自分に都合のいい最高の嘘が欲しい、ということなのだ。だが、皇帝の期待に沿えない説明をした知識人たちは次々と打ち首にもなる、という寓話的世界である。
こうした知を扱う専門家たちが権力に迎合するさまを笑い飛ばす、というのがこの劇の核なのだろうが、実際には劇場内には笑いはほとんど起きなかった。僕自身も笑えなかった。観客はこの芝居が今日の日本の状況とあまりにも似ていることを皆感じているがゆえに笑えない、ということもあるだろう。だが一方で、ブレヒトの戯曲の出来がイマイチだったのではないか、という気もする。「ガリレイ」の時はガリレイの限界や弱音も描きながら、しかし、同時にその素晴らしさも描いていたように思う。つまり、人物に深みがあったのである。しかし、今回の舞台ではそうした深みのある人物は学問を学びにやってきた老人に代表されるのだろうが、その他の人々の造形がどうしても表面的な印象が免れない気がした。これは演出というよりもブレヒトの戯曲の問題だろう。(おそらくブレヒトとて未完成の作品を批判されたくはあるまい)その一方で、それでは風刺劇として笑いのめせるか、というとそこまで笑いが取れる会話や絡みというものがない。むしろ、今日の国会やその周辺で起きている御用学者や官僚や政治家たちやジャーナリストたちの現実劇の方がブレヒトの創造世界より100倍も滑稽になっている。これは日本がもうすでに「トゥランドット」よりもさらなる寓話的世界に突入しているということではないだろうか。
この一文は今回の舞台の批判と読まれるかもしれないが、「トゥランドット」の舞台化を決して僕は批判しているわけではないということを書いておきたい。ブレヒトにこだわり、その世界を今の時代のアクチュアルな現実世界に向けて造形する、という営みは非常に意義深いものだと思う。そして、今までほとんど舞台化されていなかったし、また未完成でもあり、さらには上演しづらいこの劇を舞台にかける、というのは日本では東京演劇アンサンブルをおいてできないことにように思える。ブレヒト作品の中には比較的費用対効果のいい手堅い作もあれば今回の作品のように上演が賭けになる劇もあると思う。上演が賭けになる劇でもやることで得られるものは小さくないはずだと思う。それは何か、というとブレヒトの限界点を見極める、ということだと思う。
村上良太
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