ニューヨークタイムズはトランプ政権の誕生前からトランプ候補に厳しい批判を浴びせ続けてきました。12月29日と30日の合併号では社説で「トランプが地球を危険にさらす」という見出しを掲げました。しかし、むしろ、その脇の小さな寄稿が僕の注意を引いたのでした。ハーバード大学名誉教授のロバート・ダーントン(Robert Darnton)氏が書いた”To deal with Trump, look to Voltaire"(トランプと取り組むには、ヴォルテールに目を向けよう)という一文です。トランプ大統領との言論戦に、やれやれ、ついに18世紀フランス啓蒙主義のリーダーの一人まで呼び起こしたのか、と思ったからです。
「私たちは政治の気象変動の中に生きています。根強い偏見、いじめ、嘘、下品さといったものですが、これらはトランプ大統領のツイッターで発信されているもので、その支持者たちが拡散しているものです。これが私たちの暮らす公共空間を侵しています」
ダーントン教授は、こう筆を起こしながら政治の劣化から回復するために、参照できる人物を一人上げるなら18世紀に生きた啓蒙主義思想家のヴォルテールだろう、と言います。ヴォルテールにはフランスの王室に彼自身が仕えたことからくる旧弊さもありましたが、一方で毅然と時代の偏狭さや嘘と闘った人物でもありました。その例がカラス事件(1761年)の被告だったジャン・カラスを徹底擁護したことです。この事件は冤罪だったことが判明しています。ジャン・カラスがプロテスタントの信者だったことから、カトリック勢力が弾圧を加えた事件とされます。ヴォルテールの弁護活動が実って1765年には無罪とされ名誉が回復しましたが、すでにジャン・カラス自身は死刑になっていました。
フランスでは16世紀には40年近く続いたユグノー戦争(1562 - 1598)と呼ばれる宗教戦争まで起きています。同じキリスト教徒でありながら、カトリックとプロテスタントとの確執は18世紀半ばにも解消されることなく、プロテスタントは人権を制限され、多くの人が国を去って東欧や北欧に移住することになりました。ヴォルテールはカラス事件を自ら調査し、その潔白を証明するだけでなく、当時の絶対王政の権力者である大臣や貴族、哲学者らに手紙を書いて、カラスの潔白を理解してもらえるように精力的に取り組んだとされます。そしてこうした努力が実り、1787年にはプロテスタント信者の人権が認められるにいたりました。ヴォルテールが記した「寛容論」もまた大きな影響を与えたとされます。文壇の寵児であったヴォルテールが自らリスクを冒してまで迫害されてきたプロテスタントのために一肌脱いだことは、今日のアメリカで参照されてよいのではなかろうか、と言うわけです。
日本では、一定の社会的影響力のある人々が政治批判だけは慎重に避ける傾向が高いですから、この一文はむしろ日本でこそ読まれるべきものでしょう。放送人が他国の勇気ある人々を扱う番組を作る時には美辞麗句や感動的なナレーションを書いたとしても、事が自分に及ぶとなれば自分だけはカッコに入れて沈黙する人が多いです。作っているものと現実の暮らしが水と油のように分離していることになんらの矛盾も感じていないのです。そういったことでは「根強い偏見、いじめ、嘘、下品さ」に満ちた今日の空気を変えることは不可能です。アメリカでも日本でも事情は非常によく似ていると思います。今年はそうした傾向が変わる画期的な1年になって欲しいと願います。
■ド二・ディドロ作 「ラモーの甥」 格差社会に生きる太鼓持ちの哲学を辛辣に描く戯曲
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201607241124150
■自民党憲法改正案「第十三条 全て国民は、個人として尊重される」(現行) ⇒「第十三条 全て国民は、人として尊重される」(改正案) 個人と人の違いとは?
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201509172355524
■ジャン=ジャック・ルソー著「社会契約論」(中山元訳) 〜主権者とは誰か〜
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201401010114173
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