岡田充『海峡両岸論 第96号』 http://www.21ccs.jp/ryougan_okada/ryougan_98.html
「競争から協調へ」「互いに脅威とならない」「自由で公正な貿易の推進」−。 安倍晋三首相が10月25−27日中国を訪問した際、「新時代の日中関係」に向けて提起した「三原則」である。 カギ括弧を付けたのは、「中国首脳と確認した」という安倍説明について、日本政府内や中国側に疑義が出たためである。「三原則」と言えるかどうかはともかく、その主張には賛成だ。ただし言葉だけでなく、実行も伴えばという条件付きだが。 歯切れの悪い表現ばかりで申し訳ないが、その原因は安倍外交自体にある。経済での「協調」と、安全保障における「包囲」という矛盾が解けないまま残っているからである。そのため安倍外交は、日米中三角形の中で日本の明確なポジションを描けず、世論もまた訪中評価で「消化不良」を起こした。
<「一帯一路」協力が結実> 中国訪問のポイントを整理しよう。 今回は日本の首相としては7年ぶりの公式訪問。12年の尖閣諸島(中国名 釣魚島)「国有化」によって、両国関係は国交正常化以来最悪の状態が続いてきた。「戦後外交の総決算」を掲げる安倍にとって、対中改善はどうしても乗り越えなければならないハードルだった。 日中貿易総額はこの40年で、85倍の2969憶ドル(約33兆円)にまで膨れ上がり、経済界からも改善を求める声が高まる一方。 そこで安倍は、改善の「切り札」として2017年から、「一帯一路」への条件付き支持・協力を打ち出した。ことし5月の李克強首相との首脳会談で、安倍は「競争から協調へ」と述べ、第三国で協力するインフラ整備事業について協議する「官民合同委員会」の立ち上げで合意した。 中国から見れば、「一帯一路」への日本の協力に他ならない。対米関係が悪化する中、周辺外交を重視する中国にとって、安倍政権の路線転換はまさに「渡りに船」だった。 今年は「日中平和友好条約」40周年。中国の改革・開放政策を後押しするために、日本は計3兆6500億円に上る政府開発援助(ODA)を供与した。今回、安倍はその終了を宣言し、習も日本のODAの貢献を高く評価した。中国の経済規模が日本の2・5倍にも達したいま、ODA終了は当然だろう。 首脳会談では ▽習は来年の訪日を「真剣に検討」 ▽尖閣諸島周辺海域での不測の事態回避で一致 ▽東シナ海ガス田の共同開発に関する08年合意を「完全に堅持」、早期の交渉再開を目指す ▽関係悪化で中断していた円と人民元を交換する通貨スワップ協定の再開 −などでも合意した。
<一帯一路と「関係ない」と強弁> 合意の多くは、関係悪化で中断ないし中止状態にあった項目の再開である。その中で「新時代の日中関係」を象徴するのが、「第三国市場での日中連携」だった。 訪中に合わせ日中両政府が26日、北京で開いた「第三国市場協力フォーラム」には、約1400人の日中企業関係者が参加し、「タイでのスマートシティー開発」での協力など52件の覚書に調印した。 協力案件には、 ▽国際協力銀行(JBIC)と中国・国家開発銀行が、第三国でのインフラ事業に協調融資する枠組みつくり ▽伊藤忠商事は中国投資企業と協力しドイツでの洋上風力発電事業への投資拡大 ▽富士通はITを活用した高齢者向けサービスを中国企業と展開 −などが含まれた。
「一帯一路」については、「相手国に過剰債務を負わせている」などの批判は少なくない。日本と協力すれば、それを和らげられるという期待が中国側にはあるかもしれない。「(協力案件は)具体性や新味に乏しいものが多く、日中首脳会談の成功を演出するための『政治ショー』」(「共同通信」)という見方もある。しかし米国と共に「一帯一路」を批判してきた安倍政権が、協力に舵を切ったのは間違いない。
世耕弘成経済産業相は北京での記者会見で、「あくまでも第三国での民間企業の協力」と述べ、「一帯一路」とは「基本的に関係はない」と強弁した。 しかし新華社通信は27日「中日関係を着実に遠くまで進ませる」という論評で「『一帯一路』に対する日本側の態度が一層積極的かつ実務的になったことを意味する」とコメント。習自身も安倍との会談で「『一帯一路』共同建設は中国と日本が互恵協力を深めるための新たなプラットホームを提供している」(新華社報道の習発言)と述べた。 「第三国市場協力」か、それとも「一帯一路」か。中身は同じでも呼称は異なる「各自表述」である。外交は妥協の産物であり、「玉虫色」の解釈の見本でもある。
<「戦略」の二文字を封印> 安倍は訪中に先立ち、自ら提起した総合的外交政策「自由で開かれたインド太平洋戦略」から「戦略」の二文字を封印した。「戦略は中国敵視と受け取られる」との中国の不快感を受け、「誤解を解くための配慮」(外交消息筋)だった。中国側も、首脳会談で「インド太平洋戦略」批判は一切封じた。
安倍の演説からは、確かに「インド太平洋戦略」という固有名詞は出てこない。訪中前日の10月24日の施政方針演説では「ASEAN、豪州、インドをはじめ、基本的価値を共有する国々と共に、日本は、アジア・太平洋からインド洋に至る、この広大な地域に、確固たる平和と繁栄を築き上げてまいります」と述べた。言わんとするのは「インド太平洋戦略」に違いはないが、「戦略」の二文字は全くない。 今年一月の施政方針演説と比べれば違いは鮮明。 「この海を将来にわたって、全ての人に分け隔てなく平和と繁栄をもたらす公共財としなければなりません。『自由で開かれたインド太平洋戦略』を推し進めます」。
安倍は戦略の内容について「インド太平洋では、第1に“航行の自由と法の支配”、第2に“経済的繁栄の追求”、第3に“平和と安定の確保”」の三本柱を挙げてきた。 中国と合意した「第三国市場での協力」は、この“2”,“3”と矛盾しない。しかし“1”は、どうみても海洋進出を強める中国けん制を意識した「安保戦略」以外のなにものでもない。施政方針演説でも「基本的価値を共有する国々と共に」と表現することによって、「基本的価値を共有しない」中国を「排除」しようとしているのは明白。 そこで安倍政権は対中改善に向けて、「戦略」の経済と安保を切り離す「政経分離」を図った。「戦略」の二文字の封印も、そう読めばすんなり腑に落ちるのではないか。訪中の目玉は、第三国市場での連携であり、中国側から見れば『一帯一路』への日本の協力を意味する。首相自身、香港のTVメディアのインタビューで、「インド太平洋では一帯一路を掲げる中国とも協力できる」と説明した。 「戦略」の封印は、官邸と外務省で詰めた末の結論だった。米国にも封印を事前に説明し理解を得たという。トランプ大統領も2017年11月のアジア歴訪で、同戦略を米国アジア戦略として取り込んだからである。
<すり寄ったのはどちら?> 安倍の「涙ぐましい」努力と配慮は報われたのだろうか。 中国側も安倍政権への配慮を忘れていない。共同通信北京電(10月23日)によると、中国外交当局は、訪中に先立ち中国メディアを呼び「日本のODAの貢献を積極的に報じるよう」指示したという。「インド太平洋戦略」についても、「一帯一路に対抗する戦略だと記事で位置付けないよう」指示、第三国での日中協力を強調するよう求めたとされる。 中国で日本の支援が強調されることは少ない。日本では不満の声があったが、中国政府も友好ムードを前面に押し出した。習近平も首脳会談で日本のODA貢献を積極的に評価した。「戦略」を封印した効果は、確かにあった。 欧米メディアは今回の訪中をどうみているのか。 「ワシントン・ポスト」は25日「トランプ氏の盟友、日本の首相が中国首脳にすり寄ろうとしている」という記事で、「安倍はトランプと個人的な関係を築いて日米同盟を強化したものの、米中貿易戦争の深刻化による経済への悪影響も懸念、米中両国とのバランスを取るのに腐心している」と書いた。 CNNテレビも「中国もトランプ政権からの圧力が高まる中、アジアでの外交・経済面での味方を切実に必要としている」と、米中対立が日中接近の要因になったとみる。
「日本がすり寄った」とする「ワシントン・ポスト」とは、逆ベクトルで描いた日本の記事がこれだ。 「米国から貿易戦争を仕掛けられる中国が日本に近づこうとしたとも言われる」(「朝日」28日付「天声人語」)。 TVでもキャスターや解説者が「日中がここにきて急接近した理由はなんでしょうか」と問い、天声人語と同様「(米国との貿易戦争に)困った中国が日本にすり寄ってきた」という解説が多かったように思う。 米中対立が、日中双方を引き寄せる要因の一つであるのは間違いないが、それは主因ではない。両国は「急接近」したわけではない。経過を見ればわかるように「中国がすり寄ってきた」という評価も事実ではない。メディア・リテラシー(報道の真偽を見極める能力)が改めて問われる。
安倍政権が、「一帯一路」への協力を切り札に改善に乗り出したのは、表面的にみただけでも、17年5月の二階・自民党幹事長の訪中から。 それ以降、段階を踏みながら首脳会談の実現に歩み始めるのであって「急接近」ではない。中国の経済規模が日本の2・5倍にも達したいま、日中関係が悪化したまま経済関係も停滞すれば、マイナスの影響を受けるのは主として日本である。 安倍の「地球儀を俯瞰する外交」とは、中国包囲網の構築を意味する。しかしそれは成功しないどころか、関係悪化が続けば日本が逆に包囲されかねない。「中国を包囲することなどできない」(外務省高官)のである。これが、対中関係改善を促す日本側の動機である。
<安倍信者も批判派も理解できない真意> 「戦略」の二文字を封印したからと言って、対中けん制の「日米印豪四か国」の安保連携が死んだわけではない。「政経分離」を図ったものの、ただでさえよく理解できない「戦略」の内容はさらに分かりにくくなった。もはや「戦略」ではないのだから、あまり気にすることはないのか?
訪中結果に対する「安倍信者」の評判は、すこぶる悪い。 あるネット・ニュースの書き込みには「安倍さんがこんなに売国に加担するとは思わなかった」とあった。「『自民党は中国と戦ってる!』という話は嘘だという事が判った。最高レベルの親中っぷりを披露してるのに、どこが『戦ってる』だ」という書き込みもあった。 一方、安倍に批判的と思われるあるブロガーは「安倍の日本は、米国に追随せず、米国と逆方向の対中和解への道を歩み始めている」と、とんでもない誤解をする始末。 「政経分離」という矛盾を抱えたままの訪中が、信者からも批判側からも理解されない「消化不良」を起こしていることが分かる。しかし真意が理解されない責任は、安倍首相自身が負わなければならない。
冒頭の「三原則」について、習近平がどう反応したか。双方のやり取りを報じた新華社電(26日)は、習が次のように述べたと書く。 「『お互いに協力パートナーとなり、脅威とならない』という政治コンセンサスを確実に貫徹実行」 「多国間主義を守り、自由貿易を堅持し、開放型世界経済の建設を推進」。 「三原則」という言葉こそ使っていない。しかし「競争から協調へ」にも異存はないはずだし、“2”,“3”についてもよく似た表現を使っている。 ただ“3”については、安倍が「自由で公正な貿易の推進」としたのに対し、習は「多国間主義を守り、自由貿易を堅持」と、米国批判を意識した表現だ。トランプからみれば、習の意図通りに日中が合意したとすれば、安倍の「背信」と映るかもしれない。首脳会談に同席した西村官房副長官や外務省が「三原則」という表現を使わなかったとしているのも、対米関係への気遣いからかもしれない。
<米中対立の中で股裂きも> 問題は、政経分離を図ったものの、安倍外交が今後米中対立の中で身動きができない股裂きに会う恐れである。 来春からは事実上の日米自由貿易協定(FTA)交渉が始まり、トランプは自動車への高関税など厳しい対日要求を突きつけるはずだ。 トランプ政権は、北米自由貿易協定(NAFTA)再交渉に伴い、「米国・メキシコ・カナダ協定」(USMCA)で合意した。この中には「非市場国との貿易協定に動けば、枠組みを解消する」という「中国排除条項」がある。日米FTAにもこれが盛り込まれれば、日本は米中の股裂きに会う。
「安倍三原則」で最も重要なのは「互いに脅威とならない」だと思う。軍事的脅威とは「相手の能力と意図の掛け算」である。「互いに脅威とならない」が実現すれば、中国は日本にとって脅威ではなくなる。中国と北朝鮮の軍事的脅威を基に成立した安保法制はその根拠が薄弱化する。バカ高いだけでほとんど効果のない米国製ミサイル防衛網の構築や、南西諸島への自衛隊配備強化もその意味を減じる。 いまさら「対米機軸」を撤回するわけにはいかないだろう。ただ、中国と武力で対抗する愚策だけは戒めねばならない。(了)
〔『21世紀中国総研』ウェブサイト内・岡田充『海峡両岸論 第96号』(2018.11.15発行)転載〕
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<執筆者プロフィール> 岡田 充(おかだ たかし) (略歴) 1972年慶応大学法学部卒業後、共同通信社に入社。 香港、モスクワ、台北各支局長、編集委員、論説委員を経て2008年から共同通信客員論説委員 桜美林大非常勤講師、拓殖大客員教授、法政大兼任講師を歴任。 (主要著作) 『中国と台湾―対立と共存の両岸関係』(講談社現代新書)2003年2月
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