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橋本勝21世紀風刺絵日記
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2018年12月28日15時24分掲載
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石井米雄『もうひとつの「王様と私」』 米ミュージカルの日本初上演を機に「王様」の実像を知る
ブロードウェーミュージカル「王様と私」が、俳優の渡辺謙の主演で来年7月から東京で国内初上演される。シャム(タイ)王宮を舞台に、国王と英国の女性家庭教師の交流を描いた物語は映画化もされ、世界的な好評を博し、日本でもヒットした。だがタイでは、この映画はいまだに上映禁止となっている。なぜなのだろう。日本の東南アジア研究のパイオニアで、タイの上座仏教と歴史研究の国際的権威による本書(めこん刊)は、その疑問に答えてくれると同時に、真の異文化理解とはどうあるべきかを考えさせてくれる。ミュージカルの日本公演を機に、ぜひ一読したい名著である。(永井浩)
▽映画とミュージカルで人気の「王様と私」 「王様と私」の原作は、米国の作家マーガレット・ランドンが1944年に書いた小説『アンナとシャム王』である。彼女は、19世紀にシャムのラーマ4世王モンクットに王宮の家庭教師役に雇われた英国人アンナ・レオノーウェンスの回想記をもとにこの小説をあらわした。1956年にハリウッドでミュージカル映画化され、ユル・ブリンナーが国王、デボラ・カーが家庭教師役を演じた。ブリンナーの主演男優賞のほか美術、映画音楽など5部門でアカデミー賞があたえられ高い評価を受けた。
映画の主題は、ひとりのヴィクトリア朝時代の貴婦人が、東洋の野蛮な王宮の家庭教師となり、国王と王子たちに進んだヨーロッパの文明を教育しようとするもの。ユル・ブリンナーの演じるいかにも頑迷で野蛮人らしいシャムの国王とアンナが衝突と対立を繰りかえしながら、しだいに2人はこころを通いあわせるようになるというストーリーだ。
しかし、タイ人からみればこの作品は、自国への理解を欠いた欧米の視点に立つアジア蔑視、オリエンタリズムの産物でしかない。多くの知識人の反発をまねいたのは不思議ではない。映画は不敬罪にあたるものとして、国内での上映が禁止となった。
では、実像はどうだったのか。本書によれば、映画の主人公とされるモンクット王(在位1851〜68年)は、野蛮人どころか、長いこと「鎖国」状態にあったシャムを「開国」へと導いた啓蒙君主として高い評価をえている。そして、この「王様」の思想に決定的な影響をあたえた「もうひとりの私」がいる。フランス人神父パルゴアである。
▽モンクット王とパルゴア神父 パルゴアは1930年、25歳のときにシャム王国でカトリックを伝道する宣教師としてバンコクに着任した。以来、32年間シャムに滞在し、カトリック教会の復興や布教活動につとめただけでなく、モンクット王との交友をつうじてシャムの言語や社会、文化に精通し、『シャム語文法』(1850年)、『タイ語大辞典』(1854年)、『タイすなわちシャム王国誌』(1854年)の大著を書いた。いずれも、現在もタイ研究に欠かせない貴重な文献とされている。
モンクットがパルゴアに出会ったのは、王位に就くまえの僧院生活のときだった。モンクットはパーリ語を習得して自国の仏教改革に乗りだすとともに、産業革命をへてアジアへの植民地支配を強化する西欧にいかに対応するかをかんがえていた。シャムの西側ではインドについでビルマが英国の植民地となり、東側のベトナム、カンボジア、ラオスはフランスの支配下に入った。幕末の日本で鎖国か開国か、尊王か攘夷かをめぐって大騒ぎしていたとおなじように、シャムでも独立国家の維持が重大問題となっていた。ちなみに、モンクットが還俗して現バンコク朝第4代の王となる2年後に、米国のペリー艦隊が浦賀に入港して幕府に開国を要求する。
モンクットは僧院での修行中にさまざまな外国人から多くのことを学んだ。ヨーロッパ知識人にとって不可欠な教養であるラテン語を習得し、英語も身につけた。キリスト教が先進欧米諸国の文明形成に果たした重要な役割をしる彼は、聖書も熟読した。「ヨーロッパ人による思想攻撃からタイ文明を守るためには、まず自らが『敵』であるキリスト教について十分な知識を持つことが不可欠と考えた」(同書)からである。
こうした西欧近代との橋渡し役をしてくれたのがパルゴアであり、彼もまたモンクットをつうじてパーリ語を習得して仏教をはじめとするシャムへの理解を深めていった。その成果が、先の著書群である。モンクットは彼から、天文学、印刷技術、写真術などの西欧近代の成果を学び、王位に就くとシャムを開国するとともに、西欧のすぐれた学問や技術を積極的に導入して自国の近代化につとめた。各国の指導者らに英語で多くの親書を送った。
しかしモンクットは、仏教がキリスト教より劣り、だからシャムは野蛮な国とみなして布教する宣教師たちを軽蔑していた。王様は、シャムの仏教が、西欧の近代思想に対しても、キリスト教よりさらに優れた宗教であると主張しつづけた。その点で、パルゴアはほかの宣教師とは異なっていた。「プロテスタントのアメリカ人宣教師に対しては厳しい批判の姿勢を崩さなかったモンクットが、パルゴアの説くキリスト教には耳を傾けこれを学ぼうとした姿勢の背後には、タイ文化に対するパルゴアの謙虚な姿勢があったことを忘れることはできない」と石井は書いている。
1862年にパルゴアが57歳の生涯を閉じたとき、モンクット王は「パルゴアは28年の長きにわたり、私のよき、親愛なる、そして誠実な友であった」と記し、バンコクで外国人としては異例なほど盛大な葬儀を行った。
パルゴアは政治家ではなかった。だが、シャムの開国と近代化という政治的変革に大きく貢献し、同国とフランスとの友好関係にもつくした。世界各地で宗教や民族の違いに起因するとされる紛争がたえない現代、もうひとつの「王様と私」の物語は、それらの違いをこえた異文化に対する正しい相互理解の大切さをあらためて教えてくれないだろうか。
▽「王様と私」はなぜ欧米と日本で人気なのか ブロードウェー作品「王様と私」の国内初上演を報じた朝日新聞(12月27日)によると、渡辺が王様、家庭教師のアンナをケリー・オハラが演じる。渡辺は、2015年にブロードウェーで作品が上演されたときにも主役を演じて高い評価を得、オハラはトニー賞の主演女優賞を獲得している。「この素晴らしいカンパニーと演出、何よりもブロードウェーの歌姫ケリー・オハラを日本の観客にご覧頂けるのが楽しみです」という渡辺のコメントが記事に紹介されている。
ミュージカル「王様と私」は、日本でも1965年に市川染五郎、越路吹雪主演で東京の帝国劇場で上演されたほか、宝塚の演目のひとつになっている。渡辺がブロードウェーの舞台に立つ前年には、松平謙と紫吹淳主演のミュージカルが全国を巡演している。そしてその都度、公演はメディアで取り上げられてきたが、今回の朝日新聞の記事をふくめて、「王様と私」の真実についてはほとんど触れられていない。
それは、このミュージカルと映画の素晴らしさとは関係ないことだと言ってしまえばその通りかもしれない。しかし、だからといって、史実からかけ離れた物語をいつまでも楽しんでいていいということにはならないだろう。「もうひとつの王様と私」を知ることで、私たちはなぜこの作品が欧米や日本で人気なのかの秘密にふれ、真の国際的な相互理解とはどうあるべきか、どのようにして築かれていくのかを考えることができるようになるはずだ。
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『もうひとつの「王様と私」』





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