2018年9月23日から10月5日までの国連総会ハイレベル週間は、国連担当記者たちにとって、一年で一番忙しい時でした。 が、モロッコに排除された我らがリー記者は、その間も、国連から禁足をくらったままでした。 一方、安保理は10月9日、11日、29日、と3度にわたって、アフリカ最後の植民地・西サハラ問題とMINURSO(国連西サハラ人民投票監視団)の検証を行います。 そして、10月31日にそのMINURSOを廃止するか、継続するかを決めます。 国連がMINURSOを設置したのは27年前の、1991年。その国連が自ら作ったMINURSOを自らの手で葬ろうとしているのでしょうか? いえいえ、そうではありません。 MINURSOと西サハラを排除しようとしているのは、西サハラを自国領にしたいモロッコです。
(1)リー記者はモロッコのブラックメールで国連永久追放: リー記者がなぜ国連永久追放されたのか?リー記者自身が国連永久追放事件の全容を自らのブログ・インナーシテイプレスに掲載した。「2018年7月3日、私(リー記者」は国連から実力行使で摘まみ出された。翌7月4日、服を破られ負傷したことを、私はニューヨーク市警察に訴えた。8月17日、私は国連広報局長アリソン・スメイルから正式に、<国連から永久追放>の通達を受け取った。翌8月18日、私は事件の全容をインナーシテイプレスに掲載した。 題して<モロッコによる悪質な苦情が、インナーシテイプレスを排除と、UN が表明。が、問答無用?> リー記者は、「いわれのない追放に抗議し、国連に復帰するためにはあらゆることをする」と宣言し、広報局長やモロッコ大使に質問状を送り続けた。9月10日には、ジョン・ボルトン米国家安全保障補佐官にも、直訴状を送った。FOX米国-TVを始め、多数のメデイアが<リー記者国連永久追放事件>を取り上げた。 10月4日の国連定例記者会見でベン記者が副報道官に、「インナーシテイプレス永久追放に、国連事務総長が絡んでいるのか?」と、聞いた。副報道官は、「全く彼は関係ない。DPI広報局のトップが決断した」と、返事をした。すかさずリー記者は、事務総長に直訴状をしたためた。
(2)ラウンドテーブル(回転ずし)への招待状: くどいようだが、10月31日に、MINURSO国連西サハラ人民投票監視団の期限が切れる 2018年4月30日、国連安保理は国連PKO・MINURSOに、西サハラ問題平和的解決のため半年間の猶予を与えた。2017年9月から国連事務総長個人特使を務めるドイツ大統領ホルスト・ケーラーは、モロッコと西サハラ両当事者の直接交渉の再開を提案した。そして2018年9月28日、両当事者のモロッコとポリサリオ西サハラ難民政府に招待状を送った。隣国のアルジェリアとモーリタニアにも、招待状を送った。10月3日、早々と、ポリサリオ西サハラ難民政府が交渉参加を表明した。モロッコも10月4日に、参加表明した。交渉の席には絶対着かないと断言していたモロッコを、「ラウンドテーブルでとりあえずこれからの交渉予定を決めよう、、本題には入らない」というカラクリで、元ドイツ大統領ホルスト・ケーラーは攻略したようだ。10月3日、アントニオ・グテーレス国連事務総長は国連安保理に「交渉再開が見えてきた」と、報告し、2018年10月31日で期限切れになるMINURSOの任期を1年延ばすように進言した。グテーレス国連事務総長は年間 (07/2017– 06/2018) 52,519,000$(5,934,647,000円)の予算を生み出すMINURSOを存続させたい。それよりも、467人のMINURSO国連要員が失業する。正式雇用ではない現地調達要員はもっと困る。そのためには、国連事務総長も事務総長個人特使も、安保理に対して成果を早急にアピールする必要があった。 なぜ、モロッコは西サハラが欲しいのか? くどいようだが、西サハラに未開の鉱物資源(石油、天然ガス、ウランなど)と漁業資源(大西洋クロマグロ、タコなど)が眠っているからだ。西サハラは国際法上、植民地扱いなので、当該地の資源に他国が手を付けてはいけない。モロッコは軍事侵攻で西サハラを手に入れようとしたが、ポリサリオ西サハラ難民軍の抵抗にあい、国連が提案した和平案「国連西サハラ人民投票」を呑んだ。その時立ち上げたのが、MINURSO(国連西サハラ人民投票監視団)だ。
(3)モロッコはジョン・ボルトンを排除作戦?: 今から20年前、ジョン。ボルトン現米国家安全保障補佐官がジェームス・ベーカー国連事務総長個人特使の下でレフェレンダム(国連西サハラ人民投票)の実現に向けて努力していた。 その当時の映像を使って、 SJJAの仲間と13分のドキュメンタリーにまとめ、Youtu-beに2018年7月19日、アップした。タイトルは<人民投票(日本語版)><REFERENDUM (英語版)>です。 その後ジョン・ボルトン氏は、イラク戦争での戦争犯罪を問われることもなく、2005年8月から2006年12月にかけて国連米大使を務めた。「国連大使になったら真っ先にやろうと決心していたのは国連西サハラ人民投票だ」との言葉どうり、西サハラ人民投票を実現させようと努力した。 『国連が約束した国連西サハラ住民投票を実施して西サハラ住民に彼らの将来を決めさせ、15年間のPKOに決着を付けることに、私は執念を燃やした。それに、反対しているモロッコも住民投票を呑んだのだから、、真剣に国連西サハラ住民投票に取り組もう。取り組まないなら、安保理は失敗を認め手を引け、、つまるところ、MINURSO(国連西サハラ住民投票監視団)というPKOは、高い代償を払っている国連PKO活動の完璧な失敗作と結論づけられる。紛争解決どころか、紛争を長引かせるに過ぎない<無用の長物>と断言できる』(ジョン・ボルトン自伝「Surrender is not an option降伏は選択肢にない 」から) 残念ながら、ボルトン大使の手で西サハラ人民投票は実現しなかった。 MINURSO最後通達を目前に控え、モロッコ外交団はワシントンに乗り込んだ。が、ジョン。ボルトン国家安全保障補佐官(69)の買収ならびに排除は、諦めた。
2018年10月6日と7日に東京で、2019年夏の<第7回横浜TICAD>準備閣僚級会議が開かれました。 モロッコ外交団は、「サハラ難民政府が参加している会議には出ない」と、退場しました。 SADRサハラアラブ民主共和国(西サハラ難民政府)は、AUアフリカ連合の正式加盟国です。 モロッコ外交団のみなさま、国連事務総長西サハラ個人特使・ホルスト・ケーラー元ドイツ大統領がセッテイングしている12月4日と5日の交渉テーブルからは、退席しないでくださいね! モロッコは、この案を呑んだんだから、、
Youtubeにアップした「人民投票」(Referendum)のご案内です。 「人民投票」日本語版 URL :https://youtu.be/Skx5CP3lMLc 「Referendum」英語版 URL: https://youtu.be/v0awSc25BUU
Youtubeに4月アップした「ラストコロニー西サハラ」もよろしくお願いいたします。 「ラストコロニー西サハラ 日本語版URL:https://youtu.be/yeZvmTh0kGo 「Last Colony in Africa] 英語版URL: https://youtu.be/au5p6mxvheo
WSJPO 西サハラ政府・日本代表事務所 所長:川名敏之 2018年10月9日 SJJA(サハラ・ジャパン・ジャーナリスト・アソシエーション)代表:平田伊都子
|