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橋本勝21世紀風刺絵日記
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2018年12月08日01時06分掲載
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コラム
吉田喜重監督のドキュメンタリー作品「夢のシネマ 東京の夢」
映画監督の吉田喜重氏が1995年に東京MXテレビ向けに監督したドキュメンタリー作品「夢のシネマ 東京の夢」(52分)が東京の日仏会館で上映された。このドキュメンタリーは19世紀末、映画の草創期に来日して明治維新の日本をフィルムに動画として撮影したガブリエル・ベールという男にスポットを当てている。このガブリエル・ベールという男の人生がとても面白い。と同時に、とても悲しい。というのもベールはのちに映画を去っていくからだ。アルチュール・ランボーが詩を捨ててアフリカに渡ったように。そして吉田喜重氏自身も映画をある時期を境に撮るのをやめたという。つまり、このドキュメンタリーはガブリエル・ベールがなぜ映画を去ったのか、がテーマになっている。映画誕生百周年の企画である。
会場では上映後に、吉田喜重氏の映画をこよなく愛し、その仏訳まで自ら行い、さらに吉田氏のエッセイを仏訳したマチュー・カぺルという日本映画の研究者がインタビューを行った。吉田氏は、この作品を作った経緯を話し始めるのだが、その言葉が、意味深で興味深い。吉田氏は人類には絵画や演劇や音楽など様々な芸術があるが、その誕生日がはっきりとわかっているものは映画だけだという。それは1895年12月28日で、映画の父と呼ばれるリュミエール兄弟がパリのカフェで上映会を行った日だ。吉田氏は誕生日があると言うことはその死もあるということではないか、と言う。作品の中で描いたガブリエル・ベールは映画の創始者の一人でありながら、早くもその死を千里眼で見抜いてしまった。それがベールが映画を捨てた動機だった、と吉田氏は作品の中で語る。
では、それは何だったかといえば、映画が撮影される人々をともすると支配するメディアであり、人々から人生を収奪するメディアである、ということだ。それを感じ取ったベールの豊かで人間的な感受性を、吉田氏は彼が撮影したフィルムを1つ1つ検証する。そして彼の眼差しがいかに少数民族や支配される人々の側に立つものであったかを語る。万博向けに日本に派遣されたベールの撮影フィルムは結局はリュミエールによってお蔵入りさせられる。その悲しさ、怒り。そこまで直接形で吉田氏は作品の中で語ってはいない。ただ、人間の死と暴力を決定的に映し出す装置である映画とベールの豊かな感性があまりにも対立したことが彼が映画を去った背景にあると吉田氏は見ている。ベールは来日中に北海道にも旅をし、アイヌ民族を尊敬されるべき文化を持った対等の人間としてレンズで見つめる。しかし、近代化の中で欧米列強入りのために自らを失っていく日本には失望していく。
もし時間があれば吉田氏に、なぜドキュメンタリーの中で彼が映画を捨てた理由を確信をもって語りえたかを聞きたかった。もちろん、ドキュメンタリーとして物語としてこの作品は成立しているし、興味深い視点だと思う。しかし、本当にベールが映画を捨てた理由をそのように言い切れるのか。もしそうなら、そう言い切れるための、吉田氏のリサーチと検証、そして想像力のプロセスをもう少し知りたかった。そのことは映画は本当に死すべき芸術なのか、ということにもかかわってくると思う。
村上良太
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吉田喜重監督(中央)。向かって左に司会のマチュー・カペル氏(フランスから来日中の日本映画の研究者)。
マチュー・カペル氏は吉田喜重監督がメキシコに滞在した経験を書いたエッセイを仏訳している。
吉田監督がメキシコ滞在の時のことをつづったエッセイをカペル氏が仏訳したもの。





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