日中平和友好条約(1978年8月12日調印、10月23日発効)が締結されてから40年という節目を迎えた今年、日本国内で友好ムードの高まりは感じられなかった。 最近では、日中両首脳が笑顔で握手するニュースが流れ、尖閣諸島での中国漁船衝突事件が発生した2010年以降の冷え込んだ両国関係に改善の兆しも見られるが、日本国内の潮流は依然として「嫌中」が支配的なように感じる。 このような逆風の中、『日本の戦争加害がつぐなわれないのはなぜ!?―中国人被害者たちの証言と国家・加害企業・裁判所・そして私たち』(合同出版)の著者で、草の根からの日中交流運動に長年取り組んでいる「中国人戦争被害者の要求を実現するネットワーク」〔略称:Suopei(すおぺい)ネット〕事務局長の大谷猛夫さんに10月下旬、運動を続けることへの思いなどを伺った。
―― 「すおぺいネット」について教えてください。
(大谷) 今から23年前の1995年、南京大虐殺・無差別爆撃・731部隊・慰安婦など各事件の中国人戦争被害者が、日本政府に対して損害賠償を求める初めての裁判を起こしました。 その際、原告の方々が日本に渡航・滞在するための費用や、日本国内での活動を支援するため、私たち日本人支援者は「中国人戦争被害者の要求を支える会」という支援組織を結成し、弁護士グループの「中国人戦争被害賠償請求支援弁護団」と共同しながら活動しました。 裁判は当初、東京地方裁判所だけで争われていましたが、強制連行被害者たちが加害企業を相手に裁判を起こすため、その場所を管轄する裁判所に提訴したことから、1997年以後、強制連行訴訟が地方でも始まり、それを背景に、支える会も地方支部が結成されていきました。 また、裁判の進行とともに、支える会とは別に、事件ごとの支援グループも結成され、支える会は各支援グループとも連携して活動しました。
支える会の会員数はピーク時で3千人に達していましたが、支える会が発足して10年を越えた2007年頃から最高裁判決が出始めました。 いずれの裁判も「中国人戦争被害者個人の賠償請求権は、1972年の日中共同声明で放棄されている」ということで原告敗訴の形で終結していったわけですが、さらに支援者の高齢化も進んでいったことで会員数が徐々に減少し、その影響で財政的にも厳しくなりましたので、活動を縮小しようということで、2013年8月に支える会を発展的に解消し、中国人戦争被害者を支援している市民団体の緩やかな連合体として「中国人戦争被害者の要求を実現するネットワーク」(すおぺいネット)を結成しました。 「Suopei(すおぺい)」とは、中国語で「索賠」(賠償請求)を意味します。 支える会が「裁判支援団体」だとすると、すおぺいネットは「日本政府や加害企業に提言することや、歴史の真実を日本社会に伝えることを含めて、戦後補償問題の最終解決に向けて幅広く活動する団体」ということになるでしょう。 すおぺいネット会員数は、現在約500人です。強制連行問題を除くと、他の問題は東京で裁判が行われた関係で、関東在住の方々が多く入会してくれています。 強制連行問題に関わっている会員は、連行先の現場を管轄する裁判所で裁判が行われた関係で、北海道・山形県・長野県・群馬県・京都府・福岡県・宮崎県など地方在住の方々が多く会員になってくれています。
すおぺいネットは、2007年最高裁判決における 「本件被害者らの被った精神的・肉体的苦痛が極めて大きかった一方、 上告人は前述したような勤務条件で中国人労働者らを強制労働に従事させて相応の利益を受け、 更に前記の補償金を取得しているなどの諸般の事情にかんがみると、上告人を含む関係者において、 本件被害者らの被害の救済に向けた努力をすることが期待されるところである」 という付言を拠り所に、731部隊・南京事件・無差別爆撃・慰安婦・強制連行・平頂山・毒ガス・名誉棄損など全ての事件に関わっていまして、各事件に取り組む多くの支援団体(※)とも連携しながら、日本政府などを相手に交渉して被害者への支援を要請したり、学習会や宣伝活動などを続けています。
(※ 731部隊被害者遺族を支える会/南京への道・史実を守る会/中国海南島戦時性暴力被害者の謝罪と賠償を求めるネットワーク/中国人強制連行事件の解決をめざす全国連絡会/劉連仁勝利実行委員会/酒田港中国人強制連行を考える会/中国人戦争被害者の要求を支える宮城の会/「支える会」新潟支部/中国人強制連行薮塚・月夜野事件群馬訴訟を支援する県民の会/愛知・大府飛行場中国人強制連行被害者を支援する会/中国人戦争被害者の要求を支える会京都支部/「支える会」福岡支部/槙峰強制連行裁判を支援する会/撫順から未来を語る実行委員会/化学兵器被害解決ネットワーク/チチハル8・4被害者を支援する会/周くん劉くんを応援する会)
―― 時には中国まで足を運ばれていますね。
(大谷) そうですね。例えば、日本軍が平頂山集落の住民約3千人を虐殺した平頂山事件(1932年9月16日)の現場がある中国遼寧省撫順市において、毎年9月16日に「平頂山事件を忘れない」という趣旨の式典が平頂山惨案遺址紀念館で行われていまして、この式典に支援団体の1つである“撫順から未来を語る実行委員会”が毎年ツアーを組んで参加しています。 すおぺいネット会員も誰かが必ずこのツアーに参加し、式典に出席したり、平頂山惨案紀念館関係者と共同で開催するシンポジウムに参加するなどして撫順市民との交流を続けています。 ちなみに平頂山事件では、運良く生き残った中国人が数十人いましたが、最後の生存者が去年亡くなっています。日本政府は平頂山事件について、未だに「あれは戦闘中にたまたま住民が巻き込まれただけで、住民虐殺ではない」と主張し続けていますので、この姿勢を訂正させることが私たちの課題だと考えています。
―― 支援活動にやりにくさを感じていらっしゃいますか?
(大谷) 最近の日本国内における「嫌中」の風潮が影響し、日本国内での支援活動について、やりにくさは感じます。また、右翼の攻撃も昔も今もしょっちゅう受けています(苦笑)。 例えば、私がかつて中学校の社会科教師を務めていた頃、右翼が教育委員会に対して「大谷を辞めさせろ」と言ってきたこともありました。 また、インターネット上で私を「売国奴」「非国民」「国賊」呼ばわりしたり、自宅に嫌がらせのファックスを、とぐろを巻くほど送りつけてくるなどです。
それから、日中間の政治情勢も支援活動に多かれ少なかれ影響を与えています。私たち日本人支援者に対する中国政府の距離感も、日中関係が悪化すると近まり、改善すると遠のくといった印象です。 例えば、中国政府は2000年代初頭まで、中国人戦争被害者が日本政府を提訴するために日本へ渡航しようとしても、簡単に訪日を認めませんでしたし、逆に私が訪中して南京事件の生存者に会おうとしても、簡単に会わせてくれなかったりと、全く支援してきませんでした。中国政府としては、日本との友好関係を大事にすることを優先したのでしょう。 その後、日本の国会議員が「南京虐殺は無かった」「慰安婦は金を貰っていた」などの妄言を吐くなど、日本政府・議会関係者からあまりに酷い言動が出てきたので、そこから中国政府の態度も変わり、中国人戦争被害者の活動を黙認するようになりました。 ただ中国政府からは、中国人戦争被害者の賠償請求問題を積極的に解決しようという態度が、昔も今もあまり見受けられませんね。
最近の問題としては、中国人戦争被害者がどんどん亡くなっていることに加えて、その遺族を見つけることが大変になっていることがあります。 例えば、強制連行問題において中国人被害者の名簿は残っているのですが、中国の戸籍制度は日本ほどはっきりしていないので、70年前までそこに住んでいた被害者の子孫が、今は何処に住んでいるのかが辿れないのです。 第2次世界大戦末期に中国河北省、山東省などから強制連行され、新潟県十日町市の信濃川発電所建設工事で働かされた中国人183人は、彼らを使役した西松建設と2010年4月に和解しました。しかし、131人の被害者とその遺族に償い金は支払われましたが、残り52人の被害者とその遺族は不明のままです。
―― 大谷さんは、すおぺいネット事務局長のほかに、NPO法人「化学兵器被害者支援日中未来平和基金」(代表理事:立教大学・淡路剛久名誉教授)で理事を務めていらっしゃるのですね。
(大谷) 今から15年前の2003年、チチハル市の郊外に住宅団地を建設するということで、建設現場で地面を掘り返していたところ、ドラム缶が5つ出てきました。 そのうち1本が破損し、中から黒い液体が漏れていたのですが、それが毒ガスの原料だったということで、近くにいた作業員の人たちが毒ガス被害に遭いました。 さらに残り4本を廃品回収業者に持ち込んだところ、同業者は「中身は不要だが、容器は金目になる」と考えてドラム缶4本を解体してしまい、毒ガス被害に遭ってしまいました。 その他、汚染された土がチチハル中学校の校庭や個人の家々の庭土など様々な場所に運ばれた結果、土の山で遊んだ子供たちや土を運んだ人々も被害に遭うなど、二次、三次と被害が広がった結果、44人の方々が毒ガス中毒で入院し、一部の方々はお亡くなりになっています。 日本の市民有志は、毒ガス被害者の医療支援を目的に「化学兵器被害者支援日中未来平和基金」というNPO法人を作り、民間からお金を募って被害者に対する医療支援を行っています。 中国でも同様の基金が設立されているので、今は日中の両基金が協力して毒ガス被害者への医療支援を行っているところです。 私は日本側の基金の理事を務めていまして、今年11月上旬に中国黒竜江省チチハル市に赴き、被害者の方々と交流してその後の状況を確認します。帰国後には日本政府に対して被害者への現状を報告し、さらなる医療支援を要請する予定です。
―― 若い人への活動・経験の継承は、どうなさっていますか?
(大谷) 日本の市民運動に共通する課題と言えますが、私たちにとっても一番の課題ですね(笑)。 特に、日本軍による加害の事実は、当事者を含めて当時を知る年配の方々がどんどんお亡くなりになっていることもあり、今の20〜30代といった次世代の人々に対して引き継がれにくくなっています。 例えば、平頂山事件の最後の生存者が昨年お亡くなりになりましたが、私たちが何もしなければ、豊臣秀吉の朝鮮侵略と同レベルみたいに、遥か昔の歴史の1コマという感じになってしまいます。 中国でも若い人たちに歴史の事実をどう引き継ぐかが、かなり問題になっていまして、私は今年9月に撫順市へ行った際、現地の高校生に「平頂山事件と日本の支援運動」をテーマに講演してきました。そういう取組をこつこつ続けようと思っています。
私は元々、東京都の中学校で教師を務めていて、定年後は大学で教えるようになりました。ある大学では社会科の授業を持っていましたので、歴史の授業をどう組み立てるかという中で、中国人戦争被害者が来日したとき、タイミングが合えば証言してもらったりしました。 それがきっかけで中国人戦争被害者に関心を持つ学生がまれに出てくるということはありましたね。“中国海南島戦時性暴力被害者の謝罪と賠償を求めるネットワーク(ハイナンNET)”は比較的若い人が多く活動しているのですが、その中には私の教え子もいて、彼らの姿を見ていると長年の苦労が報われた思いがします。
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大谷さんは、このインタビュー後、「化学兵器被害者支援日中未来平和基金」訪中団の一員として11月上旬に訪中し、チチハル医大付属第三病院に来院した毒ガス被害者25人の検診・治療に立ち会い、被害者が受診に必要とする費用(病院までの交通費、宿泊費、診察料、電子カルテ作成費用、薬代など)を支払ってきたとのことである。 この25人は、いずれも1996年以降に日本政府を被告として日本国内で提訴した第1〜4次訴訟の元・原告である。裁判での敗訴をもって見放すことなく、被害者への償いを続ける日本人有志がいることに、同じ日本人として強く誇りに思う。 また、こうした中国人戦争被害者への支援活動を引き継ぐ日本人の若者が現れることを願いたい。(坂本正義)
「中国人戦争被害者の要求を実現するネットワーク」 〔略称:Suopei(すおぺい)ネット〕 (寄付金振込先) 郵便振替口座:00170−5−724226 加入者名:中国人戦争被害者の要求を支える会 (URL)http://www.ne.jp/asahi/suopei/net/index.htm
「NPO法人 化学兵器被害者支援日中未来平和基金」 (寄付金振込先) 郵便振替口座:00130−2−791602 加入者名:NPO化学兵器被害者支援日中未来平和基金
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