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2018年10月13日14時02分掲載
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人権/反差別/司法
松橋(まつばせ)事件、再審開始確定の報に接して 「司法殺人」はいつまで続くのか 根本行雄
熊本県宇城(うき)市=旧松橋(まつばせ)町=で1985年に男性(当時59歳)が刺殺された「松橋事件」を巡り、殺人罪で懲役13年が確定して服役した宮田浩喜さん(85)の再審請求について、最高裁第2小法廷(菅野博之裁判長)は10月10日付で検察側の特別抗告を棄却する決定を出した。これで宮田さんの再審開始が確定した。今後、熊本地裁で再審公判が開かれる。それにしても、日本の再審の門はなかなか開かない。
現在、無実を主張しながら、有罪が確定し、服役し、出所した後も、無実を訴え続けている2人の人物がいます。一人は、「大崎事件」の原口アヤ子さんであり、もう一人は「松橋(まつばせ)事件」の宮田浩喜さんです。2人とも、高齢化し、健康に不安をかかえながらも、無実を訴え続け、再審の開始を待っています。それに対して、日本の司法は「再審の門」を固く閉ざしたままになっています。このような冷酷な対応は日本国憲法の3大原則の一つである「基本的人権の保障」を遵守していると言えないだろうと思います。
このような高齢の再審請求人に対して、検察が抗告をしたり、特別抗告したりするという判断の背景にはどのような「公益」があると考えているのでしょうか。大いに疑問です。日本国憲法の3大原則の一つである「基本的人権の保障」を忘れているからだろうと考えずにはいられません。
このような冷酷な対応から連想されるのは、「名張毒ぶどう酒事件」の奥西勝さんです。
「名張毒ぶどう酒事件」は、再審請求の条件である「証拠の明白性と新規性」があり、多くの人びとは「えん罪」であると考えています。この事件を題材とした出版物、ドキュメンタリー番組、テレビドラマも多く制作されていますが、そのほとんどが、この事件はえん罪であるとの立場からのものです。日本弁護士連合会が支援する再審事件でもあります。2012年に、映画『約束 』が上映され、再審請求の運動が全国的に広がりつつありましたが、再審は開始されませんでした。そして、第8次の再審請求中の2015年に、奥西さんは収監先で89歳で病死されました。実質的な「死刑の執行」です。「波崎事件」の冨山常喜さんも、同様に、獄中で亡くなりました。
ホセ・ヨンパルト先生(当時、上智大学名誉教授)は小生が『司法殺人(「波崎事件」とえん罪を生む構造)』(影書房刊)を贈呈したところ、懇切なお礼状を下さいました。その中に、「日本の司法では間違ったことを認めないで、時間をかけて、関係者が死ねば、もう片付けたことになるようです。」という文章がありました。忘れることができません。
原口さんと宮田さんのほかにも、無実を主張しながら、有罪が確定し、長期間、獄中にあり、「再審の門」が開くことを待っている2人の人物がいます。現在、2人とも、高齢化し、健康に不安をかかえながらも、無実を訴え続け、再審の開始を待っています。一人は、「狭山事件」の石川一雄さんであり、もう一人は「袴田事件」の袴田巌さんです。
石川一雄さんは1963年5月、窃盗などの容疑で別件逮捕されました。警察は、代用監獄を利用して20日以上にわたって取調べをしましたが、石川さんを自白させることができませんでした。別件で起訴された後、弁護士の保釈申請が認められ、釈放されることになりましたが、釈放の直後、警察は強姦、殺人、死体遺棄で再逮捕をしました。その後も、石川さんは否認を続けましたが、警察はスパイを利用して偽計にかけ、自白を手に入れました。警察は、代用監獄の悪用、証拠の捏造、ポリグラフ検査の悪用などによって、石川さんを犯人に仕立て上げていきました。義理人情に厚い石川さんは一審では終始一貫、犯行を認めていました。このため、一審の判決は死刑となりました。しかし、64年3月、控訴をし、東京高裁での控訴審においては、代用監獄を悪用した取調べと偽計などにより自白を強要されたと主張し、犯行を全面的に否認しました。二審の判決は無期懲役。76年8月、最高裁は上告を棄却し、無期懲役が確定し、石川さんは千葉刑務所に入所しました。弁護団は、その後も、異議の申立や再審請求をしていますが、ことごとく、棄却や却下をされ続けています。そして、94年12月、石川さんが31年ぶりに仮出獄しました。現在は、第3次の再審請求がされています。
袴田巌さんは、1966年9月、静岡地検によって強盗殺人罪、放火罪、窃盗罪で起訴されました。袴田さんは、 静岡地裁の第1回公判で起訴事実を全面否認しました。それ以後は、一貫して無実を主張しています。
袴田さんの取り調べは、夏の暑い時期であるにもかかわらず、取り調べ時間は、朝、昼、夜を問わない、平均12時間、最長17時間にも及ぶものでありました。そのうえ、眠らせないようにしたり、棍棒でなぐったり、蹴ったりという拷問による苛酷なものでもありました。自白調書は45通あり、そのうち44通は強圧的威圧的な状況下での取調べであるとして、任意性を認められず、証拠から排除されています。しかし、採用された1通もまた、拷問による取調べによって作成されたものです。
2007年3月、袴田事件の第一審の合議に参加された裁判官、熊本典道さんが「心ならずも信念に反する判決を出した」ということを記者会見において明らかにされました。そして、熊本さんは、現在、袴田さんの再審、無罪を獲得するために活動されています。
2011年8月 、第二次再審請求審において、静岡地裁は事件当日にはいていたとされるズボンの他、5点の衣類の再鑑定をすることを決定しました。
2014年3月27日、静岡地裁は再審開始と、死刑及び拘置の執行停止を決定しました。袴田さんは同日午後に東京拘置所から釈放され、47年7ヶ月ぶりに東京拘置所から釈放されました。静岡地検は東京高裁に拘置停止について抗告を申し立てましたが、高裁は28日、拘置停止決定を支持し抗告を棄却しました。31日、静岡地方検察庁が再審開始を認めた静岡地裁の決定を不服として即時抗告しました。 このため、再審の開始が先延ばしにされている状態になっています。袴田事件の再審は、いまだに開かれていません。もう、4年にもなります。
2014年8月、抗告審理で、弁護士側の証拠開示要求に対して、静岡地方検察庁が一審当時から「存在しない」と主張し続けて来た、有罪の証拠「5点の衣類の写真」のネガフィルムが実際には静岡県警察で保管されていたことが判明しました。
「狭山事件」と「袴田事件」、この2つの事件は、ともに、「えん罪」である可能性が高いものとして有名な事件です。検察による抗告、特別抗告によって再審の開始が阻害されています。
「大崎事件」の原口アヤ子さん、「松橋(まつばせ)事件」の宮田浩喜さん、「狭山事件」の石川一雄さん、「袴田事件」の袴田巌さん、これらの人びとは、いずれも、高齢化し、健康に不安をかかえながらも、無実を訴え続け、再審の開始を求めています。このような人々に対して、「再審の門」を固く閉ざしていることは、はたして、このような冷酷な対応は日本国憲法の3大原則の一つである「基本的人権の保障」を遵守していると言えるでしょうか。このような高齢の再審請求人に対して、検察が抗告したり、特別抗告したりするという判断の背景にはどのような「公益」があると言えるのでしょうか。大いに疑問です。
検察の職務は「公益の代表者」として、刑事司法における、捜査、取調べ、公訴、公判、刑の執行の全段階にわたっています。では、ここで言う「公益」とはどのようなものでしょうか。
検察の活動は、まず憲法によって基礎づけられており、さらには刑事訴訟法や検察庁法などによってより具体的に規定されています。刑事訴訟法第一条には、「この法律は、刑事事件につき、公共の福祉の維持と個人の基本的人権の保障とを全うしつつ、事案の真相を明らかにし、刑罰法令を適正且つ迅速に適用実現することを目的とする。」と明記されています。
検察にとって、「公益の代表者」と言うときの、「公益」とは、「公共の福祉の維持と個人の基本的人権の保障とを全う」することであることは明らかです。「公益」を実現するための活動とは、「公共の福祉」が侵害されていないようにすることであり、日本国憲法の3大原則である「国民主権」と「基本的人権」とを保障していくことであると言えます。
さらに、ここにおいても、「事案の真相を明らかにし、刑罰法令を適正且つ迅速に適用実現する」と、「迅速」であることが要請されています。しかし、これまで述べてきたように、日本の検察は裁判を長期化しています。このため、日本の再審は、依然として、「開かずの門」になっています。再審が開始されるまでに、地裁、高裁、最高裁の間を、まるで「ハノイの塔」のパズルを解くときのように、行ったり、来り、何度も、何度も、往復します。再審に詳しい人は、このような再審請求人と検察とのやりとりを「当たり前のことだ」と思いがちになっています。しかし、これは当たり前のことではありません。再審制度は無辜(むこ)の民を救済のためにある制度です。日本では、検察に、上訴する権利があるので、このような奇妙な現象が起こっているのです。
日本の検察には「公益の代表者である」という自覚が足りません。このような現状を抜本的に改善するために必要なことは、証拠の全面開示を義務づけることと、上訴権を廃止することです。
「大崎事件」の原口アヤ子さん、「松橋(まつばせ)事件」の宮田浩喜さん、「狭山事件」の石川一雄さん、「袴田事件」の袴田巌さん、これらの人びとは、いずれも、高齢化し、健康に不安をかかえながらも、無実を訴え続け、再審の開始を求めています。このような人々に対して、「再審の門」を固く閉ざしていることは、はたして、このような冷酷な対応は日本国憲法の3大原則の一つである「基本的人権の擁護」を遵守していると言えるでしょうか。このような高齢の再審請求人に対して、検察が抗告したり、特別抗告したりするという判断の背景にはどのような「公益」があると言えるのでしょうか。大いに疑問です。日本国憲法の3大原則の一つである「基本的人権の保障」を忘れているからではないでしょうか。
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